マリア・グリッぺの作品に関する研究

『私学研修』79号 1978
島式子

           
         
         
         
         
         
         
     
 現代の児童文学は各々の国において,独自の歴史と環境を基盤に実に多面的な発展をなしとげている。
 まずイギリスの児童文学は,300の年に及ぶ歴史が確実に生みだした数々の名作や古典を内に秘めて,現代なお第一線の力を保持し続けている。戦後イギリスの児童文学の一面を担ったのは職業小説の分野だといわれている。が,この分野は,児童文学の階扱的広がりを意味しながらもそれに徹底できず,中産階級層の思想を根底に底の浅いリアリズムに終始した。この状態を一気に新い段階へ移行させたのは,ジョン・ロウ・タウンゼンド(1922〜)であった。 「さよならジャングル街」で彼は現実に生きる子供の内面を深くさぐることに成功し,それまでのイギリス児童文学がかかえていた中産階級的意識を大きく変化させる起動力の中心ともいえる作家であった。児童文学の世界での夕ウンゼンドの到達点の一つがおそらく1969年「アーノルドのはげしい夏」にみられよう。特別の解決をもたないラストの部分で我をはアーノルドの何を知るのか―そこにはアーノルドという1人の少年の自己を確認するその事実のみが残されているのである。しかしそこに横たわるのは,単なるあきらめや孤独のみではない。アーノルドがその時点から以後,また生きていくという確かでゆるぎのないエネルギーが我々の手もとには残されるのである。同様に少年の生き方を真剣にさぐった作家にウィリアム・メイン(1928〜)がいる。彼の作品中,1964年の「砂」では,明るいハピー・エンディングがない。努力した子供たちにそれだけの報酬がない事態である。真剣に苦しみ悩んだ子供たちの前に巨大なものが立ちはだかっている。これを前にして,しかし彼らは逃げたりあきらめたりする道を安易にとろうとはしない。その場で力の限りに立ちむかう少年たちのあり方と,自己の内面に生 ずる様々な葛藤をへて自己確認に至る彼らの姿こそ,メインが描きタウンぜンドが目指した点だったのである。こうした力がイギリスの児童文学を支えるなかで,我々は,フィリッパ・ピアス(1920〜)の描いた1958年の「トムは真夜中の庭で」にみられるファンタジーの流れを忘れるわけにはいかない。ローズマリ・サトクリフ(1920〜)は,ある時代を創り歴史的物語を展開させる中で現代を語った。
 K.M.ぺイトン(1929〜)は,1967年から1969年にかけて出版された「フランバース屋敷の人びと」三部作で・正統性を保った歴史小説を描き,世代・愛情問題を生きることの意味にまで深めた。これらの幅広い作家をイギリスの児童文学は誇り,常に新しい方向を模索している。こうした多様な内容にめぐまれた児童文学の作品について,現在盛んな論議を呼んでいるのがいわゆる「子ども離れ現象」である。これが児童文学といえるのか―という疑問から生ずる言葉である。これに対する回答の有無を問うより,ここで焦点をあわせたい点は,それまでの児童文学は子どもを本当にとらえてきていただろうかということである。いわゆる「子ども離れ現象」の的にあたる,アラン・ガーナー(1935〜),ウィリアム・メイン,ジョン・ロウ・タウンゼンド等は,実は児童文学の世界を広げた作家と言えはしないか。子どもが本当に心の中にいだいていた葛藤や暗い部分・焦点のあたらなかったところを,細かい心配りでさぐり同時に開いてきた人と呼ベはしないだろうか。
また,これらの作家が常にとりくんだリアリズムにも時とともに大きな変化がみられる。タウンゼンドは1975年のNoah's Castleで,未来に起こるであろう食料危磯を軸に,SFではなく,時代の未来性を読者に与えながら現代を問う姿勢をうちだしている。こうした作品からも推察できる次の問題は,リアリズムとファンタジーの境界―はたして児童文学はそうした二つのジャンルにわけて考える道すじを今後もたどってゆくのかという点になると思われる。これを反映して,一極の歴史小説の様相を呈しながらファンタジーと呼んであまりある作品をジョアン・エイキン(1924〜)が発表している。これはレオン・ガーフィールド(1921)の「少年鼓手」についても同様のことがいえる。これらの流れを,イギリスの児童文学の底の広さ・深さとして積極的に受けとってゆく姿勢が求められているとも言えるだろう。
