2 『兎の眼』のこと


 わたしはこの本を繰りかえし読んでいる。それだけではない。わたしの教室での話は、この『兎の眼』と前述の長谷川集平の二冊の絵本を紹介することからはじまる。その理由は、これらの作品ほど、「現代日本の子どもの本がどこまできているか」を適切に示したものはないと、わたしが考えているからである。だから、『兎の眼』を指して、「あれは児童文学ではない」といった日本の児童文学者がいることを(もちろん、これは風聞だが)、いまだに信じられないでいる。
 物語は、医者の一人娘だった小谷芙美先生が、学校を卒業すると同時に結婚し、結婚十日目で小学校に赴任するところからはじまる。その小学校はH工業地帯にある。近くに塵芥処理所がある。一年生の担任である二十二歳のこの先生は、第一日目からはげしい衝撃を受ける。教室に足を踏みいれるなり、まっぷたつに引きさかれた蛙、赤い花のようにとびだした内臓、それを取りかこむ形でにらみあっている子どもたちを見てしまうからである。理由を問いただす気持の余裕などない。小谷先生は職員室に駆けもどると嘔吐する。
 蛙を引きさいたのは、塵芥処理所で働く通称バクじいさんの孫、臼井鉄三である。鉄三はこのあと、同級生と大げんかをし、相手の骨が見えるほど爪でその皮膚を引きさく。この時は、嘔吐にとどまらず、小谷先生は即座に失神する。
 子どもと先生との最初のこの出会いは、きわめて衝撃的である。いや、それ以上に象徴的である。従来の「教室風景」はまったく否定される。「先生」が「子ども」を前にして、どうしていいかわからないのである。このことは、「先生」というものが、「先生」であるというだけでは、じつは子どもを理解することも説得することもできないものであることを示唆してくれる。知識あるいは既成の「教師観」で「先生」というものをとらえていては、子どもの現実とまじわりえないことを告げてくれる。「先生」というこの言葉のかわりに、「大人」という言葉を置きかえてもいい。大人もまた、こういう形の「子ども」との出会いを、じつは想像しえない存在なのである。だから、ギョッとする。冒頭のこのエピソードから、一種の「概念崩し」がある。ここでは、既成社会が「先生」という言葉に押しつけた通念、ないし擬似権威性のようなものがひっくりかえされる。それと同時に、「戦後」の代表作のように評価された壷井栄の『二十四の瞳』のあの先生像への明確な訣別がある。あの叙情性(ないし感傷性)は、所詮「戦前」から尾を引く「慈愛に満ちた教師像」だったことが反照される。どれほ ど心やさしい先生であったとしても、『二十四の瞳』の大石先生は、子どもからはなれた、子どもの上に立つ、子どもの保護者的位置を占めていたことがわかる。大石先生は、『兎の眼』の小谷先生のように、子どもと等質の人間として描かれてはいないし、また、小谷先生のように、子どもと四つに組みあって、じぶんをも「教育する」という努力が欠けているからである。大石先生は詠嘆的すぎる。子どもの日常にひそむすぐれた能力を発見することよりも、子どもたちの置かれた境遇に涙をそそぎすぎる。それは極端にいえば、子どもをみつめているというより、先生自身が、じぶんの「やさしさ」だけをみつめていることになりかねない。日本の児童文学は、こうした善意の「泣き虫先生」に共感することからはじまり、ずいぶんと長い間、「物わかりのいい先生」や、のっけから「子どもの味方」のような「教師像」を描いてきたのではないか。「先生」を「敵」とする児童文学作品は、たとえば奥田継夫の長篇以外、ほとんど見あたらなかったように思う。時には「先生」を揶揄し、嘲笑する作品はあったかもしれない。しかし、子どもと「先生」を対等の人間として、共に血のかよった価値ある存在 として描きだしたのは、『兎の眼』にはじまるだろう。
『兎の眼』の小谷先生は、子どもの「残酷さ」に失神した。そこにひそむ動機や心情を理解できずに嘔吐した。ここまでなら、あるいは既成の児童文学の中に探しだせるエピソードかもしれない。この物語の傑出している点は、そうした事件を出発点として、小谷先生の「成長過程」をみごとに浮きぼりにしたことにある。
