ぼくのじんせい―シゲルの場合

丘 修三・作
立花 尚之介・絵 ポプラ社 1997.12

           
         
         
         
         
         
         
     
 シゲルは養護学校の六年生。二学期のはじめに死んだ青木先輩の「生きるってなんだろうな」という言葉をこの頃よく思い出す。一人では手を動かすことも起きる事もできず、日常の全てに人の手を借りる生活の様子が語られていく。
 不治の病気と診断された直後に家族を捨てた父親との苦い思い出、疲れ切った母親の機械的な世話、野良猫に向ける程のやさしさもない妹の辛辣さ。それでも「ま、いいか、ぼくはがまん強い子だ」と、つとめて軽く乗り切っていくシゲルだが…。ある日、「施設」という言葉をきき、母が入れようとしているのかと何日も悩み続け、やっとの思いで先生に問い正した。
 作者の他作品にみられる家族の暖かさは表立っては描かれず、家族のシゲルに対する現実的な接し方を仮借ない率直さで綴るストーリー運びは正直、辛い。ことに、自分を運ぶ母への負担を考えて好きな給食も先生にいぶかしがられる程少ししか食べないという所はページを伏せたくなった。それでも、読み続けたあと、不思議な位の充実感があるのは何故だろう。
 体の限界に不安を感じながらも、青木先輩や森先生の、自分を信じろということばで、気持ちを明るく立て直していこうとするシゲルの聡明さ。そこに励まされるというより魅力を感じるからだ。
 母に面倒をかけているという思いから、自分への素気なさも軽く受けとめているが、それだけに、母が施設に入れるつもりのないことを知ったシゲルのすなおな喜びように、思わず拍手を贈りたくなった。
 「ぼくのじんせい」という重いタイトルも、作者が長い養護教諭としての体験を直に子どもたちに伝え、生きることを大切にしようと語りかけているのだと、納得できる。
 さし絵の線画、表紙絵の小鳥とシゲルと猫の表情もペーソスに溢れている。(千代田 眞美子
読書会てつぼう:発行 1999/01/28