山田詠美の中の「懐かしい子供」

酒寄進一

ぱろる1 収載 1995/09/29


           
         
         
         
         
         
         
    
 山田詠美の『蝶々の纏足』(一九八七年)をはじめて読んだとき、ぼくはひどく、ドキドキしてしまったことを今でもよく覚えている。
 出版元(この場合、河出書房新社だけど)の広告文によると、『蝶々の纏足』は「幼女から高校時代に至る女ともだちとの心の葛藤を、初の異性体験を交錯させつつ鮮やかに描き出し、生の実相に迫る」作品とある。「生の実相」という普遍的な問題が描ききれているかどうかについては疑問の余地があるが、語り手瞳美と女友達えり子というふたりの個人の、関わってしまったがためにしがらみとなった人間関係と、それを纏足にたとえる瞳美の側の心の葛藤だけで、すでに十分読みごたえのある作品だ。
 そしてぼくにとっての読みごたえは、「おどろくべき子供」との出会いだった。(この印象は一九八八年に出版された『風葬の教室』でも同じだ)。「子供」といっても、瞳美は女という性をもつ「少女」であり、男であるぼくの預かり知らない「少女」の内面世界をのぞき見たドキドキであったとも言える。にもかかわらず、「おどろくべき少女」ではなく「おどろくべき子供」と呼ぶのには訳がある。
 『蝶々の纏足』を読んでから四年後、ぼくは山田詠美 の短編集『晩年の子供』一九九一年)を手にする。この短編集に収められている八編の作品はすべて、女性の語り手による子供時代の回想で構成されている。ふたたび性の差が問題になると思いきや、ぼくはその語り手たちの大部分に、違和感なく共感してしまったのだ。かって子供のときにそう感じながら、自分では口にすることの出来なかった言葉を、語り手たちが随所で使っていたからだ。たとえば、表題作「晩年の子供」にこんな言葉がある。

 周囲の人々、それは主に家族のことだが、彼らが私の周囲に形成する感情のモザイクのようなものが、まるで積木のように重ねられていることも知った。彼らの私に対する感情には、まったく隙間がなかった。(中略) 私は、初めて、家族が愛し合うことに、真空状態が存 在しないことを知った。二七頁)

 この言葉の中身に関わることは後でまた考えよう。今、確認しておきたいのは、そこでぼくが出会ったのが「懐かしい子供」だったということだ。語り手たちはたしかに「少女」だったのだが、言葉を共有することにおいて、ぼくは語り手たちにほとんど性差を感じなかった。これが「子供」というくくり方をしたいと考えた理由のひとつである。
 もちろん、これはぼくの個人的な読後感を拠り所にしたものだが、どうも山田詠美自身が「子供」という言葉にこだわっているふしがある。『蝶々の纏足』の語り手には、冒頭で「私、何も知らない子供だった」と、十六の時の自分を述懐させるし、『風葬の教室』の語り手(小学五年)には、次のように語らせている。

 私は人間には大人と子供という分け方があるのだといつも思います。もちろん実際に年齢をとっているかどうかということとは関係がありません。あの人は子供、あの人は大人。私は自分にとって少し簡単すぎると思われる授業の時は、いつも人々を大人と子供に分けて遊んでいました。三○頁)

 「子供」は「大人」という対極があって初めて認識されるものなのだ。しかもその境界線は年齢によって引かれるものではないらしい。この考え方は『風葬の教室』以降も、さまざまな語り手が口にしている。「大人への憧れに苦しいほど胸を熱く」(六三頁)している十七歳の「私」を語り手に据えた連作短編集『放課後の音符』二九八九年)で、「私」は母親から「十五歳の大人もいれば、三十歳の子供もいるということ」二四○頁)を聞いている。またこの「私」は、「大人としての体は、多分、ほとんどの人が、もう出来上がってる」(三四頁) と主張する一方で、「十七歳なんて、まだ子供だもの。目に見えないものに惹かれる程、余分なものに飢えてはいない」とつぶやく。
 どうやらこの作品には、目に見えないものに惹かれ、余分なものに飢えているかどうかが「大人」と「子供」を区別するバロメーターになっているようだ。実際この「私」は、「大人」になるための拠り所として「匂い」やハイヒールの「痛み」、あるいは「恋」など感覚や感情といった「目に見えないもの」に惹かれていく。
 また「余分なもの」といえば、『放課後の音符』のあとがき「放課後が大好きな女の子たち」に気になる表現 がある。それは「大人」に「良い大人」と「悪い大人」の区別があるという作者の言説だ。

