「さらわれた王子さまと庭師の娘」


ゲルハルト・ホルツ・バウマート作

平野卿子訳 講談社 1986/1994

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
きれいな王子が大女にさらわれる。大女は別に王子を食べたいわけでなく、あんまりきれいでかわいいもんだから、家に閉じ込めて世話をしたいわけ。王子がさらわれたニュースをテレビで知った庭師の娘は彼を助けるべく柔道を習ったりして準備怠りなく旅立つ。
という物語のスタートを読むと、「あら? またあれなのか」てな気分になってしまいます。確かにこの物語は、またあれです。つまり、フェミニズムの視点による昔話の書き換え物語。昔話はその荒唐無稽さにより、近代以降は子どもに下げ渡されたので、絵本や幼年童話といった形で流布していますよね。
従って、もちろん「楽しさ」も重要だけれど、もう一つ「教え導く」もすべりこませることが多い。ペローやグリムが活字に定着した多くの昔話のなかでも、「赤ずきん」「シンデレラ」「白雪姫」などがもっともよく流布される理由の一端はそこ。で当然のように書き換えは、「赤ずきん」「シンデレラ」「白雪姫」などが教え導こうとするよき女の子像を中心に行われるけれど、これが結構難しい。というのは、単に教え導く方向を逆にしてしまう書き換えは、女と男の位相はともかく、大人と子どものそれは何ら解消しないから。ために、元ネタよりもつまらないストーリー(だって、逆であっても焼き直し、つまり裏焼きにすぎないですもん)になってしまうことが残念ながら多いわけ。「アリーテ姫の冒険」なんかがその例かな?
さて、この物語は? 娘に助け出された王子、助け出されたことをちっともうれしがらない。だって王子は何もかも世話をやいてくれる大女の家にいたかったから(だって男はそのほうがラクチンだもんね)。それが分かった娘、「またどこかの王子さまがさらわれても、二度と助けにはいかない」と決心する。
じゃ、この冒険が無駄だったかというと、娘はこう思います。「なんでも経験してみることだわ」。 これには笑ってしまいました。
裏焼きじゃない書き換えの一つの方向を見せる物語が一つ生まれたのかもしれませんね。(ひこ・田中
                   
「ウィメンズ・ブックス」94,2