蝶々、とんだ

河原潤子
講談社 1999

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 新人のデビュー作である。初潮を迎えた少女の、心身ともに不安定な様態にしなやかに寄り添い、そこに起こった日常的な出来事を少女の心象に重ねて、重いテーマを織り込みながらも、軽やかで豊かなイメージの広がりを見せてくれる。

 運動会の練習中に貧血で倒れたユキ。給食で保健室から教室にもどりかけたところで、男の子に優しい言葉をかけられ、とっさに早引けすると嘘をつき、通ったことのない裏門から学校を出る。そこで、これまで見たこともない貸本屋に出会い、そのおばあさんから表紙のちぎれたマンガの本を渡される。

 男の子が目を覚ますと変な虫になっていた。親は死んだものとして葬式をし、家の中で虫を飼いつづけるが、大きなイモムシになって動かなくなったために、両親はそれを川に流すという不気味な話だ。しかも最後の一頁が破かれていて結末がわからない。

 家に帰ると、寝たきりの祖父が声をかけてくる。ユキは祖父のおしめを替えたことがない。祖父の介護を巡っての両親と叔母のやり取りも心に染みるものがある。借りたマンガの本の結末が気になるユキに、イモムシは死んだのではなく蛹になって蝶々に変身すると祖父は言う。それは少年や少女が大人になる前のまどろみの象徴でもある。そんな鬱陶しさを払いのけるようなラストのイメージが素晴らしい。力量のある新人の今後が楽しみだ。(野上暁)
産経新聞99.04.27


 庭に小松菜を植えた。そろそろ食べどきかなと思った頃、おびただしい数のモンシロチョウの幼虫に無残に食い散らされていた。こうなったら蛹から羽化するのを待って蝶の乱舞ずるのを楽しもうと思った矢先、スズメがたくさん飛んできて幼虫は、一匹残らずついばまれてしまった。蝶は幼虫から蛹になるころがいちばん危ない。それを天敵がねらっているのだ。アゲハチョウなどは、蛹化する直前の幼虫が動きを止める瞬聞を待つかのようにして、寄生蜂が卵を産み付ける。蛹よりも体表面が柔らかいから針も刺しやすいのだろう。卵は蛹の中で孵化し、体液を養分にして成長する。そして蛹の殻を破って、羽化した寄生蜂が無数に飛び立っていく。なんとも無残で壮絶な光景である。
 蝶が終齢幼虫から蛹になる危険な時期は、なんとなく人間の前思春期に似ている。蛹の時代は仮眠状態で動かないが、体内では細胞が急激に変化ずる。十代の初め頃やたらに眠かったのも、昆虫の蛹時代みたいなものだったのではないかと勝手に思い込んでいるのだが。

 六年生のユキは、春に初潮を迎えてから貧血気味で、運動会の練習中に倒れて保健室に運ばれる。担任が心配して、家に帰ったほうがいいんじゃないかというが、もうすぐ給食だから教室にもどるといって保健室を後にする。そこにクラスの男の子が来て、給食だったら俺が保健室に持っていってやるという。ふいに、胸が熱くなって、ユキは「給食いらんていいにきたんや」と、心にもないことをロ走ってしまう。なんでそんなことを言ってしまったのか後悔してもはじまらない。そんなアンバランスな感覚がなかなかリアルだ。
 それで、早引けすることになり、ふだん通ったこともない裏門を抜け出して川沿いの道を下っていくと、「川端・ほんやら堂」という店内が暗くて狭い貸し本屋を見つける。「ほんやら堂」だなんて、なんだか突然、つげ義春の世界が湧出した感じ。そういえばこの作品には、つげ義春の「紅い花」などの感覚にも似たイメージがあちこちに見られるが、おそらくそれは、この作家の特異な感受力なのだろう。貸し本屋のおばあさんがお見舞いだといって貸してくれた、表紙も取れていて題名もわからない古い漫画の本も、つげ義春の世界を思い起こさせる。
 ある朝、男の子が目をさますと、大きな芋虫になっていた。両親が息子は死んだものとしてお葬式を出す。男の子は、自分のお葬式を部屋の窓から見下ろしている。両親は芋虫になった息子を飼いつづけるが、そのうちベッドの中で干乾びて動かなくなったので、夜中に川に捨てる。仰向けになって、ぷかぷかと川を流れていく芋虫のような男の子の絵が最後にあって、その後のページが破られていて結末がわからない。それがユキの不安を増幅させる。
 ユキが家に帰ると、寝たきりになっているおじいちゃんから声がかかる。中学二年生の兄は、おじいちゃんのおしめを換えることが出来るが、ユキにはそれが出来ない。そんなユキを、兄は超絶的利己主義者だとなじる。おじいちゃんの介護をめぐっての親たちのやりとりや、死に向かうおじいちゃんの言葉には、心打たれるものがある。
 ユキはおじいちゃんに漫画の結末をたずねる。おじいちゃんは、「そら、死んだんとちがう。サナギになったんや。イモムシは、サナギになって蝶々になる。そして、とんでいきよる。ぬれた羽をふるわせてな」といった。おじいちゃんの言葉が、ユキの胸に心地よくしみわたっていく。それならもう、人間に戻れなくてもいいと、ユキは思う。そして、おじいちゃんの死。
 この作品を読んでいると、少年少女から大人になる前の、外見はエネルギッシュに見えながらも体が重たくて虚ろで落ち着かず、精神的に不安定な一種まどろみの時間とでもいえる危うい感覚が、ばるかな記憶の底から蘇ってくるようだ。蝶にまつわる神話的なイメージとともに、蛹感覚とでもいえそうな前思春期の心象風景をしなやかに物語化してみせて、奥行きのある味わい深い作品になっている。最後の場面がなかなか鮮烈で印象的である。(野上暁
子ども+ 創刊号 1999/06/15