 臼井鉄三は、まったく小谷先生に口をきいてくれない。学校にきても勉強に身を入れることもない。鉄三にとって友達はハエだけである。そのハエを契機にして、小谷先生は鉄三とはじめてコミュニケーションを持つ。「あらすじ」の紹介をやるのが本意ではないから、くわしいことは割愛するが、そこにいたるまでの過程で、小谷先生はずいぶんときびしい試練をくぐる。ハエの悪口をいったおかげで思いっきり鉄三に突き飛ばされもする。
「とっさになにがおこったのか小谷先生には判断ができなかった。逃げていく鉄三のうしろ姿をぼうぜんと見ていた。
 鉄三の姿が見えなくなると、せきが切れたようにかなしみがおそった。からだの中のものが、つぎからつぎへ吹き出てくる。胸があつくなり、痛くなり、そして目の前が暗くなった。
 小谷先生は大声をあげて泣いた。子どもたちがいることもわすれて、幼児のように泣きじゃくった」
 この「泣き方」は『二十四の瞳』の大石先生とはまったく対照的である。おなじ「先生」の「泣き」といっても、大石先生は先にふれたように、「先生として」「生徒の不幸」を泣いている。しかし、小谷先生は違う。「幼児のように」手放しで泣いている。泣くことによって「先生」という既成の殻を洗い流している。理不尽な暴力。納得できない鉄三の反応。そうした「頭の中での反応」の段階をこえて、ここで小谷先生は「先生」である前のひとりの人間に立ちかえっている。恥も外聞もなく大声をあげることで、小谷先生は鉄三とおなじひとりの人間であることを示す。たぶん、こうした手放しの泣きじゃくりこそ、「先生」が「どういう存在なのか」「どのようにあるべきなのか」を知らしめてくれるのだろう。じぶんの涙に酔っているあいだは、絶対に気づかない事柄である。同情や感傷的共鳴の枠を突き破った時に、人は人として新しく生まれる。その意味で、小谷先生のこの転倒は、生きる意味の自覚への陣痛にあたるだろう。繰りかえすが、日本の児童文学は、こんなふうに「先生」を泣かしてはこなかった。
 小谷先生のこの「泣き」は、さらにもうひとつの人間認識につながる。鉄三に突きとばされて家にもどった小谷先生が、憔悴している個所がそれである。
「部屋のあかりをつけて、小谷先生の顔を見た夫はちょっとおどろいた。これから小谷先生の話をきいて、いいかげんにしとくことやなといった。
『いいかげんにできないから苦しんでるんじゃないの!』
 小谷先生はヒステリックにさけんだ。
『バカ!』と夫はどなった。
『だれが大事なんかよく考えろ。家の生活をきちんとできない者に、ひとの子の教育ができてたまるか』
 小谷先生の眼からぽろぽろ涙がこぼれた。
『おまえがひとりでくらしているんならどうしようと勝手だ。ぼくだって会社でいやなこともあればつらいこともある。それをいちいち家の中へもちこんでいたらどうなるんだ。なんのために共同生活をしているのか、よく考えろ』
 心の冷えていくのが小谷先生にわかった。わたしのつらいことは、あなたのいってるつらいこととまるっきりちがう、と小谷先生がいいたかったが、もう、口がひらかなかった。
 その夜、小谷先生はウィスキーをがぶのみした。そして自分がこの世でひとり生まれてきたようなさびしい気持になった」
 小谷先生を泣きじゃくらせたものは、小谷先生個人の問題にとどまらないということである。小谷先生は、じぶんが変わりつつあることによって、はじめて夫を見直す。夫の生き方に同調しえないばかりか、じぶんの考える生き方とのあいだに基本的な違いがあることに気づく。夫は平穏な小市民的家庭を築くことを考えるが、小谷先生は人間としてのじぶんの可能性を、「教師」であることで探り続けようとする。亀裂の自覚である。人間の生きる喜びとは、夫の考えるようなものではないと、小谷先生は感じるようになる。この亀裂はやがて断層となる。そして、物語の終り近い個所で「夫婦関係」の崩壊をさえ予測させるのだが、それらはすべて、小谷先生と子どもとの関わりあいから生まれるということである。ここには、従来の児童文学が内包していた「子どもは人間関係復元の天使だ」という接着剤的発想はない。反対に、接着されているはずの人間関係のもろさ、あいまいさを照射する子どもの提示がある。
