一九五九年の「成長物語」
−個と共同性のはざまで−(1)

芹沢 清実
(UNIT評論98・論集)

           
         
         
         
         
         
         
         
    
はじめに・「異物」としての子ども

 小学校の「学級崩壊」が話題になっている。これまでは、残忍な事件を引き起こす少数の少年(多くは中学生)について、彼らの特殊性を論じていれば、それで事足りたかもしれない。しかし、いま問題になっているのは、それとは規模が違っている。多数の子どもたち、しかも小学生という、より低年齢の子どもたちが、大人と秩序に向かって公然とさからうという事態なのである。子どもたちが敵対する相手も、大人からみて明白に間違っていると了解できる抑圧的な教師などではなく、熱心なベテラン教師であることが珍しくないようだ。新聞の紙面では、子どもが何か理解不能なもの、異物に転化してしまった、という大人の当惑や嘆きが報じられている。
 近代は、大人とは異なった存在としての子どもを見いだしたが、それはあくまで、了解可能な存在であり、いずれは大人へと成長する存在として、既存の社会システムに親和性をもつものであった。それが大人の理解不能な存在、従来の人間とはひどくかけ離れた存在に転化してしまうというイメージは、しかし、とくに目新しいものではない。典型的なものをざっと思い浮べるだけで、古くはアーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』(SF、一九五三)などに始まり、八十年代以降になるともっぱらコンピュータがもたらした変化とのかかわりで、佐藤史生『ワン・ゼロ』(コミックス)や、いとうせいこう『ノーライフキング』(小説、市川準監督により映画化も)などの作品によって提示され続けてきた。いま、そうしたイメージが急激にリアリティを帯び、目の前の子どもの姿をとって大人たちの前に出現しているかのようだ。
 近代はまた、子どもと大人の中間にある青年という存在をも見いだした。そして社会の生産力が向上するにつれ、この青年期はずるずると長くなっていく。その結果、大人と子どもの境界が不明瞭になっていくという事態もまた生まれる。こういう社会では「大人からの、子供への畏れも、そのぶん薄れている」とみる高田宏は、かつての民俗行事や東西の文学作品から、始原の時間を生きる、人間の「内なる自然」としての子ども像の再発見をこころみる(『子供誌』九二。引用は平凡社ライブラリー版、九九)。高田はユゴーの次のような詩句をひいて、子どもの聖性の回復が必要だとする。

 風に吹かれるたびに揺れうごくこの社会の土台に、/思想家は、あの聖なるふたつの柱を建て直す、/年老いた人への敬意と、幼子への愛情という柱を。

 ここで高田が述べていることは、ちょうど柄谷行人が「児童の発見」(『近代日本文学の起源』講談社八0所収)で指摘したような「子ども」という観念をめぐる転倒を、そっくり裏返したもののようにみえる。しかし、いまわたしには、柄谷のようにイデオロギーの虚偽性をあばくポストモダンのことばよりも、高田のようにイデオロギーの存在意義を再確認することばの方が、より親しいものに思える。ある意味でイデオロギーこそが、大きな物語の源泉であるからだ。
 近代がはぐくんできた夢のひとつでもある「子ども」というイデオロギーは、いま大きく揺さぶられている。
 子どもはもはや、彼らの成長の延長線上にかつての大人があるような、多くの大人にとって理解可能な存在ではない。いわば、大人にとっての他者性が明白になっているのが、今日の事態である。しかし、現代の子どもが大人とは異質な存在だからといって、かつての共同体におけるのと同質な聖性を帯びるわけではないこともまたあきらかである。
 子どもをめぐる新しい物語をつむぎだすうえで、児童文学はどのようにして子どもを再発見すればよいのか。手におえないほど大きい、この問題を考える手がかりとして、以前とは異なった新しい子ども像が児童文学というかたちで提出された時期、つまり「児童文学の中で近代的子ども観が確立していこうとした時代」(古田足日「座談会・児童文学のボーダーレスを考える」:「日本児童文学」九八年11−12月号)をふりかえり、その時期の作品群の中で提出された子ども像がどのようなものだったかを、こんにちの視点から再検討してみたい。


