二十四の瞳


壺井栄作
三芳俤吉画/学習研究社1976

           
         
         
         
         
         
         
     
 壺井栄の長篇には、一枚の編みものをほどいていくイメージがある。それは、名もない人々のこしらえた素朴な編み物で、決して温かいとは限らない。ただ、着ていることをしばしば忘れてしまうたぐいのものである。
 作者は、そこに編みこまれたさまざまな生活、知恵やユーモアやかなしみやを、いとおしむようにほどいていく。読者は、作者の指先を見つめているうち、いつのまにか別の新しい編みものができており、心のこもった暖かい贈り物として、自分自身の前にさしだされていることに気がつくのである。
 時は第二次世界大戦敗戦までの二十年間。舞台は小豆島、ナポレオンを生んだコルシカ島でもなければ、B29の大編隊を飛びたたせたグァム島でもない。その名の通りアズキのように小さい島である。描かれた子どもは十二人。澄んだ瞳はしているが、五十億に及ぶ人類の中ではケシつぶほどの存在でしかない。しかし、そこにも人間の生活は確かに展開されていたのであり、それらは万人に示されるに十分な普遍性をそなえていたのである。

 昭和三年の春、岬の分校に若い女教師が赴任してくる。旧弊な村の人々は最初外面だけで判断し、批判的な態度をとるが、子どもたちはそのすぐれた教師としての資質を即座に見抜いて慕ってゆく。その資質の第一は、彼女が自分のまわりにくる者をいきいきとさせずにはおかぬ生命光線とでも称すべきものにみちていること。第二は、ことばに敏感であること、第三は、打算がないこと、である。
 これらはすべて愛情を背景としているので、しばしば母性愛と同一視されているが、それはちがう。変化に富んでいるようでも日常は日常で、その中に埋没している子どもたちの前に、生活臭ふんぷんの母親が現れたのでは意味がない。生徒にとって先生は、親しみとともに一種非日常な雰囲気、スター的な要素も帯びていなければならぬ。洋服を着、自転車に乗り、新しい歌をオルガンで弾ける大石先生だからこそ、その些細な言動喜怒哀楽も彼らの心の捉ええたのである。
 この点、子どもの足では無限の遠さに思われる八キロの距離、しかも見ようと思えば見ることの出来る対岸の一本松の下に大石先生を住まわせた作者の目は、実に的確であった。この隔たりこそが二十四の瞳にかけがえのない平和のドラマを展開して見せたのだし、悲劇はその隔たりを超えた距離(海の彼方)からやってきた。しかも永遠には子どもでいられぬ子どもたちは、早晩その八キロの隔たりの外へと歩んでゆかざるをえなかったのである。
 なお、『師範を出た一人前』の教師でありながら、時代を広く見る視野も思想も方法論も持たず、子どもたちに主体的な批判精神のかけらさえ教えてやれずに「老朽化」していった大石先生の未熟を、日本の土着の母の典型と見て軽んじたり、文学者としての作者の分析の甘さに結びつけて責めたりする向きもあるが、それは当たらない。真に困難なのは、どこにでもいるようで滅多におらず、滅多にいないようで結構いる、そういう人物を造形することである。チェーホフは「科学は問題を解決し、文芸は問題を提起する」と行ったが、変転する歴史の渦に無惨に押し流された十二人の生徒と、ただ泣くだけで終わってしまう一人の女教師。そこに託された作者の悔恨および憤りは、いっそう深いと見なければならぬ。大石先生を責める精神は、正しいけれども不幸である。

 さて、十二人の子どもたちであるが、その個性を描き分けるべく性急になっていない作者の態度に、何より注目する必要がある。いわゆる群像をとりあげるとき、個性の描き分けにこだわれば、それぞれのキャラクターをそれにふさわしい場面で活躍させるよう企図せざるをえず、ストーリーは面白くはなるが、真実は損なわれてしまう。感心は生じても感動は生まれない。この点、壺井栄が企図したものはただ一つ、けなげで善良に魂をもった幼い者たちがなぜ幸せに生きてゆけないのか、その悔しさ悲しさを描くこと、それだけなのである。登場する子どもたちは、だから、その種々相を示す生活者として、時間と空間の座標の上でとらえられる。
 五年に進級して本校に通い始めたその日に母を失い、働きに出なければならなかった川野松江。大石先生が与えた百合の花の模様のついたアルマイトの弁当箱は、一度も使われぬまま十八年後によみがえって、彼女の全生活と性格を照らし出す。女として生まれた以上我慢するのが運命と思い込んでいた片桐コトエは、女学校へも進めず「よいお嫁さん」にもなれず、肺を病み、物置の隅でひっそりと死んでゆく。落第坊主の快活な相沢仁太は甲種合格で「しもたァ!」と叫び、先生には「勝ってもどる」とささやくが、永久に戻ってこない。竹下竹一、徳田吉次、山石早苗、加部小ツル、西口ミサ子、木下富士子……総勢十二人という児童文学史上初の群像の個性の描き分けは、彼らの生活史を語りを残そうと歯をくいしばってするいとなみの後にもたらされた結果にすぎない。
 これは実は全体の構成とも密接に連関しているのである。『二十四の瞳』に限らず壺井栄の作品には自然発生的展開が多く、意識的構成は弱いとされているが、平明な語り口調の下に隠されている緻密な構成を見逃してはならない。
 例えば、集散の場面。別れた松江と修学旅行の途中出会う悲しさ。成長した少年たちと徴兵検査当日再会する皮肉。残った者とは戦後クラス会で会うが、さりげなく一人が除かれる。あるいは照応の妙。冒頭と末尾に配された出席をとる場面はその最たるものだが、戦死した森岡正が一年のとき果たせなかった「船での送り迎え」を、大石先生の長男が果たすクラス会への道程。一本松の下で撮った記念写真を、盲目となった岡田磯吉が指先で少しずつずれながら押し、すばらしかった日々とその後の変転をまざまざと浮かびあがらせる結末、そして、香川マスノが歌い早苗が泣きながらしがみつく『荒城の月』の幕切れなど、まさに万感胸に迫るものがある。
 作者の構成力の非凡さは、随処にさりげなく深く編みこまれているのである。(皿海達哉
日本児童文学100選(偕成社)
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