 もちろん『兎の眼』における子どもは、批判的存在あるいは破壊的契機として登場しているのではない。それは結果として大人の既成の価値観をゆすぶり、突き崩す。しかし、子どもたちがこの物語で果している役割は、もっと大きなものなのだ。それは一口にいうと「人間であることとは何か」「人間である以上どうあらねばならないか」というきわめて根本的な問題を語りかけることである。いうならば、人生の教師として子どもたちは登場する。ここでは、子どもたちは「教えられる」存在であるよりも、人間的価値を「教える」存在である。同様に、「先生」に集約される大人は、「教える」存在であるよりも、「教えられる」存在に転位する。これは、立場の逆転といって片付けられる問題ではない。そもそも立場に固執する人間生活そのものを、愚かな在り方として横に押しやる発想である。
 小谷先生に焦点をあてて話をはじめたから小谷先生のことに話をもどすと、伊藤みな子を預る話がでてくる。伊藤みな子は、いわゆる「ちえおくれ」の子どもである。養護学校にはいるはずなのに、入学するまで一ヵ月間ブランクができる。小谷先生はその間、みな子をじぶんのクラスにいれることを決心する。この決心は、小谷先生が人間としての美しさというものを真剣に考えた結果である。
「おおげさにいえば小谷先生は自分の人生をかえるつもりで、みな子をあずかったのである」
 小谷先生がこうした生き方にじぶんをおしすすめるまでには、いろいろなことがある。鉄三のおじいさんの話。足立先生との交流。クラスの子どもたちの一見「やさしさ」を忘れたような行為。あるいは、西大寺で善財童子を見ての感慨。いずれにしても、小谷先生は今までどおりのじぶんの在り方をじぶんの手で打ちこわしにかかるのだ。
 その伊藤みな子だが、彼女には「たったひとつだけわかることばがある。それがオシッコジャアーだ。しかし、その後がたいへんだった。そのことばをきくやいなや小谷先生は超スピードでみな子を便所につれていかなくてはならない。それでも成功するときはまれである。たいていは、とちゅうでもらしてしまう。オシッコジャアーというよりはやく、その場でもらしているときもある」。それだけではない。授業中、みな子はじっとしていない。クラスの子どものノートを破る。他人の給食に手をつっこむ。歩きまわる。池に腰までつかって金魚をおいまわす。数えあげればきりがないくらい、みな子は小谷先生をはらはらさせる。しかし、「小谷先生はみな子をあずかるとき自分にちかったことがある。かならずおしまいまでめんどうをみること、だれにもぜったいぐちをこぼさないことのふたつだ。泣かないということもいれたかったのだけれど、泣虫の小谷先生には、これはちょっとむりなように思われたのでやめにした」。
 はじめ、クラスの子どもたちは、みな子の自由奔放な行動にへきえきする。それ以上に、父兄から文句がでる。しかし、小谷先生はがんばる。

「先生はいったい、だれのためにそんなにみな子ちゃんにこだわるのですか」
「わたしのためです」
 小谷先生はきっぱりいった。母親たちはざわめいた。
「おどろきましたわ。学校の先生は子どものために仕事をなさるのではありませんの」
「わたしは自分のために仕事をします。ほかの先生のことは知りません」
 話にならないわ、と親たちはあきれて口ぐちにいった。

