桜草をのせた汽車

ジリアン・クロス

安藤紀子訳 ぬぷん 1987

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 久しぶりに出会った感動的な名作。
 舞台は、各地で盛んに鉄道が新設された一八四0年代の英国南部の農村。ここにも鉄道開設のための多くの工夫が来るが既に彼らの良からぬ噂を耳にしていた村人達は、彼らに反感を抱く。そんな中で、母を亡くし父を島流しにされた姉弟、レイト(十六歳)とジェム(十二歳)は、生後間もない妹との生活を支えていくために、工夫コンを自宅に下宿させる。村人達はこれに反発し、彼女らを村八分にし、彼女らの家を破壊する。村人は、工夫への憎悪から、遂にはトンネルの爆破を企て、更に悲劇的な事件へと発展する。
 この作品には、二つのプロットがある。一つには逆境にもめげず、けなげに生きていく姉弟の物語であり、もう一つは村人と工夫の対立の物語である。村人と工夫の対立は、村人とよそ者の対立であり、それはまた昔ながらの生活を守ろうとする人々と、各地を文明化する人々との対立でもある。作者は前者のプロットを通して、困難に立ち向かう勇気・愛・たくましさの大切さを語り、後者を通して、人間の心に潜む差別意識・敵愾心・復讐心など人間の愚かさ、「すべてのもののばかさかげん」を描き出している。またこの二つのプロットは巧妙に無理なく組み合わされている。例えば豚殺しのエピソードは、一方で姉弟の生活の一コマであり、他方で彼らへの村人の反発を明らかにしている。また汽車見学はも姉弟には最高の休日ではあるが、同時に村人には姉弟の家を襲う絶好の機会となる。
 心理描写や人物描写も実にうまい。特にジェムの、鍛冶屋とコンの対決時の不安、本心とは裏腹の応援を強いられるみじめさともどかしさ、幼なじみの友人とコンの両方の友達でいたいと望みながら果たせない葛藤、などは真に迫るものがある。またコンとケイトが互いに魅かれていく過程が、日常のささいな言動を通してさり気なく語られているのは、いかにも現実味がある。人物も生き生きと描かれている。特に、村人と工夫の間に立ち、常に冷静に、論理的に考え、理性的に判断し、勇気ある行動で自らの生き方を通したコンや、「人に後ろ指をさされないように」と毅然として生きていこうとするケイトの姿は読む人の心を打つ。
 性格づけで唯一不満なのは、牧師と牧師夫人の役割である。この時代の英国において、牧師は、村人の精神的な指導者で、村人と工夫の対立を仲裁すべき立場にあったはずだ。しかし彼は、ケイトが村人たちに無視されているのを知っていても何の手も打たない。彼が活躍したのは、工夫らが村に火を付けに来たとき、道理をわきまえた発言をして村を救ったことだけである。コンが、工夫らに引きずられて行った時も、「工夫たちのけんかは、工夫らたちに決着をつけさせるのだ。」といって立ち去ってしまう。勿論楽観的な見通しがあったとしても、結果的にはそれが悲劇を生んだとも言える。なぜもっと早くから、この対立を解消すべく、何らかの方策を講ずることができなかったのか。牧師夫人に至っては、自ら姉弟を無視するのだから論外だ。唯一の望みの綱は、牧師の娘エレンである。彼女は母親の反対を押し切ってコンの救出に向かい、その後も赤毛の工夫の見舞いにも行っている。しかし彼女ですら以前は、ケイトに「工夫たちがいってしまったら、私は、あなたの味方よ。」と言っていたにすぎない。これも人間の差別意識・愚かさの表れか。
 もし、もう少し牧師に活躍させていれば、これほどの悲劇的な結末は免れたかもしれない。しかしそうなれば、物語の展開は変わり、この作品を感動的なものにしている最大の要因を失うことにもなりかねない。個人的好みで言えば、結末はもう少し悲劇的でない方が好きだが、それはこの作品の結末が悪いという意味ではない。 ではコンの死の意味は何か。コンは死ぬ直前にケイトに「ほっとけ、ほっとくんだ、いいな。」「これでー終わりになるーーあんたたちがーーほっとけ。」と言い残す。つまりコンの死は、村人と工夫の果てしなき、戦いに終止符を打つための犠牲の死であったのだ。コンの死が、工夫らのヤリ場のない怒りと、村人たちの工夫達への無関心さとの産物であることを考えると、やはりそれは村人と工夫達の愚かさの結末と言えよう。コンの死によって村人も工夫も自らの愚かさに気づき、今後無意味な抗争がなくなれば、その時コンの死が意味を持つ。この悲劇的な結末のせめてもの救いは、村人達が遺体に弔意を表し、自らの愚かさを悟り始めたことだ。鉄道が開通し、更に多くのよそ者が訪れた時にも、二度とこのような事件が起こらないようにとコンは死んだのだ。
 文体は、邦訳で見る限り、完結で無駄がない。しかし邦題は、この内容にはややロマンチックすぎるのではあるまいか。(南部英子
図書新聞1987/12/12
テキストファイル化 妹尾良子