 良い大人とは、言っまでもなく人生のいつくしみ方を知っている人たちです。悪い大人とは、時間、お金、感情、すべてにおいて、けちな人々のことです。若いということは、はっきり言って無駄なことの連続です。けれど、その無駄使いをしないと良い大人にならないのです。二八一頁)

 「無駄使い」と「けち」がキーワードになるだろう。「けち」という言葉には最初から否定的なニュアンスが含まれているが、言い換えれば、無駄をしないということだ。では無駄をするというのはどういうことだろう。作中に「無駄使い」に相当するものを求めるならば、やはり「目に見えないものに惹かれ、余分なものに飢えている」心性ということになりそうだ。その意味で、語り手が憧れている「大人」とは、正確には「良い大人」であることになる。では「悪い大人」はどうやってできあがるのだろうか。「若いということは、はっきり言って無駄なことの連続です」と作者は言っている。「子供」から「悪い大人」への道筋がいまひとつはっきりしない。 そのうえ級友から恋の相談を受けたときの「私」の独白に、こんな物言いまで見いだせる。

 恋をしたいと思っている人たちは、絶対に大人ぶる。ちゃんとした大人だって、自分を完壁な人間に見せようと思って、強がるだろう。けれど、恋をした人たちは違うのだ。お互いがお互いを子供に戻す。大人に包まれた子供になるのだ。二○九頁)

 「大人」=「良い大人」は、恋すると「子供」に戻れるというのだ。では「悪い大人」との関係はどうなるのか? けちな「悪い大人」は、引用の中にある自分を完壁に見せようと思うタイプとも違うはずだ。それもまた無駄の一類型なのだから、山田詠美が定義する「大人」でも「子供」でもない「悪い大人」。「子供」の対極に「大 人」を据えることでわかりやすくなったかに見えた「子供」のイメージは、この「悪い大人」発言によって逆にあいまいさを増してしまったような気がする。
 「子供」と「大人」をめぐる問題をもう少し明確にするため、山田詠美の言説を継時的に追ってみよう。その際もやはり感情を表す言葉が気になる。作中の大人たちがよく口にするのが「せつない」という言葉だ。エッセイでもたびたび顔を出す言葉で、この言葉のイメージがもっとも明確に表現されているのは、山田詠美が編んだアンソロジー『せつない話』(一九八九)のあとがき「五粒の涙」だろう。山田詠美は、「せつない」という言葉に当たる単語が英語では見つからず、「悲しい」とか「心が痛い」とかの言葉と混同されてしまうという話から入って、「せつなさ」と「悲しい」という感情の違いを指摘している。ちなみに「せつなさ」は「涙腺に関係しながらも、涙にはあまり関係していない不思議な代物」 (三三八頁)であり、「万が一、涙に関係している場合も、五粒以内の涙である」という。 一方「悲しい」という感情は涙をそれ以上流させる原因となる感情だという。そして泣くとか、笑うというのが、子供でも体験できる「人間のごく自然な感情表現」であるのに対して、「せつない」という感情は「外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーブメント」なのだといい、さらに「『せつない』という感情を作り出すフィルターは、ソフィスティケィティッドされた内側を持つ大人だけが所有している」(三三九頁)ともいっている。泣くとか、笑うというのは、山田詠美にとっては感情の動き(内面)と表現(外面)がシンクロしたもの(厳密にはそう単純なものではないと思うが )であり、「せつなさ」とはある種のフィルターによって、感情の動きが「五粒の涙」に凝縮されて現れるものなのであって、そういう感情を味わえるのは、心の成長を経た大人だけだというのだ。
 他方、「子供」に向けて使われる感情は「いたいけ」である。一九八六年、デビューしたての頃エッセイ「酒とバラの日々(暗い過去編)」(『私は変温動物』所収)で、山田詠美は自分の小学生時代を振り返って次のように言っている。

