図書館の怪人

R・L・スタイン

豊岡まみ訳ソニー・マガジンズ 1995

           
         
         
         
         
         
         
    
  「お父さん、その本なに?」
 私が、ダイニングテーブルで、夕飯を食べながら、ぺーパーバックを読みふけっている。行儀が悪い。帰りの電車の中から、やめられなくなってしまった。
「ねえ、表紙ちょっとみせてよ」
「うー? うるせーな。」
 私の十歳になる長男U(未成年なので匿名)が、にゅーっと首をのばしてくる。本の表紙カバーには、半開きのドアから、不気味な緑色の手が出ている。ただ緑色なのではないその手にはあきらかに植物モンスターを意味する緑の葉っぱが生えていて、血管も緑色に浮きでている。えーっ、怖そうー。そのとおり、これはR・L・スタインがジュニア向きに書き下ろしているグースバンプス (鳥肌)・シリーズというホラー小説のなかの一冊『地下室に近づくな』(豊岡まみ訳、ソニーマガジンス) なのだ。R・L・スタインは、アメリカのジュニア・ホラーのべストセラー作家だけれど、知ってます? スティーブン・キングなら知ってるけど、マニアじゃないと、この全米で四千万部売れているシリーズを、知らなくても普通だ。健全なる? 読書をすすめる親たちが眉をしかめる困ったシリーズでもある。つまり、それだけ面白くて、ためにならない。それじゃあ、是非読まなくちゃね。
 わたしはトイレへ立った。もどってくると、ダンイニングテーブルの上に置いた本がすがたを消している。
 あいつだー。わが家のモンスターの一匹、Uのしわざちがいない。バカモン! いまいいとこまで読んできてるのに! どこだ、どこへ隠れた?
 こうして、私とUとのグースバンプス争奪戦は勃発した。息子は机の下にいた。
 植物遺伝子の研究者である父親が、自宅の地下室で、秘密の実験をしていて、緑色の植物モンスターの虜になっていくという、ビタビタ、グニョグニョ、気持ちが悪くて、ドキドキするこの『地下室には近づくな』からはじめて、双子の姉妹が拾ってきた腹話術人形が、悪夢を生む『人形は生きている』そして、私としては一番気に入った『図書館の怪人』までの、三冊は、私が読み終わるのをジリジリしてまちながら、Uはむさぼるように読みふけっていた。ことわっておくが、Uは読書好きの小学生ではない、面白いものには目がない、普通のガキだ。あえて、このシリーズのストーリーは紹介しないが、それがホラー物を人に薦めるルールでもあるわけだ。大丈夫、かならず楽しめます!(AVのコピーみたい)
 『図書館の怪人』では、図書館の 司書であるミスター・モートマン (名前のなかにmonsterなる綴りが隠されている)が、子どもを震え上がらせる怪人なのだが、この怪人は、ハエを常食するモンスターというだけでなく、子どもと「本」のあいだにたちはだかる大人というモンスターという意味での深読みをしても 面白い。子どもに本を読ませようと、上からおおいかぶさってくる大人なんて、モンスターそのものじゃないだろうか。
 グースバンプス・シリーズと似たような、ぺーパーバック争奪バトルが行われたのは、ポプラ文庫から出ている「水木しげるおばけ学校文庫」のときだった。学校の怪談ものが流行して、それに便乗して、あっちこっちで類似企画がでまわっているけど、水木しげる先生は本家本もとだし、「本物」だし、文句あっかの世界なのだが、『墓場の鬼太郎』がコミックで連載されはじめていらいの長年のファンとしては、ガキ本に出たからといって、ナメてかかるわけがない。調布に住んでいる友人が、このまえ、踏切で水木しげるとすれちがったよ、というだけで、なんだか超常現象に遭遇したように「あっ、いいなあ」と思ってしまうのだ。異界という言葉がお好きな人たちがいるが、水水しげるの世界は、この世はすべて異界そのものであって、妖怪のことを考えている自分自身が、実は妖怪であったということすらも日常的に起こりうるのだという確信から生まれてくるのじゃなかろうか。ほら、これを読んでるあなたの隣にいる人、ちょっと変じゃありませんか?
 以上のふたつは、最近、十歳の息子と四十歳になる私が、共通に読んだ本ということになる。なんだエンターティメントじゃないかって? それかどうした。息子と同じフィールドで、体験できたということをいいたいだけです。それに、楽しかった。それでいいじゃないですか。なにか学んだかとか、勉強になったとか、すぐにはわからないけれど、体験したいじょう、なにごとかは吸収しているのじゃなかろうか。だいだ い、こう読めと「強制」される読み方しかできない本なんて、窮屈でたまらない。読書は、著者の思惑をはるかに逸脱して、空想世界に遊ぶきっかけをつくってくれる要素がないと、だだ情報をひろうだけの作業になってしまって苦痛だ。開かれた読書をさせてくれるのが本の魅力じゃ ないのかしら。読書の可能性といえば、もうこの季刊『ぱろる』誌上で再三主張しているわけだが、大人が楽しめないものを、子どもたちが楽しめるわけがない。その逆もまたしかり。そのへんのキビンサをよく知りつつ、本作りをしていきたいものである。
 ただ、誤解のないようにつけくわえておくが、「本」を読まなくても立派な人になれる。(たとえば私の弟なんか、子どものときの読書量ときたら兄貴の私の百分の一くらいであったが、立派な地方公務員として社会の役にたっている。私よりずーっと)
 ちなみに、Uより二歳年下の次男のTは、私たちのバトルには無関心で、終始TVゲーム『星のカービ-』に熱中していた。その下の六歳の娘はハムスターに夢中である。そんなものである。(天沼春樹
ぱろる4 1996/04/20