たつまきでお屋敷は消えた

ロビイ・ブランスカム

百々祐利子訳 文研出版 1987


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 米国の女流作家による、いかにも米国らしい作品である。つまり、広々とした農場、ハリケーンや竜巻に代表される天災、様々な人種とそれを取り巻く問題、無から生活を切り開いていく開拓精神、といった米国、特に米国南部ならではの題材のよくそろった作品である。 舞台は、米国南部のアーカンソー州の農場。物語は、十四歳の白人少女チーターにより、一人称の「あたし」の形で語られる。彼女は、農場の片隅の小屋で、貧しい白人の養父と動物達と共に暮らし、農場主の屋敷に働きに行く。ところがある日、大型竜巻が農場主の屋敷と料理人の家を奪い、彼女の小さな小屋で、これら三家族が共同生活を始める。
 この作品には、象徴的な要素が非常に多い。丘の上の立派な屋敷と、みじめな谷間のみすぼらしい小屋は、富める地主と貧しい小作農の主従関係の象徴であり、常に屋敷の存在の影になっているチーターの小屋は、いつも屋敷の存在に脅かされている彼女の精神状態と同じである。また一瞬にして農場主から全財産を奪い、すべての人々を平等にした竜巻は、まるで奴隷制度を崩壊させた南北戦争のようだ。更に、他に引き取り手がなく、雌鳥におびえ、チーターの胸元に頭を入れてくる弱虫の雄鳥は、やはり他に引き取り手がなく、屋敷の女主人をおそれ、養父に抱きしめられてこの上ない幸福を感じる主人公の分身とは言えまいか。
 作者は、これらの象徴的な要素を巧みに使って、いくつかのテーマを語っている。奴隷制度や主従関係の存在した古い時代が終わり、万人が平等な新しい時代になったこと。それにもかかわらず、それに順応できない人間がいること。そして社会にも依然として、人種的偏見や差別が根強く残っていること。黒人や貧しい白人の中には、自らの意識の中で、自分の自由を束縛している人間がいること。彼らが真に自由になるためには、自からの意識改革が必要なこと。作者はそのような社会矛盾を指摘すると共に、その中で貧しさや苦しさと戦いながら、他人への憎しみを克服し、精神的な成長を遂げる思春期の少女の姿を、彼女の親友の雄鳥との関わりを通して象徴的に描いている。
 これら数多くの、しかもその一つ一つの内容がかなり重いテーマを、非常に単純化して語っているところが、この作品の特徴の一つであるとも言えよう。単純化することにより、テーマは明確で分かり易くかり、読者層を広げることができたかもしれない。しかし一方で、単純化しすぎたために、そして数多くのテーマを盛り込みすぎたために、どのテーマも、表面的で、今一歩の掘り下げに欠けていることも否めない。例えば、農場主と息子の竜巻襲来以前の人柄と考え方、そして竜巻直後の彼らの心理状態などは、もう少し書き込んだ方がよかったのではあるまいか。せっかく地主・貧しい白人・黒人という、人種も地位も異なる三種類の人間を登場させているのだから、それぞれの特徴をもう少しはっきりと書くことによって、人種問題のテーマを更に鮮明で、深みのあるものになったのではあるまいか。また女主人を救うために、最後の決断を迫られた時のチーターの心の葛藤は、憎しみを自己犠牲的な愛に昇華させていく課程であることを考えると、その苦しみの様子をもう少し書いてもよかったのではないかと思われる。また物語の終局で、女主人がチーターに詫びる場面があるが、女主人のこの 変心ぶりは、読者にはあまりに唐突すぎる。あれだけ新しい環境に順応できなかった人間が、わずかな時間に、いとも簡単に変心されては、読者は、はぐらかされた思いがする。
 確かに、心理描写・人間描写に関しては、物足りないと感じられる箇所が、この他にもいくつかある。しかしそれらは、作者の力量不足というよりは、むしろ一人称で語る語り口の必然と言えよう。つまり、すべて十四歳の少女の眼を通して語られるのであるから、そこには自ずと、観察力・洞察力・描写力の限界があるはずだ。その限界を無視した記述をすれば、そこにはリアリティーもなくなり、作品が破綻する。
 他方、一人称で語られる描写により、全編を通してのメイン・テーマである主人公の精神の成長過程は、実によく描かれている。見たこともない実の親を思い、生きることの意味を考え、何度も繰り返す盗みんい良心の呵責を感じ、養父の愛に本当の親の愛を知る。また屋敷が消えたときの開放感はつかの間で、すぐに女主人と同居することに息が詰まり、彼女への憎しみはつのる一方で、それにより自らの心も傷つく。しかし遂には、その憎しみをのり越え、女主人に手を差し伸べられるほどまでに成長する。
 様々な社会矛盾の中で、傷つきながら成長する思春期の少女の心理をよく捉え、将来に明るい希望を残す爽やかな一作である。(南部英子
図書新聞1988/01/01
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