 その頃の事を思い出すと私は改めて悲しみに打ちひしがれる。
 私は思い起こしたくない。私の人格を形成したあの時代の事を。私は何も語るまい。あの忌まわしい過去たちに関しては口をつぐみ、それを創作活動に捧げよう。さようなら私のいたいけな過去たちよ。二九六頁)


 せつなさを知っているのが「大人」、大人からいたいけな存在と見られるのが「子供」。とりあえず、こん対比が読みとれるが、山田詠美は早々に、「いたいけな過去たち」と訣別して、エッセイの中では自分の「暗い過去」を茶化して笑い話にしていく。そしてその過去たちを捧げたという創作活動では、もっぱら「せつなさ」と「大人」と「おどろくべき子供」に関心を向けていく。山田詠美がふたたび自分の過去に回帰するのは、短編集『晩年の子供』においてである。その「あとがき」の中で、山田詠美は「幼い頃、父の転勤で、いくつかの地方都市に移り住んだ。私は、そのひとつひとつの町の様子を鮮明に覚えている」(二一○頁)と書き始めた上で、「この短編集は、その時代に、私のつたない心で受け止めた印象が作らせたように思う」と言っている。過去と訣別したはずの作者がその後、その時代の印象を拠り所に作品を書く。どうしたはずみなのだろうか、はずみといってまずければ、どうした心境の変化なのだろう。
 ただ子細に見ると、語るまいと決意した自分の過去とその過去への郷愁をたしかに創作活動の手がかりにはしているが、そこからたち現れているのは「いたいけな過 去たち」ではなかった。『晩年の子供』では「いたいけ」という言葉が重要な表現としてまったく登場せず、逆に「大人」の特権ともいえる「せつない」感情を持つ子供が散見される。『晩年の子供』の出版が一九九一年。五年の間に山田詠美の中で「子供」のイメージがかなり変化していることが見て取れそうだ。
 話を一九八六年に戻そう。自分の小学校時代と訣別した頃、山田詠美は、およそ「いたいけ」とは言えないひとりの子供と出会っていた。それについてはエッセイ「正しいお母さん」(「私は変温動物」所収、初出は一九八七年)で触れている。これがきっかけとなったのだろう。「せっなさ」と「大人」に関心を向ける山田詠美の視野にははじめて「おどろくべき子供」が混入される。『ジェシーの背骨』二九八六年)である。この作品は『蝶々の纏足』以降確立される、語り手による子供時代の回想 という手法をまだとっていない。ココという名の女とその恋人とその息子ジェシー(十一歳)の三角関係を描いた三人称小説で、屈折した態度をとるジェシーにココは戸惑いを隠さない。「子供!? あれが子供のする事なの? 子供ってそういうものなの?」(四八頁)と。あるいは、こうも言っている。

 ジェシーとの小さな争いは度々あったが、それは彼が自分を可愛らしく見せる術を知らないためだった。子供は無意識のうちに大人に媚びを売り、大人は気付かない振りをしてやさしく騙されるものである。そして、言い訳として、キャンディやおもちゃや頬ずりなどを子供に与えるのだ。しかし、ジェシーにその表現力はまるでなく、彼は普通の子供のように報酬を得る事が出来ないのだった。彼は甘えるという重大な子供の義務を持たない子供だった。(九四頁)

