かしこいビル


ウィリアム・ニコルソン

松岡享子・吉田新一訳 ペンギン社

           
         
         
         
         
         
         
    
 『もじゃもじゃぺー夕ー』(一八四五年)のあと、ヴィクトリア朝のイギリスで、絵本は華やかな色彩本の時代を迎えます。ケイト・グリーナウェイ、ウオル夕ー。クレーン、ランドルフ・コールデコットらによる色刷り木ロ木版の絵本や、当時開発されたばかりのカラー・オフセット印刷(写真製版) によるビアトリクス・ポ夕ーやアーサー・ラッカムの美しい絵本の時代です。
 その中で、ウィリアム・ニコルソンの『かしこいビル』 (一九二六)は、親しみやすい素朴な表現で異彩を放っています。
 『かしこいビル』は、ニコルソンが再婚後に生まれた幼い娘メリ ーのために五十四歳のとき描いた絵本です。太いぺンでさらさらと無造作に描かれたように見える線、クレパスでやはり無造作に塗られたような押さえた色、手書きの文字、孫のような幼い娘に、話をしながら一ぺージ一ぺージ描いて作ったような印象が、読者に親しみやすさを感じさせます。おばさんから招待の手紙をもらった女の子メリーが、旅の支度をはじめます。あしげのアップル (木馬の人形)、毛皮つきの手袋、スーザン(人形)、笛、靴、ティーポット…、そして忘れてはならない『かしこいビル (シンバルを手にした近衛兵の人形)』。
 ところが、 トランクになかなか上手に詰められず、何回もやり直しているうちに、「なんと!! なんと!!」ビルを入れ忘れて出発してしまうメリー。ビルは涙の中から敢然と立ち上がり、メリーの汽車を追いかけて走って、走って、走って…。
 登場するのは、すべて娘メリー愛用のおもちゃたち。そのせいか、トランク詰めの各場面は、とても細やかに描かれています。トランクの中で、右にいったり、左にいったり、くの字やV字に折り曲げられたり。そんなビルやスーザンの様子を絵から読みとって行くのが、また楽しい。
 ウィリアム・ニコルソンと言えぱ、十九世紀末、ロートレックの影響を受けて、イギリスではじめて商業美術のポス夕ーを描いた、その世界では第一人者。
 一方で、華やかなカラー印刷全盛時代に、木版画による単純で力強い造形で、 大人のための「ABCブック」や「暦もの」「尽くしもの」で人気を博しました。
 そのニコルソンが、子どもの本を手がけたのは、人気作家マージョリー・ビアンコの「ビロードうさぎ」がはじめて。「ビロード…」も味わい深い作品ですが、私はやはり「ビル」が好きです。この絵本を読んでいると、作者ニコルソンが、静かな深みのある声で、直接語りかけてくるような気がするからでしょうか。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「絵本、昔も、今も・・・、」1997/9,10