 このあたりはじつにいい。小谷先生が「自分のため」という時、はっきり自己変革こそ教育だという決意をかためている。もちろん、自己変革という言葉は、多少しゃちこばった用語だ。なんだかすごいことをやるようにとれそうだ。しかし、肩ひじ張ったそういうこちこちの生き方ではない。しなやかな、物事にこだわらない人間と考えてもいい。しかし、父兄は、というより「大人である」ことに慣れきった人間は、「先生」というものを固定化してとらえる。「先生」に「教育」の必要はないと考えがちである。つまり「先生」もまたひとりの人間として絶えず成長しなければならないものだというあたりまえのことが脱落する。成長という場合、かならずしも「りっぱな人間」になる必要はない。繰りかえすようだが、常に、今のじぶんに安住しないことだ。じぶんを一定の立場、地位、役割の中に押しこめまいとすることだ。小谷先生は、そういう試行錯誤の中にこそ人間らしさがあると考える。立ちどまることではなく、常に自己否定の形で歩き続けることである。「教育」とは本来、「先生」のそうした持続的成長をも含んでいる。小谷先生はそこのところを、うまく説明できない。説明できた としても、「教育」をそういう柔軟なものとしてとらえていない大人には、くそ理屈に聞こえるだろう。
 話を進めよう。「教えられるもの」が「教えるもの」であり、「教えるもの」が「教えられるもの」だと先に記したが、これは単に「先生」と「生徒」の関係だけではない。「生徒」たちもまた、じぶんとおなじ子どもから、そうした関係を引きだす。いうまでもなく、鉄三のクラスの子どもたちに、人間の在り方を知らしめるのは伊藤みな子である。
 クラスの子どもたちは「みなこちゃん当番」をやろうといいだすのである。
「うん、そうじとうばんはそうじをするでしょ。にちばんはまどをあけたり、しゅっせきをとったりするでしょ。みなこちゃんとうばんは、みなこちゃんのせわをするとうばんです。みなこちゃんとあそんだり、べんきょうをしたり、とうばんになったこは、みなこちゃんのそばをはなれたらいかんの」
「どうしてぼくがそんなことをおもいついたか、おしえてあげよか。ぼく、みなこちゃんがノートやぶったけどおこらんかってん。ほんをやぶってもおこらんかってん。ふでばこやけしゴムとられたけどおこらんと、でんしゃごっこしてあそんだってん。おこらんかったら、みなこちゃんがすきになったで。みなこちゃんがすきになったら、みなこちゃんにめいわくかけられてもかわいいだけ」
 これは淳一という子どもの発言だが、すでにこの発想の中に、淳一の、じぶん自身の枠をこえる思考や姿勢がのぞいている。じぶんが伊藤みな子をどのように思うか……ではなくて、伊藤みな子とどう関わるか。その最上の在り方を手さぐりし、つかみあげた気持がよく示されている。この「じぶん以外のもの」への配慮が子どもを変える。じぶんの中に、他人の立場、じぶん以外のものの考え方や感じ方を受けいれる土壌をつくる。それはやがて、他人というものがじぶんとおなじ命の重みを持ったものである自覚を芽ばえさせる。淳一というこの子どもだけの問題ではない。淳一の提案で「みなこ当番」を決議した小谷学級の子どもすべてが、それぞれのやり方で新しい人間関係の組み方を考えるようになる。伊藤みな子は、この意味で、クラスの子どもたちにとって人生の教師とおなじである。体や行動を通して人間への思いやりを喚起する点で、ソクラテスの役目を果している。
 勝一という子どもの父親がいう。
「……わしら教育のことはようわからんけど、自分とこの子さえよかったらええという考え方にはさんせいできまへんな。これは、もちろんエエカッコのことばです。そんなこというとったら、この世の中、生きていけまへん。それをようわかっとって、あえていうてまんねん。そういう世の中やからこそ、いっそう学校で思いやりというもんを教えてほしいと思いまんな。思いやりてなもんは、えらい時代おくれみたいですけど、わしら商売しておって、そういうもんで信用をもらうことがありまんな。そういうもんで、ああ生きとってよかったと思うことがありまんな。ちがいますか先生」
 伊藤みな子を小谷先生がクラスにいれたことを支持する発言だ。小谷先生や子どもたちの行為が、父兄にはねかえっていく。
