不思議の国のアリス


ルイス・キャロル作/新潮文庫

           
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 この物語は、実にヘンテコなお話だ。そのなんとも言えずヘンなところが面白いのであり、それをさして『アリス』は、ナンセンス文学の傑作とよばれている。
 ナンセンス文学というと難解に聞こえるかもしれないが、英国の童謡集「マザー・グース」も同じ仲間だ。「マザー・グース」は、真面目に読もうとしても、どうも辻褄があわないオカシナ歌ばかりだ。けれど、そこが面白い。語呂あわせに言葉遊び、実在した王様など歴史上の有名人を皮肉ったりして、にやにや笑ったりほくそ笑んだりして愉しむ、そんな遊び心が、英国の子どもの周辺にはある。
 そうした土壌が伝統的にあったからこそ『アリス』は生まれ、そして子どもたちに愛読された。子どもだけでなく、大人たちも、当時のヴィクトリア女王さえも虜(ルビ/とりこ)にしてしまった。
 もちろん『アリス』にも、言葉遊び、ダジャレが出てくる。「マザー・グース」そのものも出てくる。後半、トランプの女王様の裁判でやり玉にあげられるタルトを盗んだ王子の話も、本当は「マザー・グース」の歌だ。 そんな物語は、金色に輝く夏の午後に生まれた(とキャロルは、物語の冒頭に書いている)。
 一八六二年七月、ルイス・キャロルは、テムズ河へボート遊びに出かけた。当時、彼は三十歳、オックスフォード大学の数学講師だった。ボートには、十歳の女の子アリス・リデルとその姉妹も乗っていた。キャロルは三姉妹にせがまれてお話を語り、後に小冊子に書いてアリスに贈った。それが本として出版されたのが『不思議の国のアリス』だ。
 時計をもったウサギを追いかけて地面の穴にとびこんだアリスは、地下の国で大冒険をする。体が大きくなったり小さくなったり、涙の池に溺れそうになったり、グロテスクな怪獣や虫、笑うネコに出会ったり、しまいには癇癪持ちのトランプの女王様のお庭でクリケットをしてご機嫌を損ねて、裁判にかけられる。なんとも奇想天外なお話だが、それもそのはず、すべてはアリスがお昼寝にみた夢だった、という筋書きだ。
 私は、キャロルとアリスが住んでいたオックスフォード(ロンドンの北にある古い大学都市)を、一日かけて歩いたことがある。すると、『アリス』の中のモチーフは、実は、二人の身近なところからとられていたことに気づいた。
 たとえば野ウサギは、イギリス中どこにでもいる親しみやすい動物だし、作中に出てくる怪獣グリフォンは、オックスフォードの建物の外壁の彫刻で、ドードー鳥は、アリスが散歩した大学博物館の有名な展示品だった。奇妙なお茶会に出てくる「井戸に住む三人姉妹」も、元々は有名な井戸の伝説にちなんでいて、アリスが通った大学礼拝堂に大きなステンドグラスとして描かれている。「コウモリの唄」は、ごぞんじ童謡「キラキラ星」のパロディだ。
 つまりキャロルは、小さなアリスが退屈せずに面白がって聞いてくれるように、アリス本人を主人公にして、彼女の身の回りにある物や歌をもじって物語を創ったのだ。 キャロルは生涯独身だった。大人の女性が苦手だったようで、ひたすら女の子を愛した。女の子たちと手紙を交換し、彼女らの写真をとった。そのため、キャロルをロリコンだという人もいる。
 けれど彼が、子どもの無邪気さ、可愛さを本当に愛していたことは、この物語の最後を読めば、しみじみとわかる。キャロルは、あっというまに過ぎてしまう女の子の幼い日々を惜しむように愛していたんだと。彼の話に目を輝かせて聞きいり、すなおに悲しみ、無邪気に笑っていた女の子は、あっという間に成長し、礼儀作法にこり固まったレディになってしまう。無垢な子供時代は、本当に短く、しかもそれを当の女の子は知らないのだ。そんな一瞬の子ども時代の輝きをいとおしむキャロルの優しさが、一見すると支離滅裂な『アリス』の底には、温かく流れているのだ。 (松本侑子)
文庫挟み込みの「鑑賞のてびき」