【抜粋B]

 さて、問題を「課題図書」へ移そう。先に児文協の九六九年度の〈活動方針〉を引用し、その中では「課題図書」について何ひとつ触れていないと書いたが、同年 一○月三一日の〈週刊読書人〉のコラムに「課題図書をめぐって」という記事がある。

〈今年もまた読書感想文コンクールの締切りが来る。課題図書がなん万、なん十万売れたとかのうわさもちらほら。とにかく金額にして、なん千万の金が動く。それだけに中小出版社にとって自社のものが課題図書に選定されるかいなかが社運にもかかわり、来年の課題図書対策のために編集者が頭を痛めるシーズンが来るわけだ。企画ならびに選定委員対策まででるという。なん千万の金が動くとなれば、そうしたこともあるかも知れない。第一選定基準が極めてあいまいである。数年前には未刊行の図書が選定されたこともあるぐらいだから、黒いうわさもあながち一笑に附せない。ある選定委員は広告エージェンシィの仲介人のようなことまでできるほどの権力を持ったともいわれる。/もちろん、子どもの本が万単位で売れることはよろこぶべきだが、ここ一発の穴をねらって、普段児童図書など見むきもしない出版社までが名乗りをあげるとなれば、これはまさに投機的行事である。これが子どもへ良書をという建前の行事なのだからよろこんでもいられないような気がする。坪田譲治先生が雑誌「びわの実」のあとがきで「作家となった以上、一度は課題図書になるような作品を書くべき」だといっ ているが、これも、お年寄りの無邪気さとしてだけ受けとるわけにはいかなくなる。/こうしたことも考えて、感想文コンクールの課題図書は各社が自社の図書より一点推薦制で持ちより、クラス一点ではなく、その選択権を読者にもあたえるという方式をとったらどうだろう。子どもの本の出版に専念する出版社から、そうそうでたらめな本がとびだしてくるとも思えないし、目くじら立てて対策にかけまわることもなくなり、読書の秋にちなんだ子ども図書まつりといったキャンぺーンにでもなれば、結構楽しい行事にもなろうし、選定委員が痛くもない腹をさぐられずにすむと思うのだが。(Y)〉

 匿名のコラムであり、かなり乱暴な書き方をしているが「課題図書」が当時、既にこうしたゴシップの材料になっていたことを物語っている。つまり出版点数が増加したことと「課題図書」は無関係ではないのである。そして、ここ数年来「子どもの本が大洪水」であると言われている。事実、昨今のデーターを見ても、それが誇張でないことがわかる。一般書の出版点数が殆んど横ばい状況にあるのに、児童図書は確実に増加しているのである。年間およそ八○○○占が出版され、冊数にしてほぼ四○○○万部の児童図書が送り出されているという。これは学参ものを除外しての数字である。新刊書はそのうちの二五パーセントに当る二○○○点で、問題の児童文学の新刊書は、そのうちの約二○パーセントというから、四○○点ほどになる。確かに、出版総点数から見たら、さしたる数字ではないかも知れない。しかし先ほどから述べてきた創作児童文学の年次出版占薮から言えば、これはもう破天荒な数字と言わざるを得ない。
 一九六○年に私が三点の出版を半年間に果して話題になったことを述べたが、現在ではその程度のことは珍しくも何ともなくなっているのである。年間五点以上の出版をする作家も珍しくない。また出版社も、現在、創作児童文学を手がけているところは優に三○社を越えている。各社が月に一点ずつ新刊書を出したとして、四○○点という数は、出版社側からすれば、たいしたものではない。
 大体児童文学の図書というものは、それほど売れるものではない。普通は初版が五○○○、最近のように、紙の買いしめの噂やら、印刷コストの二割アップといったことがあって、一○○○○という数が出て来たぐらいのものである。私の場合、例えば『赤毛のポチ』が出版されて二二年になり、現在も書店に並んでいるが、その合計が未だに五○○○○に満たない。一般向けの図書と違い、賞をもらったからとか団体推薦を受けたからといっても、そんなに売れるものではない。例の児文協傘下の読書運動団体の指導者が、自分のところで推薦すれば三○○○は固いと豪語したという話をきいたことがあるが、額面通りに受け取って、せいぜいそんなところである。ところが昨年(一九七二年)の「課題図書」で低学年向きに指定されたものは三二○○○○とも、三五○○○○とも言われている。こうなると、先ほどの〈読書人〉のコラムではないが、ちょっとした計算をしてみたくなる。現在(一九七三年)、子どもの本の平均価格は六○○円台といわれている。もっとも中には、とても子どもの本とも思えない外形、価格ともに豪華なものがあってびっくり仰天するが、仮に六○○円で三五○○○○売れたと する。額面通りとすれば二億一千万円の現金が動くことになる。これでは児童図書をやっている中小企業としての出版社が無関心でいられるわけがない。作家にしても、一点の著書が、その作家の何年分かの印税を稼ぎ出してくれるのだし、それで土地を買い、その次の課題図書で家を建てたという話にも信憑性が出て来るのだから、これは無関心でいろという方が無理かも知れない。
 実際、作家にとっては金銭ずくではなく、心情として、自分の作品をより多くの読者に渡したいのだから「課題図書」は格好の目標になる。また、それだけ大量の本がばらまかれるということは、その本自体が広告媒体の役割を果し、作者の知名度をたかめ、それによって他の作品も読まれるという機会が多くなる。
 あとでこの問題について、詳しくふれるが、昨年夏、児文協の理事であり、機関誌編集長であり、著作権委員であった児童文学者が盗作事件を起した。これは、盗作された作品が教科書にのっていたことから、子どもたちが騒ぎ出したのである。その際、盗作された作家の方が疑われたという話がある。というのは、盗作された作家の方は、子どもたちの間では無名の作家に近く、盗作した方の作家は過去に三度も「課題図書」の指定を受け「課題図書のチャンピオン」の異名があり、それだけに知名度から言ったら、盗作した作家の方がはるかに高かったのである。つまり、「課題図書」はそれだけの威力がある。先の児文協の〈活動方針〉の中で、児童図書価版繁栄の要因として、作家、出版社、受け手、母親、教師・・・云々と述べられてきたが、それらの要因もこの「課題図書」の前には、影がうすくなってしまう。
back next