 物語は、このあと、鉄三が「みなこ当番」で山内先生に跳びかかっていく話、それに端を発して先生どうしのけんかが始まり、その結果は職員会議の場へ持ちこまれて行く……という形で展開する。しかし「あらすじ」を追うことはもういいだろう。いろいろな出来事が続くが、小谷先生が、子どもといっしょに廃品回収業をやる個所を引用して、ひとつのしめくくりにしたいと思う。

「その縁の下にビンがあるやろ。もっていけ」
 ずいぶんきたない縁の下だ。いまさらけっこうですともいえず、小谷先生はしかたなしに縁の下にもぐって、古いビンをとり出してきた。きれいな顔がいっぺんにどろどろになった。
 小谷先生がいくらか代金をわたそうとすると、大男はいった。
「いらん。くれてやる。おまえさん若いのにくだらん仕事をしとるな。ほかにすることないのんか」
 ほっといてちょうだい、と小谷先生はいいたくなった。
「こじきじゃないからお金はおいときます」
 そうそうにとび出した小谷先生は、腹の中はにえくりかえる思いだ。熊野郎、すかたん、アンポンタン、無知、アホ、まぬけ、と小谷先生は思いつくかぎりの悪たいをついた。処理所の子どもたちの口の悪いのがなんとなくわかるような気がした。

 これが物語の結末というのではない。物語は、塵芥処理所移転反対の足立先生のハンストにむかってまだ続いていく。しかし、小谷先生が思いつくかぎりの悪口を胸の中で叫び、そのことから子どもの口の悪さをふりかえっていることは、ひとつの到達点を示している。小谷先生は、今や塵芥処理所の子どもたちとおなじ気持になっている。人間として一生懸命生きているのに、それを「くだらん仕事」といい切る差別的発想、そうした発想をごく自然のものとして通用させている既成の価値観にむかって小谷先生は憤りを感じているのだ。しつけや知能程度が口の悪さを生むのではない。人間を貧困に釘づけしておいて、それを無視するばかりか、そこから噴きだす屈折した怒りの言葉を、ただの「口の悪さ」と片づける無自覚人間が、それを増幅させているのだ。小谷先生は、そうした理不尽さをいやというほど体で感じている。蛙の内臓に嘔吐した時点から、そこまでじぶんを推しすすめている。こうした「成長」はすべて子どもと関わったことから生まれたものである。
 臼井鉄三にしても、伊藤みな子にしても、小谷先生がその中に跳びこまなければ、ただの「はみだしっ子」あるいは「落ちこぼれ」人間として終ったかもしれない。それは現代社会の「ダメ人間」という蔑視の地点に取り残されたかもしれない。しかし、小谷先生は、そうした通念を押しのけて、その子ども自身と深く関わることにより、じつはそうした子どもたちこそ、じぶんに「生きるとはどういうことか」を教えてくれる可能性にみちた存在だったことを知る。子どもたちが人間の在り方に目ざめていくことと、「先生」が生き方を問い直していくことは深くむすびついているのである。
 この作品の傑出している点はそこにある。灰谷健次郎の卓越性は、そうしたものとして大人と子どもを等質に描きだした点にある。そして、こうしたすぐれた試みが、日本の児童文学の世界でなされたことに、わたしは拍手しているのである。
 小谷先生の「成長過程」に焦点をあてて語ってきたため、これだけではきわめて固くるしい「神聖教師譚」に聞こえるかもしれない。しかし、足立先生をはじめとして小谷学級の子どもたち、それに「せっしゃのオッサン」などが登場し、そうした従来の「教師苦闘譚」の枠は打ちこわされる。それどころか、これほど愉快な物語はない。わたしたちは、この長篇世界をくぐり抜けるとくぐり抜けないとで大きく違ってくるだろう。この作品の頁を繰ることは、「忘れていた世界」への回帰ではなく、「人間の内なる可能性の世界」の発見につながるだろう。それと同時に日本児童文学の新しい地平に踏みだしたことを感じるだろう。

