ハックルべリイ・フィンの冒険

マーク・トェイン 村岡花子訳 
新潮社 1884/1953

           
         
         
         
         
         
         
     
 一般にイメージされるハック像は、勉強が苦手で粗野だけれど憎めず、自由をなによりも愛する子どもといったところでしょう。
 母親はおらず、父親は生きているのか死んでいるのかわからない彼は孤児同然なのですが、トムの叔母さんが養子として育ててくれている。孤児が家族を得て幸せになる典型的な孤児物語のようです。が、彼を「ちゃんとした」子どもに育てようとする几帳面で上品な彼女とその妹ワトソン嬢にハックはなじめない。そこへ前作でハックが六千ドルを得たことを知った飲んだくれの父親が現れ一緒に暮らすのですが、「この森での生活はかなり楽しかった」なんて思っている。しかし金をよこせと迫る父に閉口し、強盗に殺されたように細工し、筏で去る。売られそうになって逃亡した友人の黒人奴隷ジムと出会い、二人はミシシッピー川をどこまでも下っていく。果たして二人の運命は・・・。
 上品や躾を嫌い、父親からも逃げて生きるハックは確かに、先に述べたような子どもと見えます。けれど、実のところ彼は、とても頭の良い現実主義者の少年です。
 ダグラスさんチの上品さや躾になじめないのは粗野だからでなく、それが彼にはリアルではないからです。
 りっぱな服よりボロのほうが遊ぶには都合がいいし、ダグラスさんが聞かせてくれる聖書の話だって最初は熱心に聞く。それがヤになるのは、もう死んだ人のことだとわかったからです。
 ハックの行儀を直そうと、妹が天国と地獄について語ったとき、地獄に心引かれるのはそっちの方がリアルだからです。日本でも極楽より地獄の絵図がリアルであるように。
 彼はおためごかしに大人社会が当てはめようとする子ども象がリアルでない限り納得はしないのです。けれど、だからといってハックは大人に逆らうわけではありません。天国は目指すまいと決心するけれど「そうは言わなかった。ただ、ことを荒だてるだけで、なんの役にも立たないからだ」。その点でも彼は現実主義者です。
 そんなハックだからこそ、ジムが捕まったとき、それを見過ごせば彼がどんな境遇に陥るかを考え、納得が出来ず、なんとしてでもジムを救い出す決心をするんですね。
 注目すべきは、奴隷制度の元では悪いその行為を「僕の得手である、悪い行い」という風に考えていること。彼は自分が、大人社会が要求する子ども像から外れた悪い子どもであることを知っています。その意味ではハックもまた特別な存在ではなく、近代の子どもなのです。
 そう考えたとき、ハックは現在でも、いや、現在にこそリアルな子どもであるといえるでしょう。(ひこ・田中)
徳間書店 子どもの本だより 1999/05.06 5巻31号