 子供と大人との間に横たわる暗黙の了解をひとつ前提として、ココはジェシーを、普通の子供と違う「おどろくべき子供」だと思うのだ。山田詠美は自分の小学生時代には「いたいけ」という言葉を使いながら、作中ではむしろ、「おどろくべき子供」と映るような存在を形成していく。しかもこのイメージが『蝶々の纏足』と『風葬の教室』に踏襲されていることはすでに指摘したとおりだ。そしてその語り手たちは、山田詠美が大人の感情として捉えた「せつない」という言葉を使っている。たとえば『蝶々の纏足』の瞳美は「おどけた様子で組み合わされた四本の足。それらの付け根で湧くぬるま湯の泉。せつない快楽はそこからあふれて体の隅々まで行き渡る」二八頁)と感じ、クラスでいじめにあう『風葬の教室』の本宮杏は「一緒におトイレにいくお友だちがいないというのはせつないことです。(中略)給食をたったひとりで食べることの方が、まだましなようです。だって、食べれば体は暖まりますから。体内のものを出してしまうのは寒くなることなのです。寒くなることをたったひとりでしにいかなくてはならないなんて」 (五五頁)と独白する。このように洗練された言葉で自分を客体化 できるこの二人は、精神上は「ソフィスティケイティッドされた内側を持つ」大人の一員といえるだう。つまり外面=子供/内面=大人という存在なのだ。
 ところが『放課後の音符』においては、この構造が逆転している。すでに引用したように、語り手は、体つきは大人だという自覚を持つが、内面がまだ大人になりきれない自分にもどかしさを感じつづけている。つまり 外面=大人/内面=子供という存在なのだ。一九八八年から翌年にかけて「オリーブ」に連載されたこの連作短編集は、あきらかにティーンの少女を読者に想定し、その読者に役立つことを願って書かれている。そのためか語り手の特徴は、「おどろくべき子供」から、読者と等身大か、ほんのわずか一歩先を歩いている「私」へとシフトし、作品世界は山田詠美独自の世界構築というよりも、むしろ当時のティーンの現状を踏まえたメッセージソング的な意味合いを強めている。
 先に山田詠美の中で「子供」と「大人」の間にあいまいさがあることを指摘したが、もしかしたらこうした登場人物のシフトの仕方や作品世界のあり方に原因のひとつがあるのかもしれない。山田詠美自身がそのことを意識したかどうかはわからないが、こうしたあいまいさの向こうに短編集『晩年の子供』で描かれる「懐かしい子供」の登場はある。
 とはいっても、この短編集でいきなり新機軸が打ち出された訳ではない。初出が早い収録作品の中には、それまでの「子供」のイメージを引きずっているものもある。たとえば初出が最も早い「花火」(「小説現代」八九年八月号)では、語り手である妹(一九歳)が、その姉(一八歳)とこんな会話を交わしている。妹「私たちは、お 互いを尊敬しているし、緊張してるわ、いつも。考えてるだけで、せっなくて涙が出るようなつき合いよ」、姉「お互いがお互いを欲しいと思うから、せっない気持ちになるのよ」(七三頁)ふたりが「せつなさ」の意味あいの差は、男性との性体験がない妹と性体験(しかも不倫体験)のある姉の差を反映している。そして「尊敬」や「緊張」ではなく、「欲しい」というぬきさしならない思いが凝縮されたところに「せつない気持ち」が生じるとする姉の言説からは「五粒の涙」と相通じる意識が読みとれる。ちなみに『せつない話』の初版発行年月日は一九八九年七月三一日。ほぼ時を同じくして書かれたものだろう。
 また「海の方の子」(初出同誌八九年一二月号)では、『風葬の教室』の設定と同じように、田舎町へ転校してきた女の子を語り手にして、しかも「小さな子供たちの 中にいる体の小さな大人としての自分の責任を、まっとうすべく生きていました。」二○七頁)と独白させている。転校を繰り返し、その体験からこのような意識を持つに至っている導入部分が『風葬の教室』の語り手を連想させずにはおかない作品だ。
 これに対して本格的に新たな局面が「子供」のイメージに加わるのは、それ以降に発表された作品群の中でのことだ。なかでもその皮切りとなる「晩年の子供」(初出「新潮」九○年一月号)と「蝉」(初出「小説現代」九○年八月)「ひよこの眼」(初出同誌九○年一○月)の三作がとくに注目したい作品である。
 まずこの三作では、「大人」の特権であるはずの「せつない」感情の描き方に興味深い変化が見られる。「晩年の子供」は、「私」が犬に噛まれて、狂犬病になり、六ヶ月の人生しかないと思い込んだ十歳の頃を回想する話だが、その回想の中の「私」が死の準備をする過程で、「私は、石やお墓に親しみを覚えていた。(中略)いつものように空気は漂い、私の体を隙間なく覆っていた。けれど、それは、家にいる時のようなせつない思いを抱かせなかった」三五頁)と思う場面がある。「家にいる時のようなせつない思い」は、本稿のはじめに引用した箇所を受けてのことで、本来存在していることが自明である家族を意識し、家族を家族たらしめる暗黙の了解に気付いてしまったがためのものだった。
 また、あらゆるものに苛立ちを覚えていた小学四年生の夏を回想する「蝉」の語り手は、泣きわめく生まれたばかりの弟に「あんたなんか死んじゃえばいいのに!」と叫んだのを母にとがめられ、折艦されて盛大に泣き叫ぶ場面でこんなことを思う。