 一方アメリカでは,50年代まであくまで陽気・建設的・向日性の強い児童文学が,その国民性とともに強い根をもって,発展していた。しかし60年代に入ると,社会情勢の変化に伴い,大なるものが小なるものにまさるという思想が崩れはじめ,アメリカは長い苦悶の時代に入るといわれる。この時期の児童文学は,後に鋭い批判をあびる結果を招くことになるが,数多くのテーマ小説・風俗小説を生み出している。しかし地味な流れとして,文学的な価値を十分に保ち確実な読者をつかんだ作者も,少数ながらその力を発揮する。マイア・ヴォイチェコフスカ(1927〜)は,1964年に1人の少年の内的な悩みを格調高い文章であらわしてニューベリー賞をとった作家である。こうした新しい流れの中,子どもの心に目をすえてゆこうとする少数派の作家で忘れがたい作品を書いた人が,ルイズ・フィッツヒュー(1928〜1974)である。彼女は1964年発表のHarriet The Spyにおいて,個性的な11歳の女の子と大人をみごとに描き,生涯心にのこると子どもたちの絶賛をあびた,実在感に富む少女像を残した。また,メトロポリタン美術館への現代家出物語ともいわれる「クローディアの秘密」を代表作とするE・L・カニグズバーグ(1930〜)は,個性を重んじたキャラクターをその後も確実に生み出している。1969年にはポーラ・フォックス(1923〜)が「バビロンまでは何マイル」でアイデンティティの問題を大きくクロ-ズアッブさせた。彼女は1973年のSlave Dancerで,一少年の戦慄をおぼえるような体験を歴史小説にまとめ,ニューベリー賞をうけている。この作家および,現代アメリカ児童文学の最高の作家の1人といわゆる黒人作家,バージニア・ハミルトン(1936〜)の出現以来,アメリカの土壌に埋もれたままであった芽がようやく花ひらく時代に入った観がある。社会問題のみを描写してそれが即文学といえるのか―という批判をうけた60年代の作品群には,人々のおもいが十分にこめられてはいたが児童文学の中に定着してゆく文学的価値に決定的に欠けていた。それが今この人をえて,アメリカの児童文学は,自己追求に若さと貴重な時間をついやす子どもの姿を美しくしかも確かな手ごたえで把握したといえるのではあるまいか。両人に共通する美しいシンボリズムの流れは,作品を重厚で幅のあるものにしている。またアメリカにファンタジーは育たないといわれつづけたことをくつがえすかのように,「ゲド戦記」(1968年),「プリディン物語」(1964年)などが大型スケールで登場しはじめた。リアリズムとファンタジーというこの二つの流れがどう出会い結びついてゆくのか,いずれにしても現代のアメリ力児童文学はかつてない興味深い時期をむかえたよう である。
児童文学の世界でリーダーシップをとるこの二国につづいて,英語圏の若い国々の作家の活躍にもめざましいものがある。特にオーストラリアは,国の若さがその主ま児童文学のエネルギーになり,アメリカやイギリスがその複雑な社会構造の故にともすればくみするにためらいがちな素直さとのびやかさと自由な冒険が,この国では尊ばれる。アイバン・サウスオール(1921〜)はアイデンティティの問題を「ジョシュ」の中で存分な形で語ってみている。
 こうした英語圏の児童文学世界の移りかわりのなかにあって,北欧スェーデンの現代児童文学は,それらとは趣きを異にしながら独自の新しい方向をめざしていて興味深い。スウェーデンの過去2O年間における児童文学書の発行数は年間約400〜500冊といわる。(しかし最近の5年間ではその数の増大が著しい。)18,19世紀においては,主に翻訳によって子どもの本が語られていたスウェーデンであるが,戦後急速に子どもの本に対する需要がたかまり,絵本・幼年童話・小説の部門でスウェーデン人による作品があらわれはじめた。絵本においては他の国をしのぐ形で写真絵本などのすぐれた試みがなされ現在も世界の注目をあびている。文学的な内容ということでひきつがれた精神は,伝統的な民話を再話する形であったが,このころから,現実に生きる子どもを扱った児童書がめだちはじめる。1945年にA・リングレーン(1907〜)が世におくりだした「長靴下のピッ・ピ」は,スウェーデン児童文学の新しい出発を意味していた。大人によって強制されることのない世界に生きる子どもの夢がピッピには託されていたのであろう。リンドグレーンはこの作品以来スウエーデン児童文学の中心を担う作家として数々のす ぐれた作品を生みだした。また,トーべ・ヤンセン(1914〜)はThe Finn Family Moomintrollを1950年に発表して,子どものもつ寂しい感情や失望・恐怖などに目をむけた。この作品はそうした一面を新い方向として保ちながら,誠にシンプルで複雑さが一切きりすてられた幸福論に満ち,ともすればセ
