少年鼓手

リオン・ガーフィールド:作
高杉一郎:訳 アントニー・メイトランド:絵
福音館書店 1970/1976

           
         
         
         
         
         
         
     
 リオン・ガーフィールドは、一九六〇年代に作家活動をはじめて以来、児童文学の作家として取り扱われてきているが、それは、ディケンズや、マーク・トウェインの作品を児童文学としても論じることが可能であるといった意味とよく似かよっている。
 ガーフィールドの作品が新鮮なのは、一八世紀の歴史に題材をとりながら歴史小説にはならないで、それは背景にすぎず、現代の人間をそこで自由に動かしていく現代小説をつくりあげているところにある。激しく動きゆく現代という複雑な時代を、現代を背景にしないで描くという手法には、さまざまな可能性があり、ガーフィールドは、同じ一八世紀でも、場所や時代や海草を少しずつ違えて、七七年までに三〇冊近い作品を出版している。
 『少年鼓手』の舞台も一八世紀、イギリス軍がフランスに進軍している。希望に胸はずませ、光り輝いている少年鼓手チャーリー・サムソンは、突然の伏兵によって軍が破れ、一万人の兵士が死んだことで何が何やらわからず呆然としている場面から話がはじまる。そこには、死体から金品を奪いとっているフィンチ伍長と三人の兵士、支社の歯をとっている軍医ミスター・ショーなどが現われる。恋人への手紙をもって倒れていたジェイムズ・ディグビーは、退却の途中、納屋の梁が落ちて死ぬ。海に辿りつき、マドックスと名乗る敗残兵も含めて、七人はイギリスに逃げ帰る。
 ジェイムズの手紙の相手、ソフィア・ロレンスは将軍の娘で、ロンドンで将軍邸を訪れたチャーリーは、ソフィアを一目みて恋してしまう。「これまで、こんなに胸をつきさすように美しいひとに出会ったことがなかった。顔色はひどく青ざめていたが、髪の毛はタールのように黒く、ある種のゆたかな色が月あがりに照らし出されたときのような、深くて熱烈な黒色だった」というソフィアのために、将軍に戦争責任を逃れさす偽証をしてしまう。将軍は「わたしは、だれも責めようとは思わない。わたしたちは、みんな犠牲者なんだからね……」といい、「この少年を疑うことは、すべての名誉ある戦死者を疑うことですぞ!みなさん、どうか、わが祖国イギリスのためにすすんで命を捨てたものを疑ったりすることだけはやめてほしい。……戦死者の栄誉だけは、ゆめよごしてはなりませんぞ!」と叫ぶ。
 少年鼓手は、証言が正しいものかどうか確証をうけたとき、肖像画から敗残兵マドックスは、将軍のいうフィッツウォレン少佐であることがわかり、マドックスの恐怖にさいなまれた姿には一万人の戦死がかかっていたことを知る。彼を追って舞台は、ニュー・フォレストの森にかわる。
 森では、マドックスはつかまらず、ソフィアが倒れる。ソフィアは、今にも死にそうで少年鼓手は必死で守ろうとする。そこに入ってきた軍医ショーは、「あなたにどこか悪いところがあるとすれば、それは身体ではなくて、心だ」という。「あなたがこうして見せかけの死の床につくのは、これがはじめてじゃないですね」とあばく。ショーは、チャーリーに「おれはな、確かにこれまで汚辱と血と苦悩の世界を歩いてきたよ。……ここにあるのはそれとはちがった腐敗なんだよ。……ここには、ほんものの人生を憎み、死から死へと渡り歩く偽りの生活しかないんだ!」と教える。混乱して神の愛を口にするチャーリーに再びいう。「愛の、神のと言うのは、この世の苦しみをすっかり見てからのことにしろ」と。
 動揺の中からチャーリーは、ショーのいう「おれは、おれなりにとてもおまえを愛していたんだよ」という意味がわかり、ふるさとに帰っていく。ソフィアづきの召使いチャリティと手に手をとって。
 光り輝いていた太鼓に象徴される少年の栄光の夢は、退却のマーチとともに破れ、醜悪な現実の中に無理矢理つき落とす。無垢な少年を、軍医は出世の踏み台にしようとし、将軍もソフィアもそれぞれ利用していく。少年は翻弄されながら、何が真実であるか、みせかけの背後にあるものを少しずつ知っていく。
 ソフィアの召使いチャリティは、最初に太鼓をみたときから、「これ、真ちゅうでしょう? ほんものの真ちゅう? すごいわね!ああ、そう、そう、行く道にいかけ屋があるんだけど、あそこなら、きっとこれに一シリング銀貨を払うわね」と、即物的価値しか認めていない。こうしたコントラストはいたるところにみられる。ソフィアの赤と黒とチャリティの白という色彩によるもの、将軍というヒーローの筈の人の裏面と、戦場から歯をぬすむ悪徳軍医ショーの本質的にはヒーロー的な一面という人間の対比、ロンドンの町と森の暗さ、などである。
 『少年鼓手』の魅力は、しかし、展開のはやい冒険小説仕立てのプロットもさることながら、より作者の文体や、表現法にもある。「赤い軍服に身とつつんだ兵士たちのむくろは、いまはまっかに燃えさかって手がつけられないもののように、あっさり見捨てられた」というような比喩の多用や、強く視覚にうったえてくるイメージの華麗なことに大きい特徴がある。(それは、ガーフィールドの作品の中では、『ギリシャ神話物語』でもっともよく成功している。)視覚的想像力に注目して作品を再読してみたいものである。
 ガーフィールドは自らを、人間のあり方を追求する倫理性の強い作家であると考えているが、『少年鼓手』においても、はじめて人生に船出した少年の目を通して人間の両面性を描いていく。真実というものは、見かけほど単純なものではなく、善悪も、美醜も、逆転していく。戦争が描かれながら、敗戦ということはわかりえても、それがどのような戦いで、何のためであったかは一切わからない。ひたすら戦争のみじめさや、そこに生じる人間模様を提示してくる。「『この戦争というやつは、残酷でね。』伍長はためいきをついて言った。かれは、見かけよりもはるかにものがわかっていたのだ。『敗けるものがあって、はじめて勝つものがあるというわけだ。結局のところ、戦争というやつはみんな内戦になるんだ。勇敢に敵をやっつけたと思ったら、きまってそれは兄弟だったというわけでね。……』」という会話をよむと、『少年鼓手』全体を、現代の反戦小説とも読みうることに気がつく。ロマンをうたいあげ、栄光につつまれた過去の戦争ものを見事に逆手にとって、新しい戦争観を打ちたてているのであるから。 (三宅興子
世界児童文学100選(偕成社)
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