ヒットラーにぬすまれたももいろうさぎ

シュディス・カー作

松本亨子訳/評論社

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 第二次大戦下のユダヤ人家族を書いた作品だが、例えば「あのころはフリ-ドリヒがいた」などとくらべて、ずい分のんびりと、緊張感の乏しい話になっている。
この距離のある表現は、ひとつにはこれが九才のアンナの目から書かれているという設定によるだろう。あとがきによれば、これは著者ジュディス・カーの自伝的要素の濃いものらしいが、ジュディスの一家が、フリードリヒの一家と違って、早い時期にドイツを去っているのも一因であろう。
大戦下のユダヤ人のことを書く時は何が何でも悲愴感みなぎった重苦しいものしか書けないというわけではないし、子どもは大局が見えないから、戦時下にあっても結構その現状をすらたのしむたくましさを持っているのも事実である。だからこの作品が鮮明な印象を残さないのは、状況の把握がまずいからというよりは、何をどう書くかという作品構築の計算が乏しいからではないかと思う。見方をかえればそういう計算なしに素朴に書くのがこの作者の特質ともいえる。
生まれた家、国、そして母国語を捨てて亡命するのは、断腸の思いのすることだろう。しかし執筆活動、それも反ナチの活動をしているアンナの父親が仕事を続けるには亡命しかなかった。反ナチ活動をしている父親にしては、さして先鋭にも見えないし、状況も切迫つまったようではないが、これも子どもの側からの観察として書いているからだろう。アンナ自身は、まるで遠足か旅行にでも行くように、亡命先のスイスのことを想像している。亡命先に持って行く荷物は制限されていて、ピンクのぬいぐるみのうさぎも置いていかなくてはならない。うさぎは後に、財産没収で、家財すべてとともに失われる。それが本の題名にもなっているわけだが、この小道具の使い方も印象的とは言い難い。汽車で国境を越えるシーンなどは、子ども心にもずい分緊張するのではないかと思うのに、さしたることもない。
アンナとマックスのスイスの田舎の学校での様子や、南仏から訪ねて来たおばあさんの犬の話はほのぼのとしている。他国からの転校生、しかも追われるように逃げて来たユダヤ人という設定だが、そこがのんびりした田舎だからだろう、アンナ達はとくに阻害されるということもなく、クラスで一番というような成績をとって、結構たのしく過している。
やがてスイスでも執筆活動は難しくなり、一家はパリへ移住する。パリのさむさむとしたアパートや、なれない料理に悪戦苦闘するママの様子は鮮やかである。アンナは持前の好奇心でなんなくフランス語も修得していくが、マックスのパリの学校への不適合は辛い。パパも夜、悪夢にうなされたりするが、それもいつの間にか好転する。「効果的に書く」より「流れるようにありのまま書く」のがこの著者の資質なのだろう。
アンナとママが、大おばさんの所で古着や端布を貰ったことで喜んでいると、パパがお恵みを受けたかのように自尊心を傷つけられておこり、ただでさえなれない家事でまいっているママをヒステリックにさせる所などは、不如意な生活をよくあらわしている。
失地回復しようとしてパパは古道具やで、ママのためにこっそりミシンを買ってくる。しかし世事にうといパパの買わされたのは、こわれて動かないミシンだった。渋々ミシンを返しに行くエピソードは、この作品中で一番精彩がある。パパの原稿は売れず、ママの安ベッドはこわれ、催促に来た管理人に家賃も払えない。おまけに、ドイツに残っていたユリウスおじさんが死んだというしらせを受けとる。暗い日々た。
切迫つまった時、パパの脚本が売れて、一家はそのお金でロンドンへ移住する。ロンドンへの旅の途上、アンナは自分の子ども時代が「つらい子ども時代」かどうかを反すうする。 「つらいこともあったけれど、いつだっておもしろいことばかりだった。」 「家族みんながいっしょにいられる限り、つらい子ども時代などありえない。」こんな健康で前向きなアンナの姿勢を描いて物語は終る。
この続篇は、空襲下のロンドンでの亡命ユダヤ人の一家の物語として書かれているそうだし、三作目(大人向)では、ドイツに帰った母親の自殺未遂の事件もあるという。後篇は辛口になるようだが、この第一作はあくまで明かるい、幸せなアンナの物語である。 (石沢小枝子)

児童文学評論22号 1986/03/31