そこに僕はいた

辻 仁成
角川書店 1992

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 18のエッセーからなる1冊である。『そこに僕はいた』はその1つの題名でもある。辻 仁成の小学4年生から青年期までの、エピソードを取り上げユーモアをまじえて書いている。思春期の男の子の心理を描いた作品としても読める。

 性をとり上げた作品ということで読んだが、性についてをクローズアップさせた作品ではなく、作者・辻 仁成が少年期から青年期に出会った多くの友人を描きながら、またそこにいた僕・辻 仁成が、友人の中であらゆる事を学び、感じ取り、内面的に成長してゆく過程が描かれている。
 ここで、18のエッセーから性を扱った作品を取り上げてみる。

「おくてでかつひねくれ者の恋の行方」
 この作品の最初の章である。僕は小学4年生、僕の気持ちとは反対に、クラスメートの好きな女の子に、嫌がることばかりしてしまう、ひねくれ者だったと言う。そんな自分がいとおしいと、作者は言っている。
 なるほど、小学4年のころといえば、そんな風にしか気持ちを表すことが出来ないのかもしれない。異性を意識した始まりであり意識してこそ、反発するものだと思った。
 私にとっては遠い遠い昔のこと、そんな思いはもうとっくに忘れてしまっていたが、こんなこともあったかもしれないと思えるような、異性への淡い初恋の思い出を描いている。
 
「キャサリンの横顔」
 僕が初めて胸のときめきを感じた女の子は、塾で会うキャサリンというニックネームの女の子であるが、仲間の男の子もみんなキャサリンが好きだったという。
 20年後、キャサリンの消息を調べ、彼女の幸せな様子に僕は本当にうれしいと言っている。「僕には僕の時間が流れていて、キャサリンにはキャサリンの時間が流れていた」と、辻 仁成は甘くちょっぴりすっぱい恋の思いをこのように表現し、「確かに僕はあの時あそこにいたのである」とこの章を締めくくっている。
 
「ちっちゃな先輩が負けた理由」
 この章では、高校生の男の子の性関心の強さを描いている。柔道の試合の前にえっちな話を聞いた硬派の先輩は、試合に負けてしまうのだ。「その不器用な男に僕はあこがれた」とその時の僕の思いを綴っている。えっちな話で動揺してしまう、素朴で純粋な人間にあこがれている作者に、私はあこがれてしまう。繊細な感受性をもち人間愛に満ちている僕を、私は感じた。

「青柳青春クラブ」
 僕が高校1年のころ、青柳青春クラブと呼ぶ下宿は、不良のたまり場であった。「僕たちの1番の興味はやっぱり女性のことだった。僕たちは青春特有の悶々の中にいたのである」と言っている。性に関する興味は、小学4年ごろから始まり高校生のこの時期に、生活の中で、大きなウエイトを占めて行く様子が、分かりやすく書かれていた。
 このように性を扱っている4章を改めて読んでみると、この作品の中で始めに思ったよりもずうっと性について詳しく書かれていた。
 男の子の性を理解する作品としても、心と体のアンバランスな思春期の男の子の心理を理解する作品としても読めた。

「青春の鉄則」「アイウオンチューアイニージューアイラブユー」「夢の中へ」
 僕の高校時代と卒業後の様子が書かれていた。進路に迷う高校生の僕は、ロックバンドのことを「こんな楽しいことをして飯が食えたら最高、この考えは今も昔も変わらない」と言っている。ロックシンガーであり、小説家でもある作者の生き方がうかがえる。好きなことを、仕事にできる能力に恵まれた人と思う。
 また、高校3年と言う不安定な時期に、一生に関わる大切なことを、決めたくないとも言っている。
 高校3年のとき、私自身も、どんな生き方をするのか、どんな職業につきたいのか、分からなかった。だから、あまり深く考えもせずに進学という進路を選び、時間を稼いだにすぎない。そして学生時代に、徐々に自分の将来について考えるようになったと思う。
 高校の3年間は、追いまくられるように過ぎて行ったが、学生時代は、少し余裕があったように思われる。
 ここでは、高校時代の若者らしい夢や不安が描かれ、この時代の僕が今の作者の生きかたを決定していると思う。そして、多くの高校生の気持ちを、代弁しているとも言えるのではないか。
 現代の中学生、高校生に将来の夢や希望を描いて語り合える、ゆったりとした時間と仲間が必要だと思うのだが、何とかならないものだろうか。

「そこに僕はいた」
 この本の題名となっている「そこに僕はいた」の章では、僕が小学3年のころに出会った、片足のあーちゃんとの関わりが書かれていた。
「どうしてあの子と遊んじゃいけないの」と言う、僕の問いに、「もしも事故でもあったら大変でしょ、僕は責任とれるの」と言った大人の言葉に、作者はひどく複雑な気分をあじわい、「いまだにあの女の声が僕の耳の奥にやきついている」とまで言っている。
 あーちゃんとの関わりの中で、遊びを通して、ハンディを背負った人と自然につきあえるようになった事を、エピソードをまじえて感動的に描いている。作者の気持ちの変化、心の動きがよく分かり、子どもというものは、こんなにも多くのことを、感じることが出来る感性を、持ちそなえているものだと感心した。作者の鋭い感性とやさしさがひしひしと伝わってきた。ここに作者の思想の根底に流れるものが見えた。
 18のどの章も作者の思いがあふれていたが、私はこの「そこに僕はいた」の章が、心が温まり一番好きな作品だ。

 作者はこのエッセーを20年も前のことと言いながらも、現在のことのように、こと細かにユーモアをまじえて描いている。友人の一人一人を頭に思い描けるほどに、個性豊かな人物像を描き、ぐんぐん引き込まれておもしろく、少女のころの自分を思い出して、懐かしくもあった。また、親の気持ちになったり、子育ての反省をしたり、子どもの心に戻ったりして読み進み、人間とはと考える深みのある作品であった。
 作者はこの作品で、自分とは何かを、自分に問いかけているのではないだろうか。18のエッセーの中で自分の存在を確認していく作業をしていると思う。また作者は、自分を形成していったものは何かを追求しているのではないか。それを解きあかすために、自分に大きな影響を与えた、多くの友人たちの人間を描こうとしたのか。
 本の題名どおり「そこに僕はいた」は、どの章においてもその時その場所に確かに僕はいたのである。そこから作者は自分を探そうと試みた。自分探しの一つの方法なのかもしれない。
 この作品では、少年期から青年期の僕が描かれていたが、作者の生まれてから少年になるまでの時期は、どんなであったであろうかと興味がもたれる。
 作者は成長の過程に出会った多くの友人を愛し、また自分をも愛し、人間愛に満ちた、幸せな人だと感じた。

 この作品を読んで、私は一体何者なのか、と考えさせられた。人の事は少し分かっても、自分のことが、どれほど分かっているだろうか。自分を知ることが、一番むずかしいことなのかもしれない。
 僕・辻 仁成のように、こんなに多くの自分に関わりのある人間はとても思い出せないが、幼いころの自分の姿を思い出してみる事から始めたら、何か手がかりがつかめるかもしれない。そして、私が出会った多くの友人、可愛がって下さった方々、私に影響を与えてくれた方を思い出すことからはじめよう。
 自分を客観視して、少しでも自分を知り得る事ができたなら、人との関わりがもっとスムーズにいきはしないか。そんなことを考えることが出来た。
 「私は何者か」これからの私の課題かもしれない。(阪田憲子)

タンポポ17号 2000
テキストファイル化中島京子