ボクちゃんの戦場

奥田継夫・作
しらい みのる・絵 理論社 1969

           
         
         
         
         
         
         
         
    
多機能性の文学
(1)建前の否定
 一九四五年以後の子どもの文学に関係した作品で、強いインパクトを与えたのはウィリアム・ゴールディングの『ハエの王』(一九五四)だろう。一九世紀イギリスの代表的冒険小説の子どもたち――勇敢で友情に厚く正義感と信仰を持ち、困難はすべて、持てる能力を最大限に発揮して克服していく少年たちの姿が実は作りものであって、人間の本質は獣性であると指摘したこの作品は、いわば建前の人間感の否定だった。
 『ボクちゃんの戦場』は、設定がこの作品に酷似している。『ハエの王』の場合、子どもたちが変化するのは、大人が一人もいない未開の無人島であり、その中で人間を覆っていた文化・文明というベニア板がはがれるのである。『ボクちゃんの戦場』も、今まで子どもたちを覆っていた都会文化というベニア板がはがれ、むき出しの人間が現れる。
 ゴールディングは良くも悪くもイギリスを支えてきたイギリスの男性像が虚構であったと主張して、いわばイギリスの建前を批判してみせた。奥田継夫は大人と社会が子どもの文学を通じて維持しつづけてきた子ども像、つまり理想的な人間像を消し去ることで、子どもの文学の建前を批判してみせた。

(2)リアリズムへ
 ゴールディングと奥田の作品が表面的に大きくちがうのは、前者が人間性を決定的に否定しているのに対し、後者は「事実」と考えられる状況を、判断をひかえて提示しているところにある。
 作者が、ゴールディングと同じ視点を持って建前の人間像を否定できる姿勢をとったにもかかわらず、そこまで踏み込まなかったのは、素材が体験に基づいていて、執筆時点での読者と自分に現実的な問題を定義していたからであり、また、子どもという読者をかなり意識していたからだと推測できる。それだけに、戦時中の大人と子どもの生活の実体が入念に記録されているし、大人も子どももいわばありのままの姿が観察され、美しさも醜さも容赦なく把握されていた。
 子どもには人間の長所のみを強調すべきであるとしていた子どもの文学の通念が破れ、大げさにいえば、日本の子どもの文学にも一般文学にあるリアリズムの概念が通用するようになったのである。これもまた、日本の子どもの文学にとっては画期的な出来事だった。

(3)合理主義
 戦争末期の疎開児童たちの厳しい生活を書くこと自体、反戦平和の文学となる可能性を含んでいたし、作者のモチーフの中にもある程度その意識があっただろうことは推測できる。
 だが、作者には戦争中の体験をフィクションにすることで、無力な中産階級的満足感に安住するつもりはなかった。彼が伝達しようとしたのは、戦争を経過した作者自身の今後の生き方の模索だった。そして、模索の過程で、読者に向かって提示した「よい生き方」は徹底した合理主義だったと思う。
 その意識がもっとも強調されているのが、天皇に対する考え方である。疎開先の児童に皇后陛下から饅頭が下賜されたときの子どもたちの反応がその考え方を見せてくれる。子どもたちの計算によれば、日本中の子どもたちに饅頭をくばると皇后陛下は一二〇万円を支出することになる。だが、その金は税金の一部であり、結局は自分たちの親の払った金であると言う。
 むろん、子どもでも大人でも戦争中にこうした考えを公言できはしなかったが、戦後でもこんな風に天皇家の生活基盤を考える人は多くないように思う。しかし、戦争中でも、こんな角度から権威を見る大人と子どもはいた。
 だから、作者は、権威・権力のもたらす悪影響を排除しようとする。この作品の主人公は、土手に上ってはいけないという規則があれば、それを忠実に守る。しかし、主人公を徹底して苛め抜く少年は、土手にはスカンボとかサクランボのようなおいしいものがあるためかもしれない、あるいは、大人が子どもに見せられないような助平なことをしているためかもしれないという。
 まず疑うこと、予断を排して事実だけを把握すること、して考えること――これは、この作品の作者が体験を通じて学びとった智恵であり、日本全体が手痛い経験から得たものでもあったと思う。現在、急速な勢いで、「えらい人」が決めた規則を守るのが優等生という風潮が復活しはじめている。この作品の予見性を強く印象づけられる特徴である。
 事実の凝視は無意識の偽善も見逃さない。主人公ボクちゃんは、混血児のヘンリーを決して「あいのこ」と呼ばずに仲良くするが、心のなかでは「あいのこはかわいそう」と思っていることを見抜かれている、これなど、やがて灰谷健次郎が一連の作品を通じて訴えたことのいわば先駆を成している。
 作者の最大のモチーフはやはり「戦後の生き方」の模索だったと思う。そして、それは、一九四五年から数えると二四年後に発表されている。あとがきによれば、この作品が形を成しはじめるのは六〇年安保前後かららしい、反戦平和をテーマとした作品の波が収まり、子どもの文学の潮流が変わりはじめた時期だった。だから、一見この作品の主題は遅れてきた感じだったかもしれない。しかし、疎開体験者が、体験を客観化し、さらにフィクションとしてまとめる時期としては決して長すぎない。
 そして、彼がある時期をかけてまとめたものは、表面的な変化の背後で相変わらず保守的な子どもの文学の世界では、先走って思えたのかもしれない。この多機能な性質を持つ作品は、だから、いつも敬遠される。(神宮輝夫
児童文学の魅力 日本編(ぶんけい 1998)
テキストファイル化岩本みづ穂