 私は、自分こそが、おなかを空っぽにして鳴き続ける蝉であったことに気付いたのでした。空洞を満たしてもらいたいと願いつつ人間が泣くということを思い、私は、とてもせつない気持ちでいっぱいでした。私こそ死んじゃえばいいのに。私は甘い気分で、そう思いました。(一○八頁)

 そして「ひよこの眼」の冒頭部分。

 その男子生徒の目を見た時、何故か懐かしい気持ちに包まれたのだが、それがいったいどのような記憶から端を発しているのかが、私には咄嗟に思い出せなかった。私は、その時、まだ中学三年生だったし、その年齢で懐かしがるべきことなど、ひとつもないように思えたから、せつない感情が霧のように胸を覆い、心を湿らせた時、私は驚き、そして混乱した。二八五頁)

 話が展開していく中で、この「私」は、その男子生徒の目に抱いた懐かしさが、じつは幼い頃に飼っていて死なせてしまったひよこの「死を見詰めている瞳」とオーバーラップしたものだったことに気付く。
 「せつない」という言葉がでてくる箇所を三つあげてみた。そこで共通しているのは、それぞれの「私」が何かに気付くことだ。「せつない」という感情は、山田詠美にとってそもそも「外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーブメント」だった。
 そしてそのフィルターは、子供が大人になる過程で積み重ねていく体験によって純度を増していくものだった。ところが『晩年の子供』の中で見いだされる「せつなさ」は、それが成長過程で獲得されるものではなく、フィルターに相当する何かを無意識のうちにすでに持たされていると気付くことによって生じている。そしてそのフィルターに相当するものが何かというと、「晩年の子供」の語り手にとっては、家族が愛し合うことに真空状態がないという認識であり、「蝉」の語り手 にとっては、自分の中身が空洞だという自覚だ。「ひよこの眼」の語り手にとっては、その男子生徒の眼が喚起するひよこの「死を見つめている瞳」だった。個々の気付きにはこのようにバリエーションがあるがその個々の気付きがじつは「死」の自覚に裏打ちされていることを見落としてはならないだろう。
 「死」のイメージは、この短編集では表題作「晩年の子供」以前にも、「桔梗」(初出「小説時代」八九年一○月号)で見られるが、この時点ではまだ隣家の女性や祖父といった他者の死をめぐるもので、語り手はあくまで傍観者の立場に立っている。だが「晩年の子供」以降、「死」はなんといっても語り手自身の内面と深く関わっていく。
 「ひよこの眼」の語り手は、悲しみで肩を落とす母や妹とは違って、死にゆくひよこを漏しかれたように見守ったという。成人した語り手は、このときの思いを「諦観」だったような気がするといい、また男子生徒の死を知ったときには、人間の思う通りに行かないことがあるのを知ったという。
 「蝉」の語り手は、ここで語られる過去を「色々なことが解るようになり、けれども、初恋という他人によって与えられる快楽を知る以前のこの数年が、私にとって の一番不本音』な時代だったような気がします。思春期とも違う、反抗期とも言えないこの時期に、私は、本気で色々な事柄を憎んでいたのです」二七二頁)と述懐する。そしてその通りに、自分を苛立たせる人々に対して「死んじゃえばいい」と心の中で叫んでいた。だが蝉の死を見守ることで、本当の死に出会った「私」は、同じくその鳴き声で自分を苛立たせていた蝉の内部になにも存在していないことを知って愕然とする。「私に殺意さえ抱かせたあのやかましさには実体がなかったのでしょうか」(一七五頁)と。そしてこの本当の死との出会いが、先ほど引用した「自分こそが、おなかを空っぽにして泣き続ける蝉」であったという気付きにつながるのである。
 「晩年の子供」の語り手の場合は、はじめから半年後の自分の死を夢想し、人知れず死のイメージとつき合っていく。その死のイメージとのつき合いの末にたどり着くのが、こんな考えだ。

