『南仏の光、イタリアの風』
『9月の出会い』

ヤン・ナッシベンネ

河野万里子訳 太平社1996

           
         
         
         
         
         
         
     
 ヤン・ナッシベンネによる『9月の出会い』と『南仏の光、イタリアの風』は、ゆったりとページを繰りながら、静かな気持ちで読みたい本だ。二冊には、すべてのページに、作者本人による絵が入っている。
 これは絵本でもあり、また、大人のための懐かしい小説でもある。描かれているのは、少し昔の子どもの日常だ。『9月の出会い』では、パリに暮らす裕福な少年と、カリフォルニアの貧しい少女のくらしが、交互にあらわれる。二人は、生きている国も環境も違う。けれど、孤独なところは一緒だ。少年は、両親が遊びに出かけて留守がちで、贅沢な部屋でひとりぼっち。少女の方も、両親が農場の日雇いで忙しく、ひとりで留守番だ。そんな二人は、空想をふくらませて一人遊びをする。それを読んでいると、子どもの頃、たまたま一人で家にいたときのこと、しんとした冷たい気配を思い出した。
 やがてパリの少年は、夏休みになり、英語を勉強しにカリフォルニアに渡る。二人は初めて出会い、さらに大人になった彼らは、また再会し‥‥、と、話は劇的に進んでいく。
 一方、『南仏の光、イタリアの風』は、ナッシンベンネの自伝的な作品だ。彼は、子ども時代の休暇を、まるで古い写真を一枚ずつ眺めるように、回想していく。
 主人公の少年は、家族といろいろな土地で過ごす。ある時は、南仏の別荘地。そこはニースとカンヌの間にある地中海沿岸で、強い陽射しを浴びて海で泳ぐ。北イタリアにあるスイス・アルプスの避暑地では、ゴルフと山歩きをする。パリではいとこと遊び、家庭教師の実家がある北イタリアの農家でもすごす。一九五○年代、戦後ヨーロッパの上流階級にはまだ残っていた、古き良き時代の名残りが、品格と、ある種の滅びの美をたたえて、たゆたうように流れている。最後に少年は、家を出て、両親とも若い女の家庭教師とも別れ、寄宿学校へ入る。それによって子ども時代のステージが終幕を告げたかのように、物語も終わる。
 二冊とも、ナッシンベンネの絵が美しい。色彩に、すいこまれそうな透明感がある。それらは、飲みかけのカップ、おもちゃが散らばった部屋、誰もいない夏の日のプール、木もれ陽の下で三輪車に乗っている男の子、といった、子どものくらしの何気ない一こまだ。しかし、そこに描かれていない大人たち、たとえば子どもの両親や叔母たちの人生のドラマもしみじみと感じさせる。
  風景の絵も、味わい深い。パリのセーヌ河畔、霧に包まれた北イタリアの田園、スイスアルプスの山麓、乾燥したカリフォルニアの砂漠‥‥。ため息がもれるような詩情がある。
 二冊は、それぞれフランス語と英語で書かれており、訳者は、英仏二カ国語に堪能な河野万里子氏だ。
 読み終えて最後のページをめくったとき、じーんと余韻が体中に広がって、鳥肌が立った。作者と読者は、たとえ育った国や時代は違っても、子ども時代への郷愁は、国境も時ももこえて相通じるものがあるらしい。(松本侑子
日販「DO BOOK」1996年12月号