恢復する家族

大江健三郎

クララをいれてみんなで6人

P・ヘルトリング

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 たまたま書店で、装画にひかれて手にした『恢復する家族』
 読んでよかった。また一つ目からうろこが落ちた思い。
 知的な障害を持つ息子と家族との共生を綴った、このエッセイ集は、同じような問題を家族に抱えた人が読んだら、もちろん、限りない励ましと示唆に満ちた書物になるだろう。
 でも、それ以上にこれは、人生や芸術、文学、宗教、そうした多義的なものを大きく包み込んだ深い洞察の書である。
 英国の詩人であり、銅版画家でもあったW・ブレイクの詩篇は大江健三郎氏の短編集『新しい人よ眼ざめよ』の大きなモチーフになっていた。この本の中でも、ブレイクの『セルの書』を引用して、こんなふうに人生観が語られる。「永遠に続く生命の谷から地上に下りてきた聖なる乙女セルは、涙と悲しみの国を見て、おびえて天上へ逃げ帰る。」だが、大江氏は「自分らはこの地上の国へとあえて下りてくることを決意した」セルなのだという。「今、地上にいる自分はそれを忘れているが、こちらへ下りてくるに際して、自分の魂はある決意をしたのだ。おそらくは……仕方がない、やろう!といったのだ、と」。
 言葉を発することのなかった息子が、野鳥の声に初めて反応し、やがて音楽にいきあたり、ついに自分で作曲をするに至る三十年。その過程を共に生きてきて作者は「悲しみであれ、その奥底へ向けて人間をつきつめさせる力……それを表現することが同時に悲しみ、苦しみからの恢復である。」と思うに至る。芸術の持つ不思議な癒しの力への賛歌だ。
 今は作曲家となった子息光氏の音楽が「澄明で鋭い悲しみに満ちている」とすれば、夫人の描く水彩画は、澄明で穏やかな喜びに満ちている。
 終章、コンサート会場で、光氏の作品の演奏が終わったあと母親に介添えされて舞台に向かう姿を見ながら、作者は、自分のなきあとの、未来のあるときに思いを馳せる。読み終わった読者もまた、静かな感動に包まれるにちがいない。
 『クララをいれてみんなで6人』は、ドイツの児童文学だが、やはり、作者自身の家庭生活が色濃く反映されている。
 靴箱のような小さな家に、両親と子供三人が暮らす、とりたてて変わったこともない家庭。家族だからこそ、わがままを言い合い、身勝手なこともする。
 けれど、新しく生まれてきた赤ちゃんが片方の眼に障害を持っていることを知ったとき、家族は一つに結び付く。家族の意味って何だろうという深い問いを読者に投げかける二編だ。  (末吉暁子)
MOE1995/05

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