草原―ぼくと子っこ牛の大地―

加藤多一・作 長 新太・絵 
あかね書房 1985)

           
         
         
         
         
         
         
         
    
北海道にこだわって
 加藤多一さんは最も頑固に北海道の心象風土を守りながら、創作活動に打ちこんでいる作家である。知識ではなく身体で知っている厚みは、どの作品にも表れており、良い意味での道産子ぶりは圧倒的である。
 加藤さんは昭和九(1934)年北海道はオホーツク寄りの滝上町に生まれた。大学卒業後は札幌市役所で文化行政の重いしごとに取りくむかたわら、児童文学作品の創作に情熱を燃やしていたが、1986年辞任。一転して稚内の北星学園短期大学教授。
 現在は上川郡剣淵という所に住んで童話を書き、釣りを楽しみ悠々とした暮らしぶりだ。町外れのニレやシラカバやハンの木の、青い葉っぱに隠れたミノムシのように(大変失礼な言い方だが)ひっそりと住んでおられるから、何時の間にか身体も心も透きとおるようになった。そして『草原―ぼくと子っこ牛の大地―』を書いた。いや、紡ぎだした、ということの方が当たっているだろう。
 北海道の故郷を大事に考える作者が、詩情豊かに紡いだこの作品には、‘ぼく’の存在感が大きい。サブタイトルを‘ぼくと’と明快に設定したことによって児童文学の核心部が鮮明になった。ぼくと牛と大地を描くためには厳しい農山村の現実に触れなければならず、父や母を含めた大人も描かれなければならなかった。
*家族は四人と五十一頭の牛
 心象風土としてのぼくの目に投影された北辺の酪農一家の、すさまじいまでの日々の戦いは、壮絶ともいえる。まず第一話草原」の立地条件は次のようなものだ。
 <北海道の北のはずれの村>で<生徒が十九人、先生四人の小さな学校>、気温は<三月になっても冬のどまん中><五十頭の牛がみんな白牛になるほど寒い朝がつづく><遠くのウエンシリ岳は、まだまっ白だ。その下に、ユキコのうちのサイロが光っている>
 寒さはなかなか緩もうとしないが、草原を舞台にぴちぴち躍動する子どもたち。いや、人間ばかりではない。牛をはじめとして、大地に生きる生命あるものの連続感、とりわけ異性を意識する中で育っていく含羞。人間の讃歌。
 反転して二話の「掘る」は、少年の怒りの発散する空しい営為。昨夜、火事のために牛舎を焼き、若牛が死んだ。失火の原因は‘ぼく’にあると決めてしまって、大人たちが自分を気遣うのがやりきれない。
 穴には若牛メープルの死体を埋めるつもりだったが、それでは保険が適用されないとあって牛は焼却場へと運ばれていく。ひたすらな営為が何の用にもたたない空しさ。ヨシノブはその空しさに向かって掘る。
 酪農の将来と現実を正面から見据えた「小さな川」では父と母のとっくみ合いが微笑ましい。両親の争いを姉と弟は悠々と見守りながら「そろそろ、やめさせてよ。ね」という弟に、姉は「よし、とめてくるわ」と応じる。
 ――ねえさんは、いまはじめてけんかに気づいたような顔で近づいていった。
「なにしてるの。牛がにげて、ハクサイを食いあらしているよ。」
「ほんとか。」
 ふたりはとびおきて、牛舎のうらの畑へ走っていった。
「にげたの、ほんとか。」
「うそ。とうさんも、かあさんも、うそだっちゅうこと知ってるのに、走ったんだわ。ばかみたい。つきあいきれんわ。」……
 家族四人のそれぞれ強かなこの本音。きれいごとだけでは食っていけない厳しさは『草原』に似つかわしい。単純なヒューマニズムを佳しとしてきた一連の児童文学の流れを超える存在感があるのは、子どもの目が大人の座標を決めているせいだろうか。

生きることの厳しさとかなしさと
 戦後五十年、日本の農業政策は転々と変わった。米を作るなという減反政策が始まった昭和四十年代半ばから、人は都市へ流入しはじめ、農村は過疎が進む。
 酪農政策はなおもひどかった。牛乳の生産がダブつくようになると、安い北海道牛乳が本州の市場を脅かすことをおそれて、川に棄てた、とこれは当の加藤さんから聞いたことである。再利用を恐れて食紅を混ぜて赤く着色した上で、破棄したという。農家は何千万円単位の借金をかかえている。
 牧場の後継者が誰かという問題は、小学生といえども避けて通れない重い課題だ。姉に恋人ができたとか、結婚するかしないかは五年生にとっても人ごとではない。当然、大人の生活、接点を描くことになる。
 その中で「セイスケ」のいやらしさと悲しさ、「ヨッコねえ」の大胆な描写。「エリコ」の大人と子どもの共鳴音。共に行間の想いは深い。
 「ヘレン」との別れも強烈だ。十六歳になる乳牛ヘレンは遂に盲て売られることになる。<うちの牧場の牛、五十一頭の中ではもちろん最年長><子孫はうちの牧場だけでも十二頭もいる>いわば‘うち’の恩人的な存在だが、感傷だけで‘経営’は成りたたない。成績の悪い牛はすぐ売って、いい牛にとりかえるのはあたり前のことなのだ。
 別れが近づいたある日、ぼくはヘレンの顔をふいてやりながら、目の周りの‘しらが’に気づく。しらがはキクの花そっくりだった。
 ヘレンが売られていく日、家族は並んで見送るが姉のヨッコだけはトイレから出て来なかった。
 ――ぼくは牛舎に走った。牛たちが、いっせいに鳴きたてる。
 ヘレンのいたところに、もちろん牛の体はなくて、四角の風がこおっていた。
<草の海の中に、ぼくらの学校がある。風のある日は、牧草がうねり、まわりから波のようにおしよせてくる>で始まるこの作品は、北海道育ちでないと書けないような気がする。その多年の業績に対して、1995年北海道文化賞を贈られた。作品を連載した「亜空間」からも祝電をさしあげた。同人の一人として、うれしいことであった。(川村たかし)
児童文学の魅力 日本編(ぶんけい 1998)
テキストファイル化富田真珠子