星の王子さま

サン=テグジュペリ作・絵

内藤濯 訳 岩波書店 1945/1962

           
         
         
         
         
         
         
         
         
    
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった」
 この本の序「レオン・ウェルトに」の中の一句である。親友であるユダヤのレオン・ウェルトを、ナチ占領下のフランスに残して、アメリカに亡命しなればならなかったサン・テグジュペリは、辛い心で、この作品を一気に書いて「昔、一度は子どもだったレオン・ウェルト」に贈った。
当時の、苦渋に満ちたサン・テグジュペリの心奥を反映して、この宝石のような作品は、ペシミスティックな影を持ち、大人に対しては徹底的な不信感を表明している。その点で、この作品を逃避的だと非難する人は多い。
  しかし、これはよく読めば、決して人生を否定し、死を讃美した物語ではない。この作品を通して、サン・テグジュペリが希求しているのは、「ほんとうの友達をみつけること」であり、「砂漠に井戸をみつけること」であり、「五億の鈴をあげること」である。そうやって人とつながることをこそ、渇いた人が水を慾するように望んでいたのである。
 この作品を、私の好みで再構成し、題をつけてみると、プロローグとエピローグにはさまれた、八つの組曲からなる。

 プロローグは、象を呑みこんだうわばみの絵(大人には帽子にしか見えない)の挿話である。ここでは、説明なしにものごとの真がわかるのは、子どもであり、自分は、その子どもに向かって語るのだということを表明している。

 組曲第一は、サハラ砂漠で。不時着した飛行士の前に、忽然と王子が現われる。羊の絵を要求されて書いてやるが、なかなか王子の気に入らず、とうとう業をにやして、箱を書いてやる。と、王子には、飛行士が書いてやりたいけれど不器用で書けない、心の中の羊がちゃんと箱の中に見える。質問には決して答えない王子から、飛行士が聞き出したことは、王子が家ぐらいの大きさの小さい星からやって来たこと、そこで王子は寂しさのあまり、一日に四十三回も日の入りを見たりしていたことである。

 組曲第二は、王子がふと洩らした秘密、あるいは、涙の国。王子は、星に一輪の花を残して来たのだが、自分がどんなにその花を愛しているか、よく気づいていなかった。堰を切ったように愛惜の思いに溺れる王子を、飛行士は、何を投げうっても、守らなければと思う。

組曲第三は、一転して軽快なワルツ、花の誕生。サン・テグジュペリが手を焼いた妻、コンスエロ・スンシンを思わせるこの花は、かわいいコケット。愛に気づかない王子は、すっかりふりまわされて、渡り鳥を利用して旅に出る。

 組曲第四は、旅。王子は、無意味な権威にすがりついてやたら命令したがる、王さまの星、何でも感心されたがる、うぬぼれやの星、悲しいどうどうめぐりをくりかえす、呑み助の星、きらめく星を金貨にみたてて、それを紙に記帳することで所有していると思いこんでいる、実業家の星をめぐって、五番目に、街燈と点燈夫しかない小さい星へ着く。命令を忠実に実行するだけで、命令が実状に合わなくなっていることに、疑いをさしはさむことをしない点燈夫は、愚かではあるが、街燈に火を点じ、夜空に星を咲かせる仕事は、美しいから意味があると、王子は思う。六番目に、書斎に籠っているだけで、山も川も知らない地理学者の星へ着き、そこで地球を紹介して貰う。

 組曲第五は、地球。着いた所はサハラ砂漠で、人っ子ひとりいなく、こだまが答えるばかり。王子はそこで、月の色をしたヘビに会う。自分の星を後にして、ちょうど一年経ち、王子は頭上に自分の星が光っているのを見る。ヘビは、帰りたくなったらいつでも手伝うと謎のようなことをいう。

 組曲第六は、フォックス・トロット、黄金色の麦畑。王子はキツネに出会い、友達になる。キツネは「かんじんなことは、目には見えない、心で見なければ」という秘密を教えてくれ、王子が残してきた花に、責任を持たなければいけないことをいう。

 間奏曲、スイッチマンと、丸薬うりはともに、時間の倹約を口にして忙しがっている人間を描く。

 組曲第七は、夜明けの井戸。蜜の色をした砂漠の夜明けに、遭難寸前の王子と
飛行士は、忽然と井戸を発見し、心にしみる水を飲む。ここは、サン・テグジュペリが描こうとした、愛と連帯が、最高潮に達する、もっとも美しい楽曲である。
星へ帰ろうとする王子への、飛行士の想いは、レオン・ウェルトへの作者の想いと重なる。

 組曲第八は、終楽章で、別れ。王子は金色の毒ヘビに身を噛ませて、ぬけがらは残して、星へ帰る。飛行士の飲ませてくれた「音楽のような水」のかわりに、王子は「夜空に鳴り響く、笑い上戸の、五億の鈴」をプレゼントして。

 エピローグは、誰もいない砂漠だが、ここではプロローグと呼応して、ほんとうに大事なことはなにかを、リフレインとして静かに歌っておさめる。

 私にはこれらが、低く流れるセロのオブリガートや、甘く悲しく歌うオーボエの音色まで、はっきり聞こえるのだが、楽符で\現する力がない。今迄に発表された、数々の映像やレコードは、ほとんど気に入らない。ただひとつ、モーリス・ルルーの作曲で、ジェラール・フィリップ(飛行士)と、ジョルジュ・プージョリー(王子)、そして誠に個性的な舞台俳優たち(花、キツネ、点燈夫、ヘビ等)によって吹きこまれた、コロンビアの「世界文芸レコードシリーズ第一巻」だけは、心にしみる出来である。
第二次大戦で戦死した飛行家であり、マルローと並んで、今世紀前半の行動主義の作家とされる作者については、ずいぶんあちこちに書いたので、ここでは省略する。
伝記もたくさんあるが、中では、カーチス・ケイトの『空を耕やす人』(番町書房)が感動的である。(石澤小枝子
世界児童文学 100選1979/12/15
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