ンチメンテリズムという次元でとらえられる内容であった。こうしたスェーデン独自の作品がひろまるなかで,影響を受け翻訳として読まれたのは,C・S・ルイス(1898〜1963)の「ナルニア物語」(1950年)とJ・R・R・トールキン(1892〜1973)の「ホビットの冒険」(1937年),また,ルイス・キャロル(1832〜1898)の「不思議の国のアリス」等だといわれる。
さて1950年代も後半に入ると,リアリスティック・フィクションの分野では非常に顕著な内容をもつ作品があきらかにその数を増していく。その中で特にとりあげられた問題は,子どもの孤独な感情・家族関係・学校での問題等で,いわゆるさびしい子どもたち,lnely childrenが作品にあふれるような現象をみることになる。Hans Peterson(1922〜)はこうした問題をバックにすぐれた作品Liselott and the Goloff(1964年)を描き,GunneILinde(1923〜)は1959年にChimneytopを,Bo CarPelan(1926〜)は1968年にBow Islandを,またHans-Erie Hellberg(1927〜)は1965年にBjorn med trollhatten等を発表し,それぞれ,死の問題・ハンディキャップのある子どもの問題,老人の問題を,誠に重い問題として正面からとりあげ,子どもの世界を決して理想化することなくその内面を真摯な筆で探っている。まさに現代がもつある断面を我々につきつけたのである。60年代には,社会の動きに伴っていわゆる政治社会問題を扱った作品がふえている。こうした流れを背景に,社会的意識をふまえながら,形式的にはテーマ主義におちいらない作品を地味に発表しつづけ,リンドグレーンと並んでスウェーデン児童文学を代表するといわれる作家がマリア・グリッぺである。
 マリア、グリッぺManaGripeは,1923年に生主れ,Orebroで育ちストックホルム大学で哲学と宗教史を学んだ。1954年にI van lilla stadで作家としてスタートして以来20冊以上の著作をだし,実に16カ国語に翻訳されている。1961年に「ジョセフィン」Joephineを発表し,不動の地位を確立したといわれる。この後,「ジョセフィンとヒュ一ゴ」Joephine and hugo(1963年),「ヒューゴ」hugo(1966年)を続編として発表し,ひき続き「森の少女ローエラ」Pappa pellerin's daugter(1963年),Glassblower's Children(1964年),.The night Daddy(1967年),Julia's House(1969年),Elvis and his Secret(1972年),Elvis and his frienda(1974年),Land beyond(1974年),In the time of the Bells(1977年)などを着実に発表しつづけている。グリッペは61年のJosephineではもちろん,Pappa pellerin's daughterや互Elvis and his Secretでも明らかなように,実に鋭い筆のリアリストであり,子どもの感情をいかに視角化するかということを心得ている。しかしまた・,1964年のGIassblower's Childrenでは,リアリティとファンタジーの世界の境界が明確でない一種のアレゴリカル・ストーリーを見事に描き,そこで善悪の問題を正面からとりあげている。つまりグリッぺは,世にいうファンタジー作家でもリアリスティックな作家でもない。彼女のなかではこの区別すら意味をもたぬのかもしれない。