 私は、母から生まれる前、この世に出現する直前まで、死んでいたのだろうか。そんな、馬鹿な、私は、生まれる前は死んでいた。この事実につき当たって、私は、愕然とした。晩年どころの話ではなかった。それどころか、私のその理論によると、母のおなかの中にいた十ヵ月、それ以前もまた、私の晩年ということになる。と、すると、人間は、何度か晩年をくり返すということか。 三六頁)

 家族に向けた「せつない」感情は、この「私」の場合、自分の死期が近づいていると気付いたことがきっかけで生まれた。しかし、「生まれる前は死んでいた」という認識によって、「死」がじつは以前から自分の内側にあることに気付き、ふたたぴ明るい生活に戻っていく。子供の生は、生まれることではじまるように、考えられがちだが、じつは死との出会いがあってはじめてはじまるものなのではないだろうか。『晩年の子供』を読むと、どうしてもそんな思いが強くなる。冒頭で『蝶々の纏足』の広告文にある「生の実相」という言葉に疑問を投げかけておいたが、『晩年の子供』の語り手たちこそ、死を自分の内部に取り込む過程で、「生の実相」に触れているように思えてならない。まさに死によって「生の実相」を逆照射してはいないだろうか。
 そして「ひよこの眼」の語り手がなぜかわからないままにひとりの男子生徒の目に懐かしい気持ちを抱いたように、ぼくは『晩年の子供』の語り手たちに懐かしさを覚える。それはたぶん、自我の目覚めと関係があるよう に思う。自分が人と違うという意識がかってぼくに孤独を感じさせ、ぼくはこの世界で自分の居場所がどんどん小さくなっていくような不安を覚えたことがある。そして居場所が限りなく小さくなっていった先に死を垣間みていた。ぼくはこうして死と出会い、そこから家族への屈折した思いや、周囲への苛立ちや、初恋などの自分の物語を始めていった。『晩年の子供』の語り手たちに懐かしさを覚えるのは、そんなかつての思いをぼくの内面に呼び覚ましてくれるからに他ならない。
 はじめ、山田詠美の作品に登場する語り手たちは、幼くして「大人」「子供」というイメージにからめとられていた。それに対して、短編集『晩年の子供』の語り手たちが回想する子供時代の多くは、「大人」とか「子供」という区別以前の死と生がせめぎ合う場になっている。山田詠美は作家としてデビューして早々「いたいけな過去たち」と呼んだ小学生時代と訣別し、ふたたび『晩年の子供』で、その過去の思い出を通して、「死」をめぐる語り手の最も内奥から発する言葉を紡ぎだしたといえるだろう。
 よくいわれることだが、大人が「子供」を物語るとき、「子供」にはしばしば「成長」や「無垢」、あるいは大人にとって自明の世界を「異化」する存在といったイメー シが付与されるものらしい。山田詠美の初期の「おどろくべき子供」たちには「異化効果」があるし、『放課後の音符』では、「成長」というイメージの山田詠美なりの変奏曲が聞き取れる。だが『晩年の子供』の中で特徴的な「子供」のィメージは右の三つのどれにも当てはまらない。『晩年の子供』の語り手たちは、成長する子供でもなく、無垢な子供でもなく、異化する子供でもない何かに向かっている。ぼくの琴線に触れた部分を拠り所に、とりあえずそれを「懐かしい子供」と呼んでみた次第だ。
 さて、ここまで、山田詠美の作品に登場する語り手たちが、自分の過去を正直に回想しているであろうという前提のもとに、ぼくはおどろいたり、懐かしい感情を抱いたりしてみた。だが語り手たちは本当に正直者なのだろうか、という疑念がないわけではない。山田詠美における「子供」のイメージが大きく変化した時点を『晩年の子供』に収録された作品の書かれた八九年半ばから九○年にかけてと考えてみたが、まさに同じ時期に、山田詠美は「白熱電球の嘘」(初出「シュプール」八九年七月号)という興味深い短編を書いている。
