十二人の踊る姫君

カイ・ニールセン絵

岸田理生訳 新書館

絵本むかしもいまも 第10回
華やかな時代の寵児 カイ・ニールセン
           
         
         
         
         
         
         
    
 ラッカムやデュラック同様に、ヴィクトリア時代の豪華本を彩った画家に、カイ・ニールセン(1886〜1956)がいます。不安定に上下に引き伸ばしたような造形は、幻想的で妖艶なムードを醸し出し、特徴的です。
 コぺンハーゲンで、有名な俳優を両親に生まれたニールセンは、幼い頃から舞台芸術に親しみ、母親に読んでもらった古い北欧の伝説に心遊ばせながら育ちます。十七歳でパリの画塾に入学、本格的に絵を学びますが、ちょうどその頃、パリでも大流行したロシアバレーをはじめ、東洋美術、ジャポニズム、アールヌーボーからアールデコ、何より、十九世紀末に活躍、わずか二十六歳でこの世を去った天才画家オーブリ・V・ビアズリーの影響を色濃く受けます。そういえば、縦長の造形も、しつこいくらい細かく描かれた装飾的な点描も、どこかビアズリーに通じるものがあります。
 カイ・ニールセンが、イラス卜・レーターとして注目を浴びるのが、イギリスに渡っての仕事『おしろいとスカート』(1913年)、『太陽の東、月の西」(1914年)です。『太陽…』は、彼の最高傑作と言えるのですが、残念ながら邦訳本は現在絶版。
 さて、この『十二人の踊る姫君』は、アーサー・クィラ・クーチ卿の手で再話、編集された妖精物語集に収録された一遍。毎夜毎夜、一足ずつ舞踏靴を履きつぶすまで踊りつづける姫君たちの不思議な物語。ここでは、ニールセンの筆は、少々気恥ずかしいほどにサービス満点。これでもかこれでもかと描きこまれたドレスの装獅と凝ったデザイン、おそろしく膨らんだへアスタイル。舞台芸術については、もちろん親譲り。至れりつくせりの舞台設定です。極めつけは。何とも色っぽい登揚人物、その眼差し。
 それらは総じて、どこか一世を風靡した少女漫画『べルサイユのバラ』…、そう! 宝塚歌劇でのミュージカルを連想させる…。そう思うのは、私だけでしょうか。
 ニールセンは、他にアンデルセンやグリムを手がけ、当時隆盛を極めたファッション雑誌の表紙絵を飾り、舞台芸術の仕事にも取り組みます。一九三六年、アメリカのデイズニー・ス夕ジオから招聘を受け、アニメーション映画『ファン夕ジア』の美術デザインを一部担当します。けれど、仕事の性格の違いに、第二次世界大戦の勃発も重なり、彼の渡米後の仕事は成功には至りませんでした。画家の晩年が、困窮で不遇のままに終わったという現実は、残した絵の華やかさとは裏腹で、哀しいものがあります。ひとつの時代の明確な終焉と、時代の変化の冷徹な残酷さを見る思いがします。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「絵本、昔も、今も・・・、」1999/01,02