 グリッぺの生みだした作品の中の子ども像は大変魅力に富んでいるし,各自実在感が高いキャラクターである。1961年のJosephineはスウェーデンの児童文学の主流を担うlnely chiIdrenの代表でもあり子ども時代の不安定なさびしい子ども像をみごとに描き出している。この子ども像を通してグリッぺは子どもの持つ鋭い大人観を示し,特別な事件もない中で幼い少女の心のひだを実に細かくみつめている。その次作でもあるHugo and JosephineやHugoでは、このおとなしい内的な少女JosephineのもとへHugoという,作者が創り出した少年をおくりこむのである。両親からも独立させ,学校についてもHugo独自の考えを示させる。Hugoという1人の生徒を通して学校の本来あるべき姿に教師は徐々に気付き,自然の偉大さと,人間と自然との関係にも眼を開かれる思いがするのである。Hugoはあらゆる意味で現代の機械文明に対立するもの―として描かれる。彼には,自然の力・自然の動きが何よりも大きな意味をもっている。おしつけの事実や規則はこの少年には何ら価値のないものであり,ほとんど理解を示さない。彼は手で細工することに熱中し納得のゆく手仕事を完成しようとしているし,事実すぐれた作品を創っている。Josephineは,自分の力では大人への問いかけ・外への問いかけができない子として描かれる。彼女は自分の内面での葛藤を解決できず自分の無力さに憤りをおぼえているが,一歩の前進もできない。JosephineはHugoという少年との友情を得て大きく変化してゆく子どもとして描かれるのだが,この少女について作者が描いた点も,忘れられぬ印象深いものを我々に残す。Hugoは英雄的で強い,少数派に属する子どもである が、我々が接する子どもたちの多くはやはりJosephineである場合が多い。“子どもの涙は大人の涙と同じくらい重い"という名言をケストナーは残しているが,まさにJosephineには多くの子どもの声が生きている。Josephineは自分の本名を極端に嫌っている。Anna Graというその名前は,Josephineをして自分らしく感じさせないのである。彼女は自らがJosephineであることを自己確認する道を歩み苦悩するが,Hugoの生き方をみつめる中で自分というものをはっきりつかんでいく。対照的にHugoは,あくまでも自己をつらぬきアイデンティティをつきつめた少年として描かれる。そのゆるぎのない生き方は,Josephineにはもちろん,我々にも生きることの強さや愉しさを教えるのである。
 Hugoのもつ一種の哲学は,子どもだからという一言ですまされるようなものではない。母観の死・父親の投獄という事態を1人できりぬけた少年が自分で得た力なのだということも我々に徐々に知らされる。Josephineはこの強いHugoを通して,彼とは全く異なる自分というものを知ってゆく。この2人のあり方は,作者の子ども観を最も端的に語っているようであり,もう一点興味深いところは,1人の人間の中に存在するHugoとJsphine像のようなものを作者が追求している点であろう。子どもは内面でHugoとJsephineという二面を秘めているのだと考えると,人物像に広がりが感じられておいろい。大人への成長段階でその両者の関係が変化してゆく点なども考えに入れれば,1人の人間の人格形成についての作者の考えも推察できるように思われる。グリッぺは,「森の少女ローエラ」の中で,ローエ
ラをあくまで強い少女として描こうとした。気性の烈しい,独立心に富んだ―事実独立して生きていた一少女は,作者にとって,Hugoで育てた子どものある可能性のようなものを深める意味でもおもしろいキャラクターづくりであったにちがいない。1人で森に生きるローエラには,Hugoの1人ぐらしに加えて,双子の弟を育て世話をするといういわゆる「大人の仕事」までがある。この限界状況を1人の子どもがどう生きるか。作者は,選択してこの道をすすもうとしたのではなく.運命のいたずらでやむをえない状況におかれた一つの小さな生命に深い情念をこめて語っている。The night DaddyのJuliaは活発でリアリティに富んだ女の子である。看護婦を職業にする母親の考えではじまった一つのパターン。それはJuliaの生活に深くかかわる1人の大人―Juliaの夜間のべビーシッター―つまり夜だけのパパという全く特殊な大人と子どものつきあいを生みだしてゆく。