ハルシオン島のひみつ

ジョン・ロック・タウンゼンド

斎藤健一訳 福武書店 1987

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 児童文学の研究や批評で名高いジョン・ロック・タウンゼンドの創作は、手法や舞台や主題など一作毎に新しい試みがなされている。「ジャングル街」を扱った作品群では極貧層の生活実態を浮かびあがらせ、『ア- ノルドのはげしい夏』ではアイ デンティティの危磯を問題にし、『ノアの城』では食料危機が訪れる近未来のイギリスを舞台にし、『未知の来訪者』では SF的手法を、『外国の出来事』ではエセンハイム王国の革命を扱っている。本書ではハルシオン島という孤島が舞台である。
まず本書の成立の過程は興味深い。タウンゼンドのあとがきによると、成立の過程は三段階から成る。第一は島に対するあこがれである。「大海原の離れ小島にはわくわくする」ような冒険も多いし、人間同志の感情もより凝縮されているように思える」と。次に物語の直接のきっかけは、命がけで海を渡り陸地に着いたのに余分な食料などないからと歓迎されなかったべ卜ナム難民の「ボートピ-プル」のニュースを知ったことで、難民と反対の立場からよそ者を受け入れなければならなくなった島の住民のことを書こうと思い立った。最後に島の歴史は、水兵たちが反乱を起こしピトケアン島に隠れ住んだ戦艦バウンテ才ー号の事件からヒントを得た。
島を舞台にした本を書こうというタウンゼンドの長年の思いが実現したこの物語は-‐ハルシオン島では、読みびとを中心に百人の島民が食物は乏しいが導きの書の教えを守り平和に暮している。島に五つの波が押し寄せる。第一はソコフィア人の二人の子どもの波、第二は子どもに続いて流れついた十人のリコフィア人の波、第三は導きの書の真実の波、第四はハルシオン島民の絶滅の危機の波、第五は文明の波である。第五の波だけは島の未来であり実際に襲ってはこないが、押し寄せた四つの波によってハルシオン島の謎につつまれた過去が解き明かされていく。
二人の瀕死の子どもムアとオティポの出現、罪の島キングフィッシャーへのリコフィア人たちの追放、遭難航海士チャーリーとの遭遇、代々□移しで伝えられてきた導きの書の恐るべき真実など、次から次へと事件が起こり読者は息つく暇もない。本書は非常に物語性豊かな作品である。
冒頭で一作毎に新しい試みがなされているといったが、タウンゼンドの作品には共通したひとつの特徴がある。登場人物が生きている、ということである。本書では、モリー、トーマス、アダム、ウィリアム・ジョーナス、チャーリーなどみんな血の通った登場人物である。これは、人間性へのタウンゼンドの尽きることのない興味と観察の結果と、「事件の展開を考え、ちょうどいい場面に、それにふさわしい人物を、ちょうどぴったりのタイミングで登揚させる」腕前によるものであろう。
 モリーは十六歳、島の女の子としては体も大柄で行動も男っぽい。考え方も進歩的で女の子として押さえつけられるのを嫌い、導きの書にも疑いを抱いている。現実的で結婚相手にはオティポよりも島のダンを選ぶ。モリ-の兄ト-マスは男としては度胸がないが、やはり導きの書に疑いを抱いている。島の外の世界にあこがれを持っていて、独力で字も読めるようになる。
読みびとの後継者アダムは頭もよく冷静で行動力も指導力もある。導きの書に疑いを持ちチャーリーに島民の前で読んでくれるように頼む。
読み人のウィリアム・ジョーナスは保守的で、導きの書は救いし人の島の教えだと頭から信じて疑わない。
遭難航海士のチャーリーは、よく気がつき腕っぷしも強いが人間嫌い。キングフィッシャー島で誰にも邪魔されず悠々自適に暮すのが夢。
いずれの登場人物も個性的で、会話も行動も自然で物語に溶けこんで物語の真実性を高めている。導きの書に書かれた救いし人の身の毛がよだつ話も、タウンゼンドの人間性の理解の表われであろう。
タウンゼンドは、ソコフィア人が心を解いてアダムたちに力を貸すようにしたのは考えが甘いと見られるかもしれないが、それは人間に対して明るい見方をしているからだと書いている。人間に対して明るい見方をするのは私も大賛成で、そのために物語の筋が甘くなっているとは思わない。
「みなさん、島への旅は楽しかったですか?」 タウンゼンドのこの問に対して、私は、「楽しみました、とても気に入ったのでハルシオン島に似ているというトリス夕ン・ダ・クーニャ諸島やピトケアン島を世界地図でみつけたり、バウンティー号の反乱事件まで調べてみました」、と答えたい。(森恵子)
図書新聞1987/10/10