 わたしはかつて、この作品について若干の文句(?)をつけたことがある。その旧稿を、日本児童文学のturning pointとして、右のように評価してきたその横に並べてみたいのである。「日本読書新聞」(昭和四九年九月三〇日号)に書いた《「そこまで」ということ》がそれである。

 大阪で発行されている雑誌に「リード」というのがある。その雑誌に一度、灰谷健次郎さんの『兎の眼』について書いたことがある。一国の総理大臣が汗をしたたらせて語る「教育者の在り方」よりも、灰谷さんのこの長篇小説の方が、ずっと日本の教育の在り方を考えさせる……。そんなふうに記した記憶がある。その考えは今でもまったく変っていない。最近の児童文学で何かおもしろいものはありますか……といわれると、これを読んでみてはどうですか、ということにしている。それなのに、ここでもう一度、『兎の眼』のことに触れようとするのはどうしてなのか……。
『兎の眼』には小谷先生という若い女の先生がでてくる。でてくる……というより、全篇、この小谷先生と鉄三少年との葛藤で成り立っている。小谷先生は新婚十日目でこの一年生の担任となり、物語の終末部では、子どもたちの生きざまに肩入れしすぎたあまり、離婚ないしは別居でもしそうな険悪な状態になる。あからさまにその破局は描かれていないが、大人の読者なら、それと察しのつく形で描かれている。小谷先生は「そこまで」教育に打ち込んだというわけである。「そこまで」教育に打ち込むことを、作者の灰谷さんはほめているわけではない。「そこまで」行かねばすまなかった教育の在り様を、灰谷さんは描いているわけである。しかし、この「そこまで」行く小谷先生の姿は、作者の意図は別として、一つの危険な感動を読者に与えはしなかったか。
 教育行政者にとっては、「そこまで」打ち込む先生こそ「いい先生」だと持ち上げることができる。子どもを学校へあずけっぱなしにしている親としては、先生だから当然「そこまで」やってもらわなくっちゃ……と思う。子どもは子どもで、先生とは「そこまで」じぶんたちの面倒を見るものだと考える。また、「現場」に参加する以前の、あるいは、多感な娘たちは、「そこまで」やる女先生に崇高な生きざまを読みとる。その献身の深さに感動したりする。この「そこまで」へのそれぞれの反応が、いかに先生の、人間としての価値を、他の職業、他の人間から特別視する危険に充ちていたかは、一考にも再考にも価する。
 どうして「先生」だけが、個人のこの一回限りの生を(私生活の権利といってもいいだろう)、そんなふうに「犠牲」にする道を歩まされ、それをほめたたえられたり、当然だとされなければならないのか。もし政府が、あるいは教育行政者が、もっと先生の数をふやし、一クラスの人数をおさえ、さらに、児童の生活環境の問題にまで細心の配慮を払っていたならば、このように、教育を一個人の犠牲によって、「肩がわり」させることはなかったのではないか。そこのところをはずして、「そこまで」やる教師に感動することは恐ろしい。その恐ろしさが、『兎の眼』の小谷先生にはついてまわっている。その点に触れたかったのである。
 もちろん、これは「教育」よりも「結婚生活」を、という二者択一の考えでいっているのではない。児童文学作品だから、「そこまで」やる「いい先生」ばかりを登場させる……というのではなしに、児童文学作品もこれからは、「そこまで」やる(あるいは「やらされる」)教師の、人間としての復権があってもいいのではないか、そういっているのである。

 この発言は、小谷先生の生き方を曲解したマトはずれなものに見えるかもしれない。小谷先生は無理強いされて鉄三たちと関わっているのではないからである。「犠牲」とはとんでもない。小谷先生は反対に人間として豊かになったはずだ……そういう指摘をされそうである。なるほど「日本読書新聞」のこの発言ではそうした点を割愛したといえそうである。しかし、わたしはそれに先立つこの小論の中で、そのことには触れたつもりである。その上に立って、なおかつ……という形で旧稿を引用している。わたしはたぶんすこしだけひねくれているのだろう。