わが国ではとても把握できぬ一つの様式のなかで,Juliaは生きることの愉しさや意味をこの夜だけのパパから教えられる。またフラワーゲリラを実行する個性的な少年を描いたElvis and his Secretでは,グリッペは,Josephine-Hugo-ローエラ-Juliaと一貫してみっめてきた子ども像を年齢を少しさげることで単純化して問題点をうきぼりにするとともに,この年齢(6〜8歳)の子どもの眼を卓越した筆で描ききった。母親がファンであるエルビス・プレスリーにちなんでっけられた名前とは裏はらに,ナィーブで内省的な子どものElvisは,サッカーファンの父親の願望にはとうてい応えられぬ,スポーツに不向きな子どもである。この両親のあいだでElvisは,自分の生きる場をけんめいにさがそうとする。同じ年代の子どもともう正く理解しあえないElvisは,大人の言葉にひそむいつわりに怒りを覚え、花ゲリラを実行するに至る。この子どもにとって,信頼するに足る,しかも愛情をまともにうけとめてくれるものは,自分のまいた種から芽がでて花が咲く,その現像なのである。またこれこそは,Elvisの存在証明でもある。これら一連の作品に流れる作者の眼は,何歳の子どもでもその子なりの悩み・価値観・好みがあるはずであるという,古い,一貫した思想なのである。この古いテーマを常に新しい感覚でささえるのは,子どもたちのアイデンティティを追求する点であろう。こうした子ども像を追 いながら,グリッぺの作品で共通に扱われる題材は,,死・名前・秘密であると考えられる。死の問題は,子どもの本の中での老人の描き方等とも関連して,非常に興味深いテーマをつらぬいている。高度に社会福祉の発達したスウェーデンの老人問題をバックに,クリッぺは子どもたちが理解を求める相手に老人をしばしばすえている。老人社会が保障され,社会的に不自由のない老人たちの考えていることは何か。老人たちはまた,彼らの理解を子どもにもとめてひたすら語る。作者は両者の交流を描きながら,子どもが秘める祖父母(老人)への甘えと老人をみる鋭い判断力を明確にとらえてゆく。亡くなった子どもの残した衣服をElvisに着せてその影を追う祖父母と,老人たちの気持ちをくみとって従うElvisであるが,ついに彼は老人たちが確認することを避けていた死という言葉の意味を問う。理解を示しあってきた両者の間には,実は埋めつくせぬ谷間が存在している。時とともに成長する子どもと,過去に生きる老人がとらえる絶望的な死の意味は,あまりにも大きなちがいと響きをもってうけとめられているのである。グリッぺはElvis という子どものアイデンティティをさぐるなかで死の問題を追求し,それはとりもなおさず老人のアイデンティティの問題を語ったといえるのである。そしていわゆるその間に生きる世代が,老人と子どもという社会的に疎外されている生命に対してとりうる生き方をも大きく問うているようである。それは同時に,かつて子どもであった我々すべての大人の問題であり,そしてやがては老いて死をむかえるすべての人間の永遠の問題なのかもしれない。
 こうしてスウェーデンという国柄を基本に,グリッぺの作品は,他の国々の児童文学がまだ書き及んでいない点を,みごとに表現しているといえよう。子どもが成長する過程をみつめる際,老人や死を念願に置いて書くことがいかにも自然な態度であるかのようである。子どもの文学の可能性と意味が真剣に問われる現在,グリッぺの作品はそれに正面から答えてゆこうとするものであろう。児童文学の歴史は比較的新しいなかで,こうした作品を生みだすスウェーデンとしいう国と,その国を代表するグリッぺの創作態度は,世界の注目をあびているのである。

参考図書
(1)『世界児童文学概論』東京書籍
(2)『英米児童文学史』研究社
(3) Children's Literature (Holt, 1972)
(4) Children and Lilerature (Prentice-Hall, 1973)
(5) The Pied-Pipers (Paddington Press, 1974)
(6) Wriiten for Children (Llpphlcott, no. 6-vol.l974)
(7) Horn B00k. val. 48, 53, no. 6. (1972-1977)