当節おもしろ言語学

城生佰太郎

講談社 1989


           
         
         
         
         
         
         
     
 言語音というものは生き物のように時代と共に変わるもので、たとえば、日本語ハ行のルーツはP音であった。「ヒヨコ・ピヨピヨ/ヒカリ・ピカピカ/ハタク・パタパタ」といった対応はそのひとつの名残であり、ヒカリはピカリであった。こういった音の変化はほかにも多くあって、「春過ぎて夏来たるらし白たえの……」という歌は「パルー/ツンギーテー/ナトゥ/キータルラチー/チロタペノ……」と読まれていたらしい。 城生佰太郎の『当節おもしろ言語学』はこんな話からはじまる。
 また山茶花(サザンカ)は、もとの音がひっくり返ってできた発音で、昔はそのまま「サンザカ」と読まれていたし、東京の地名「秋葉原」は「アキバッパラ」という読みを旧国鉄が地元の「正しい」発音を無視して「アキハバラ」にしてしまったものである……らしい。
 とまあ、こんな調子で話し言葉の様々な面が、短いエッセー風につづられているのだが、いやあ、楽しいこと、楽しいこと。取り上げられている題材も、マンガ、CM、声紋、暗号、ダジャレ、と多岐にわたっているが、ただの「物知り百科」といったものではなく、それぞれに鋭い分析と、かみくだいた言語学の解説がそえられていている。
 「文字を持たない言語はあっても、音声を持たない言語は皆無なのである。文法だけでなく、話し言葉の法則もしっかり教えるべきではないか」という作者の主張には異議なし!(金原瑞人

朝日新聞 ヤングアダルト招待席89/07/30