花豆の煮えるまで-小夜の物語

安房直子

小峰書店 1993

           
         
         
         
         
         
         
     
 安房直子さんが逝ってしまった。
思い出すのは、安房さんの短編「さんしょっ子」(『風と木の歌』所収/実業之日本社)を初めて読んだときの鮮列な印象だ。彼女が同人誌『海賊』にあれを書いたのは、二十六歳のとき。私は児童書の編集者になって三、四年の頃だった。以来安房さんは、まさに珠玉のような数々のメルへンを書き続けてこられた。
それらの作品は、いつも怖いくらいに美しく、どこかに死の影を漂わせていたような気がする。
そして最後に彼女自身の死とひきかえのようにして、そっとさしだされたのが、『花豆の煮えるまで-小夜の物語-』である。
六話の連作短編集だが、表題にもなった一編は、すでに『海賊』に掲載された時点で、「浜田広介童話賞」を受賞している。文章の美しさ、作品の完成度の高さがひときわ輝きをまして、一種の凄味ごえ感じさせる。
山奥の小さな温泉宿の娘、小夜の母親は山んばの娘だった。小夜が生まれるとすぐ、風になって山んばの里に帰ってしまったのだという。山んばの血をひく小夜も、温泉宿と山んばの里との境にかかるつり橋を、たった一度だけだが、風になって渡っていって、不思議な光景を見たことがある。
このつり橋は、この世とあの世とのさかいめにかかる橋でもある。
安房さんと長くコンビを組んでいる味戸ケイコさんの挿絵は、この本ではガラリと画法が変わり、妖しく美しく怖く、そしてどこか懐かしいような雰囲気を鮮やかに伝えている。
父親が人間の女の人と再婚する気になったとき、小夜は、ホウノキの精と取り引きをして、母親を呼び戻しててもらおうとする。けれど、小夜がほんのちょっと子供らしい欲を出したためにこの取り引きは失敗する。もしも小夜がこの取り引きに成功していたならば、母親とともに風になってつり橋を渡って、向こう側の世界に行ってしまう結末になったことだろう。
「さんしょっ子」でも、サンショウの木の精のさんしょっ子は、哀しい恋に破れたあと、風になって散ってしまうのだから。
けれども、ラストで「山んば、ごめんね。」とつぶやく小夜は、すでに母親とも山んばの里とも訣別し、こちら側の世界でたくましく生きていこうと覚悟を決めている。私がとりわけ好きなのは、この結末だ。
『花豆の煮えるまで』は、「さんしょっ子」の延長線上にありながら、二つの作品の間に横たわる距離は溜息が出るほど長い。(末吉暁子)
MOE93/05