クレスカ15歳 冬の終りに

M・ムシェロヴィチ 作
田村和子 訳
1990年(1986年) 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
    
 冬の時代にも青春はきらめく
 私事だが1981年十二月十三日、鋭い寒気の中、私はパリから鉄道で一時間ほど離れたシャルトルを彷徨していた。とうとう雪になり、大聖堂も街も白く煙っていく中で、ヨーロッパの冬の厳しさを感じていたのだが、ちょうどこの日、ポーランドでは最も厳しい冬が到来したのだった。ヤルゼルスキ内閣が戒厳令を発動し、国家転覆の意図が明らかになったとして「連帯」のメンバーがいっせいに拘束された日だ。
 それ以後、八三年の一月終わりから三月中旬までの、ポーランド西部の都市ポズナニが舞台となっている。それから六年後、東欧、特にポーランドは世界的な変動・改革の先き駆けとなり、「連帯」は合法化され、ワレサを首班とする内閣が誕生することになる。しかし作者がこの作品を執筆した当時は、検閲のため「連帯」という言葉すら使うことができなかったのだ。
 と書くと、何か暗く重苦しい作品のようだが、まったくそうではない。確かに現代史の過酷な一ページの日々ではあるが、これは、きらめくような若い人たちが、青春特有の激しい振幅で愛し、悩み、交錯する物語であり、その中を火花のように駆けめぐる、魅力的な六歳の少女ゲノヴェファの物語でもあり、元リツェウム(高等中学校)の教師ドムハヴィエツ先生とその孫娘クレスカ、そしてクレスカの担任、エヴァの葛藤の物語でもある。雪の上を吹き渡る風のようにさわやかな、このすぐれたジュニア小説は、もちろん状況よりも人間のドラマを描いているのだが、やはり刻々と動いていく<歴史>という物語を重ねあわせることによって、より重層的に理解することができるだろう。それは舞台となるポズナニが、五六年「パンと自由を求める」労働者の蜂起によって、多くの犠牲者を出しながら民主化の拠点となった街であり、またドイツ占領時代の面影を残す街、現代的な商業都市でもある、という構造にも似ているようだ。

 <愛>のスパイスが効いた物語
 第一主題は、好青年マチェク(『灰とダイヤモンド』の彼と同じ名前!)と、これまた何とも個性的でチャーミングな少女クレスカの愛だ。蠱惑的な美人マティルダの出現により二人の仲はぎくしゃく揺れるが、マチェクはやがてマティルダの俗物性に気づき、クレスカとめでたく「両思い」となる。その第一主題に鮮烈な存在感でまつわりついてくるのが幼いゲノヴェファだ。赤いベレー帽にブーツ。やせっぽちの小さな女の子。いつもひどく咳をしている。舗道から湧いて出たようなこの奇妙な子どもは、知らない家へ急にお昼を食べに来る。そして家族の話題に首をつっこみ、結果としてクレスカとマチェクをはじめ、人びとの心を開き、つなぐ役目を果たしていく。第二主題はこのゲノヴェファと、実の母親で、クレスカの冷酷きわまりない担任教師であり、生徒にも我が子にも愛情を持てないエヴァとの関係、そしてエヴァと、かつて彼女を教え、今は病の床にあるドムハヴィエツ先生との、<教育>をめぐる緊張関係である。幼い少女は、アウレリアという本名で、母の仕事中に近所に預けられているのだが、そこを脱け出して自由にゲノヴェファとして歩き
廻っている。その天衣無縫な行動は『地下鉄のザジ』(レーモン・クノー)のザジを想起させる(もちろん幼いからザジのような悪たれではないが)。しかし抑圧されているアウレリアとして登場する彼女は、まったく違う子どものように描かれ、それが一人の子どもだと認識する時、読者はびっくりさせられる。こんなところ、実にうまい作家だと思う。
 前述のように検閲のためはっきり書かれてはいないが、クレスカ自身の両親はおそらく「連帯」の活動家として逮捕されたのだろうし、ゲノヴェファを暖かく迎え入れる家庭の一つボレイコ一家も父親が拘留されている。夫に去られ、赤ん坊を育てているガブリシャは、堂々と自立した女性だが、状況の辛さに泣くこともある。
 しかし、ハムやソーセージを買うにも配給券が要り、何時間も並ばねばならないこうした冬の時代、子どもや教え子に対して冷酷になったエヴァが責められようか? この教師に対してクレスカたち生徒はユニークな反抗をする。申し合わせて同じ色の服を着て登校するのだ。ラストでエヴァとゲノヴェファの心がはじめて溶けあってから、エヴァは生徒たちが木曜日に着ると宣言した紫色の服を自分も用意する。どんなに素晴らしい和解がこのあと待ち構えているか、と思わせる幕切れだ。錯綜し、躍動する物語の全体に感じられるのは、人びとの、そして作者のまなざしの暖かさだ。
 原題は『ロスウの中の阿片』という。ロスウは作品の中でも皆が盛んに食べる、牛肉でダシを取ったスープ。幼い少女は自宅で出されるロスウを決して食べなかったが、訪れた家庭では驚くほど食欲を発揮する。それはきっと<愛情>という阿片のようなスパイス入りだったから……と作者はいいたいのだが、物語の中ではこの少女ゲノヴェファこそが、人びとの人生への愛をかきたてるスパイスの役目を果たしているのである。(きどのりこ)

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 マウゴジャタ・ムシェロヴィチ(Malgorzata Musierowicz/1945〜)
 ポーランド生まれ。造形美術大学でグラフィック・アートを専攻し、挿絵の仕事を手がける。1975年『無口な少年と家族』で児童文学作家としてデビュー。現代の若者の微妙な内面を描き出し、人気を得る。1992年『ノエルカ』でIBBY(国際児童図書評議会)国内賞を受賞。主著は『カリフラワーの花』(1981)、『クレスカ15歳 冬の終わりに』(1986)とその続編『金曜に生まれた子』(1993)など。

児童文学の魅力・世界編(ぶんけい)p.88-89
テキストファイル化長屋有里