バンビ(フェーリックス・ザルテン:作 高橋健二:訳 ハンス・ベレトレ:絵岩波書店 1923/1952)

『バンビ』を読んだ人なら、筋は忘れてしまっても、彼の誕生をえがいた第一章はよくおぼえていると思う。生まれてすぐに、ふらつく足で立つ小鹿や、それを見て感心しておしゃべりするカササギや、親子の鹿をとりまくおだやかで美しいやぶかげなどの描写は、読む人にくっきりとした印象を残す。やがて、初夏。バンビは、おなじ年に生まれた牡鹿ゴボーや牝鹿ファリーネなどと友だちになって暮らすのだが、やがて母はいなくなり、バンビはひとりで生きていくことになる。冬になって狩りがはじまると、森にはいってきた人間のためにバンビの母親は死に、友人ゴボーは行方不明になってしまう。苦しい冬がおわって春になると、バンビは牝鹿ファリーネを得るために、他の牡鹿と闘い、ファリーネに似た人間の声にひかれてあやうく殺されそうになr、そのとき、一度人間に飼われたゴボーに出会うのだが、ゴボーは人間を無条件に信じたために鉄砲でうちころされる。その年バンビも鉄砲にうたれるが、大殿鹿に助けられ、やがて、すぐれた大人の鹿になっていく。
 この物語の面白さは、まず波乱のある筋にあるだろう。一匹の鹿が一生のうちにたどらねばならない別離と邂逅と争闘、自然そのものが用意する危険と人間による脅威などが、時の経過を追ってたくみに配分され、緊張のつぎには安らぎといった快いリズムで読みとおすことができるようになっている。そして、生きものの「一生」という冒険の主人公である鹿が、きわめて個性的にえがかれているため、この普遍的なタイプの筋が独自性をも持ちえている。
 バンビを個性的にしているのは、動物や自然を見る目の置きどころにあるだろう。一九六〇年に白水社の「ザルテン動物文学全集」のためにこの作品を訳した実吉捷朗は、そのあとがきで、この点をじつにたくみにまとめている。実吉は動物文学を、「動物を人間になぞらえた寓話ふうのもの」「人間の味方または敵として動物をあつかった忠犬物語、猛獣狩りの話のようなもの」「童話的な動物物語」「動物学に近い科学的な目でとらえた物語」などに分け、『バンビ』はそのどれともちがうという。「ザルテンは、動物の心のなかにとびこんで、動物のがわから、かれらの生活を見つめ、かれらをかこむ自然を見つめます。そして、そこからえたものを、なだらかな、わかりやすいことばで、自分のたましいをとおして表現しながら、実感のこもった物語にまとめあげるのです。」と、彼はいう。
 この言葉は、『バンビ』を論ずるとき、かならずといってよいほど引用されるイギリスの作家ジョン・ゴルズワージイの一九二八年イギリス版への序文とひびきあっている。ゴルズワージイは、
「『バンビ』はとてもおもしろい本です。ものごとを理解するこまやかな心と基本となる事実という点で、森に住む鹿の生活をえがいたこの物語に匹敵できる動物物語を私はほかに知りません。フェーリックス・ザルテンは詩人です。彼は、自然をその奥まで知ろうとし、動物を愛しています。ふつう私は、ものいわぬ動物に人間を言葉を語らせる創作方法はすきではありません。この物語も動物が人間語を口にしていますが、それを通じて動物たちのほんとうの気持が感じられるところに、この本のすばらしさがあるのです。わかりやすく、啓発的で、しかもところどころに感動的なところがあるこの作品は、小さな傑作といえます。」
といっている。
 たしかに、動物物語も、アンナ・シューウェルの『黒馬物語』あたりまでは、動物も毛皮をすっぽりまとった人間であり、その作品の主張も、動物の口をかりて人間がいいたいことをいう形のものだった。動物の内面に入りこんで、内面からえがく視点は、極度にロマンチファイされてはいるが、キップリングの『ジャングル・ブック』あたりから生まれたといえよう。『バンビ』は、たしかに動物ならこう思うだろう、このように物が見えるだろうと読者に実感させる力をもっている。そして、それは、人間の世界とはちがった、一つの<別世界>であるという実感をいだかせる。そこに詩的な想像力がもつすぐれた洞察力が見られる。
 この物語には、動物への深い愛情が感じられるが、その表出の態度もきわめて個性的である。例えば、シートンも、やはり動物への愛情をもっていたが、彼は、人間と動物を狩るものと狩られる者の対立関係から発想している。ザルテンは、人間も動物もひとしく神の御手の中にあるものと見ていることは、「だれかべつのひとが、ぼくたちみんなの上にいる。」というバンビの言葉であきらかである。生命を維持しつづける努力に、人っも動物も変りがなく、そこに生きる意味をみつけているわけである。彼には、例えば『一五匹のうさぎ』(Funfzehn Hasen-Schicksale in Wald und Feld,1929)とか、『小りすぺリー』(Die Jugend des Eichhornchens Perri,1942)など、小動物たちをあつかった作品がある。身を守るべき武器をほとんどもたない小動物たちの生きる姿をとくにえらんでえがいているのは、やはり平凡な人間たちの暮らしに寄せる共感と、平和へのつよい希望が底流として存在するのではないかと思われる。
 ザルテン(Salten, Felix 1869〜1945)は、本名をジグムント・ザルツマン(Salzmann,Sigmund)という劇作家。オーストリアの人で第二次世界大戦中スイスに亡命し、チューリヒで亡くなった。作品は以上のほかに『白馬フローリアン』(Florian-Das Pferd des Kaisers,1933)、『バンビの子どもたち』(Bambis Kinder,1940)、『名犬レンニー』(Renni der Retter,1941)、『小ねこジビー』(Djibi das Katzchen,1946)などがある。白水社から全集として出たことがあるが現在(一九七九)は絶版となっている。(神宮輝夫)



入力者:注)
『一五匹のうさぎ』のドイツ語(?) Funfzehn の u は、上に¨がある。他にも、以下の個所に同じく指摘したアルファベットの上に¨がつく。
『小りすペリー』の Eichhornchens の o に。
『小ねこジビー』の Katzchen の a に。
世界児童文学100選(偕成社)
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