孤島の冒険

ニコラーイ・ヴヌーコフ

島原落穂訳 童心社 1988

           
         
         
         
         
         
         
     
 無人島にたった一人で泳ぎ着いたとしたら、どれだけの人が生き延びられるだろうか。私には全然自信がない。都会生活の便利さのなかに浸り切っている現代人にとっては、大人でも無人島で生き延びるのは難しいだろう。殊に土を奪われテレビゲームに夢中になっている子供達には、無人島など想像も及ばない世界なのではないか。また、自分は大丈夫と思った人でも場所が千島列島だと聞いたら、うーんと考えてしまう人が多いに違いない。
 本書は無人島で四十七日間生き延びたソビエトの十四才の少年の物語である。著者は実際にその少年に会い話を聞き、それを作品にしている。夏休みに、お父さんが働く海洋生物学ステーションの調査船に乗りこんだサーシャは、調査船のデッキから大波にさらわれ千島列島の無人島に泳ぎ着く。
 そこからサーシャの生きるための闘いが始まる。ジーンズの上着とズボンにぶ厚いゴム底の運動靴をはいたサーシャの持ち物は、刃が二枚と錐と栓抜きとドライバーがついているナイフと、安全ピンが二個とカプロンのロープだけ。サーシャはまず水を捜す。島にはあちこちに泉が湧き出していた。次は食べ物である。お父さんとよく掘ったユリ根が見つかった。水と食べ物の次はねぐらだ。最初の夜は枝を切って仮小屋を作った。翌日海岸に打ち上げられていた大きな帆布でテントを作った。中には破れたビーチマットも敷いた。これで夜の寒さを防ぐことが出来る。
 サーシャはテントのそばで燃える焚き火が欲しくなる。火を起こす場面は印象的だ。サーシャは古代史の本で見た絵を思い出して火を起こす。板の上で棒を揉むのだが、ただ掌で揉むのではなく、弓の弦に棒を絡ませ弓を引いて棒を回すのである。火が燃え出したときには、こちらにまで興奮が伝わってきた。火のおかげで、服も乾かせるしお湯も沸かせるようになった。
 ユリ根の他に食べ物は、栄養たっぷりのイガイやカモメの卵、ノバラ、海草、ナマコ等を見つける。ねぐらも津波で打ち上げられた船を使ったり、冬に備え石の家を作ろうとしたりする。その間、津波に襲われたり、ハナウドに当たったり、飢えに苦しみながらも、国境警備隊の船に発見されるまで四十七日サーシャは島で生き抜くのである。
 『ロビンソン・クルーソー』やベルヌの『神秘の島』を「あの本を書いた人たちは、想像だけで書いたんじゃないだろうか。」とサーシャに言わせるほど島の自然は厳しく、それだけに実話の持つ迫力や現実感に圧倒されるが、驚くのはサーシャの知識の豊かさである。ユリ根やイガイの食べ物ひとつ取っても、私にはとてもかなわない。火の起こし方やノジヤーという焚き火ののろしなどに至っては感心するばかりだ。サーシャのこの知識は「ぼくの全財産は、身につけてもち歩いている知識や技術」で「がらくたにかこまれて暮らすより、何がなくても世の中を見て歩く方がいい」というお父さんから受け継いだものである。サーシャが何かにつけて思い出し心の支えにする大きな父親像抜きに、この物語は語れない。
 やはり実話をもとに『ビーバーのしるし』を書いたE.G.スピアによると、サバイバル物語に必要な要素は、水、食べ物、住家、仲間と主人公の成長だという。本書には『ロビンソン・クルーソー』の犬やフライデーのような仲間は最後まで出てこない。実話の厳しさだろう。その代わりサーシャの気持ちが丹念に書き込まれ、仲間と主人公の成長の要素二つを一緒に満たす結果となっている。本書の物語としての厚みもここから出てきている。
 最初の二、三日、サーシャは冒険に憧れた軽い気持ちでいた。しかし発見されないまま日がたち雨や飢えと闘ううちに、真剣に生きるということを考える。お父さんや死んだお母さん、友達のことを思い出し、ひとりぼっちの寂しさに苦しんでは大きな声で自分に話しかける。だが、サーシャは決して勇気を失わない。サーシャは思う、「無人島こそ、自分をためすことのできる場所なのだ…人間はたたかって勝つために、生命をあたえられているのだ…島はぼくに、ほんものの生活をおしえてくれた。これからも、いろいろおしえてくれるだろう。ひょっとしたら、ぼくを殺すかもしれない。でも、それは島がわるいんじゃない。わるいのはぼくなんだ。」 大人も含めた都会人に新鮮な感動を与えずにはおかないだろう。(森恵子)
図書新聞 1988年7月23日