 『色彩の息子』(一九九一年)に収められたこの作品は、いきなり「四年二組、川島祥子」という書き出しの、や けに漠字の少ない文章ではじまる。後でこれが授業参観日のために書かれた作文だとわかるのだが、担任の先生はこの作文にいたく感動し、川島祥子に教室でこの作文を朗読させる。そして参観に来ている父母たちまで感動してしまう。その感動は「典型的な感動」と呼ばれる。その中身が何かというと、「清貧」という言葉につきるだろう。キーワードは「こたつ」「あみ物」「やかん」「でんきゅう」「あかぎれ」など。しかし事実はその逆で、川島祥子は豊かな家庭の子で、家には大きなダイニングテーブルがあり、おやつには紅茶とケーキがでる。作文の中身は真っ赤な嘘だったのだ。
 問題にしたいことのひとつは、川島祥子がこの作り話を朗読したとき、「自分が人々を感激させているという恍惚感に、目もくらみそうな思いを味わっていた。自分の言葉のひとつひとつが、人々の感情を左右しているという事実に彼女は強烈な快楽を味わっていた」(二二頁)ことだ。そしてもうひとつの問題は、いかにもと言えそうな「典型的な感動」に物語の受け手たちがからめとられていることだ。この「典型的な感動」の中には子供の「成長」や「無垢」や「異化」も含まれるだろう。この作品は、そうした物語の作り手と受け手の暗黙の了解とも言える共犯関係をぼくら読者に気付かせてくれる作品だ。
 物語の中ではその後も、彼女は嘘の身の上話をして、悲劇の主人公として多くの人々を感動させつづける。そしてある日、彼女は純情そうな若者と出会い、彼女の嘘を真実だと思い込んだ若者は、彼女との結婚を決意する。ところが、若者の家を訪ねたとき、両親から結婚を反対されてしまう。両親の反対に苦しむ若者を見て、彼女は真実を告げる決意をする。しかし若者を悲しませないためだったその行為は、裏目に出てしまう。この短編は、こんな粋な一文で終わる。「彼の表情の上に憎しみが広がるのを認めた瞬間、彼女の内側にともり続けていた白熱電球は、だいだい色の尾を引きながら、ぱちんと割れた」二二○頁)
 この若者の立場だったら、たしかに頭に来るだろうなと思いつつ、これが「作り話」の中の「語り手」と読者 の間でのことなら、この若者のように川島祥子の嘘を怒るのは野暮なことになる。なんといっても、読者はまんまとはめられることを楽しみに「作り話」を享受するはずなのだから。だが、物語の作り手と受け手の暗黙の了解に気付かされてしまった以上、川島祥子の作り話に「典型的な感動」を覚え、おいおいと涙を流すというのもなんだか癪な話になる。そんなことを思っているうちに、ふと気付いたことがある。山田詠美は物語の作り手と受け手の関係をこの短編で戯画化することで、垂れ流しのような感動の涙の滑稽さを明るみに出そうとしたのではないか、と。たしかに、作り手と受け手の関係を意識してしまうと、涙腺を刺激されても、涙は五粒までにとどめたくなる。気付くことにおいて繊細であり、語ることにおいて饒舌な山田詠美の語り手たちとつきあうには、どうやらぼくら受け手の側も物語からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを要求されるようだ。ぼく自身、はたしてそのようなフィルターを通して、山田詠美の作品を読めたかどうか……。まったく、せつない話である。