素直に感動したその点でペンを置くには理屈っぽすぎるのかもしれない。いや、文学作品と現実生活を混同しすぎているのだろう。しかし、「美しいもの」に涙することは、かならずしも涙するその人の人間的「美しさ」とはならないだろう。『兎の眼』に感動する読者が、それに感動することで小谷先生や足立先生のような生き方をするとは限らないだろう。いや、もうすこし極端ないい方をすれば、この物語に感動することで、この物語の底に息づく現実の問題をわかったことにはならないだろう。わたしはそういうことをいっているのである 。もし、現実に小谷先生のような先生がいるとすれば、物語の方は「感動的」に終っても、その「先生」の苦闘は決して終らないはずだ。それは繰りかえされるだろう。鉄三は卒業しても、別の鉄三や伊藤みな子は「先生」の前にあらわれるだろう。そのたびに、現実の小谷先生は歯をくいしばってその子どもたちと関わっていくだろう。小谷先生を「そこまで」やらして、それでわたしたちはいいと思っているのか。この物語を読むということは、「そこまで」わたしたちも、じぶんを問いつめることとつながっているのだ。そういうことを忘れたくないといっているのである。現実にはたぶん、小谷先生のように「そこまで」やる「先生」はすくないのかもしれない。この物語の中には「いやなやつ」と思われる「先生」方が登場する。ほんとうは、日本の「先生」方の多くは「いやなやつ」ではないにしても、小谷先生ほど献身的でない人が多いのに違いない。(間違っていたら、ごめんなさい、日本の先生方)。そうした「先生」方もまた内心ジクジたる思いを抱きながら教壇に立っている。あるいは、仕事と割り切って子どもの前に立っている。そういう「先生像」も、小谷先生と等質で描くことが大切 だろうし、また、現実の小谷先生にとびきりすばらしい休暇を与える発想も、この物語から引きだされたらいいのに、と思っているのだ。
 物語の中で、小谷先生の夫は、おまえに楽をさせてやりたい……といった。そして、小谷先生をぎょっとさせた。わたしの発言は、その夫の発想と重なるものを持っているのかもしれない。しかし、ほんのちょっぴりか、反対にうんと大きくか、その発想とは違っているはずである。そうじゃない……といわれれば、それまでだが、その場合でもわたしは捨てゼリフをはくような気がする。それじゃせいぜい小谷先生のような「いい先生」を苦しませて、それで楽しんでいなさいなと。繰りかえすようだが、わたしはこの物語の中から、現実の「先生」の在り方を考えている。わたしが文部大臣になってからではもう遅いからである。小谷先生のような「いい先生」がおばあさんになってから一枚の表彰状をもらうだけでは、あまりにむごいからである。
 話はそれてしまったが、『兎の眼』にもどろう。この本のおしまいに読者へのすばらしいメッセージがついている。「あとがき」としてある『ぶぶぶでにっぽんごいわれへん』がそれである。作者・灰谷健次郎の「やさしさ」とするものが、みごとに形をえた短文である。わたしはかつて、『ネバーランドの発想』という評論集をだした時、「あとがき」でそのことにふれた。
「学校の先生をやめます。きょうから、ただのオッサンになります。さようなら」
 灰谷健次郎はそういって学校を去った。その時はまだ『兎の眼』は出版されていなかった。その短文は、雑誌に発表されたばかりだった。わたしは、そのみずみずしい発想に軽い目まいを感じた。これほどのしなやかな、しかもやさしいぬくもりを持った文章はまずないだろうと思った。そうした豊かな感性が『兎の眼』として結晶した。日本の児童文学はそこで、目に見えぬ turning point を迎えたといえるだろう。しかし、今は『兎の眼』を棚にもどし、机の横の絵本の頁を開いてみよう。長谷川集平もまた、絵本の世界における独自の turning point をつくりだしたひとりだからである。
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