1・世代交代としての童話伝統批判

日本児童文学における「現代」の始点を一九五九−六0年頃に置くというのは、今日の定説になっている。この「五九年=始点」説について、野上暁『日本児童文学の現代へ』(パロル舎、98年)は、敗戦後の児童文学の急速な復興から若い世代による伝統批判にいたる当時の過程を詳細に分析し、以下のように位置づけている。

 児童文学の戦後は、民主的児童文学の主張などに代表される革新のいぶきの中にあったけれども、その理念はともかく、方法意識としては戦前・戦中から地続きでつながってきている点を、戦時少国民世代はみごとに見抜き、いっこうに実体化せず、いたづらに掛け声ばかり高い民主的児童文学のあいまいさを、日本児童文学のメインカレントであった童話伝統批判でくくり、みごとに訣別を告げた。(中略)こうして決算された“戦後”児童文学の終焉の後に、私は現代児童文学の出発点を見る。

 ここで若い世代が仕切った出発点として位置づけられているのは、先行する世代の中堅作家たちの「戦前・戦中から地続きでつながってきている」方法意識に対する批判である。そうした古い方法意識に対抗して提出された、童話伝統批判を行なう側の問題意識を、宮川健郎は次の三点に集約している(『現代児童文学の語るもの』日本放送出版協会、九六)。

 (1)「子ども」への関心 −児童文学が描き、読者とする「子ど  も」を、生き生きとしたものとしてつかまえなおす。
 (2)散文性の獲得 −童話の詩的性格を克服する。
 (3)変革への意志 −社会変革につながる児童文学をめざす。

 この問題意識はまた、古田の言う「児童文学の中で近代的子ども観を確立する」ための課題意識でもあった。この課題意識が、野上が分析したような児童文学界における世代間の闘争をへて提出されてきたものだということは、興味深い。子ども観というものは、大人の側でも、古い世代と新しい世代の争点となることを示しているからである。古い世代のそれよりも、より「生き生きした」つまりリアリティのある子ども観を提出することは、新しい世代の正当性のあかしとなる。
 こうして評論の側から「戦後の終焉と現代の出発」が切り拓かれ、創作の実地をみても、五九−六0年には、長編をひっさげた新しい作家たちが続々とデビューする。単行本の出版でみると、次のような作品群がみられる。

<五九年>
・いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』(中央公論社)
・斎藤了一『荒野の魂』(理論社)
・佐藤暁『だれも知らない小さな国』(理論社)
・柴田道子『谷間の底から』(東都書房)
<六0年>
・今江祥智『山のむこうは青い海だった』(理論社)
・木島始『考えろ丹太!』(理論社)
・鈴木実・高橋徳義・笹原俊雄・槇仙一郎・植松要作『山が泣いてる』(理論社)
・立原えりか『木馬がのった白い船』(書肆ユリイカ)
・松谷みよ子『龍の子太郎』(講談社)
・山中恒『赤毛のポチ』(理論社)
・山中恒『とべたら本こ』(理論社)
・山中恒『サムライの子』(講談社)

 これらの作品には、前述した童話伝統批判と軌を一にして、新しい方法意識をもって書かれたものが多い。では、作品の中で具体的に描かれた新しい子ども像、すなわちこの時期に「発見」され児童文学に描かれた「近代的子ども」像とは、どのようなものだったのか。野上や宮川の言説をふまえながら、わたしなりに、とりあえずは次のようにまとめてみたい。
 テ先行する世代=大人とは異なる独自性をもち、違った可能性をひめた、新しい世代としての子ども。
 ト社会の核心的な問題に向き合い、それを解決する可能性をもつ存在としての子ども。
 ナ個性をもち、その行動で物語を牽引する力をもつ、主体的な存在としての子ども。
 こうした新しい子ども像について、以下、作品に即して考察する。

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