闇の戦い(スーザン・クーパー作/浅羽莢子訳/評論社)

 スーザン・クーパーの『闇の戦い』全四巻は、現代という困難な時代を見つめる眼を与えようとする作品群である。第一巻にあたる『コーンウォールの聖杯』(原書初版1965)は武内孝夫訳で76年に学習研究社から出版され、二の巻を除いた四巻が先頃完結したのである。
 コーンウォール(イギリスの西南にある地方)に休暇にやってきた兄妹が、謎の古地図をみつけ、悪の一味と戦い、海の洞窟の探検と、アーサー王伝説の「杯」を発見するまでであった。その時点では、作者の中に、『闇の戦い』の全体構想がまだ明確に姿をあらわしていなかったようである。童話や伝説の豊かな土地にあって、悪とたたかうアーサー王伝説は、伝説というよりは、現代にも生きている予言のような働きをし、結婚によって、アメリカという新大陸でくらしはじめた作者の中で、切実にひびきはじめたようでもあった。ニューベリー賞の受賞記念講演(1976)で第二次世界大戦の戦争体験にふれ、子ども時代に戦争を経験することによって、人間に対する人間の非人道的行為が、至るところに存在している恐ろしさをたたきこまれ、長じて作家を志したとき、世界があまりに歴史から学んでいないことを知って、書きたいことにつきまとわれているような感じがあったとのべている。神話・伝説の世界と、現実の戦争が時間をかけて融合し、物事の真の姿を伝えようとしたのが、評論社から出はじめた『光の六つのしるし』(1973)『灰色の王』(1975)『樹上の銀』(1977)全四巻の ファンタジーとなったのである。
 それぞれに、特定の場所に結びついた伝説の世界が、現代によみがえり、人間界を支配しようとする〈闇〉との戦が繰り広げられる。11歳の誕生日に、〈闇〉の力と対抗する〈古老〉であることを知ったウィルを中心に、〈光〉の側の人間が活躍するのである。
「ぼくらが住んでいるこの世界は、人間の普通の人間の世界なんだ。(中略)だけど、この世界の彼方には宇宙があって、上なる魔法の掟で縛られている。(中略)その下には、ふたつの極があって、それを〈光〉と〈闇〉と呼んでる。そのふたつは他の力に支配されているんじゃなくて、単に存在しているんだ。〈闇〉は、暗い本質に従って人間に影響を及ぼし、ついには人間を通して地球を支配するみとをめざしている。〈光〉の役目はそうならないようにすることだ。(『樹上の銀』30頁)というウィルの弁に、全編のテーマが集約されていよう。
 イギリス各地に残っているアーサー王伝説では、王は、国の困窮時に必ず、人々を救いにやってくることになっているという。クーパーは、時を超えて存在してきたその伝承の意味を、手さぐりで、探し当て、何度も何度も攻めてきた〈闇〉を追い返してきた歴史を、彼女なりの表現で捕らえなおしている。それは、微妙でありながら、力強く、具体的な事物(琴や剣)を使って、普段は、山や海の奥深くに隠れてしまって目に見えないものといういい方で〈光〉の価値を知らせてくれる。
 現在という時代が明るい未来像をもちえない時代であることは、誰もが感じ取っていることであるだけに、未来を生きざるをえない子どもたちにとって生きていくことは息苦しいことであろう。その息苦しさの本質を〈闇〉という形で出してきているともいえ、世界中にいる六人の〈古老〉の一人に、年若いウィルを設定した意図もうなづける。物語の巻末で、生まれながらの役割を終えて〈闇〉の危険を解放したアーサー王は、天上に帰ってしまい、この世の人間にまかされ、「我らは悪から救いはした。だが人の心にある悪は、今度こそ人の手で抑えられねばならぬ。責任も希望も約束も、全ておまえたちの手にあるのだ」(同389頁)というメリマン(伝説のマリーン)とことばが子どもたちに残される。
 成立過程からいっても、決して結晶度の高い作品群ではなく、巻による過不足もあり、また、折角の伝承イメージが充分に昇華されないままのところも目につく。しかし、全巻を読了すると、そうした欠点をこえて、作者が伝えようとした想いが、ゆっくりと身体にしみ込んでいて、まるではるかな夢のように不確かでありながら、ウィルたちと共有した時間が、はっきりと存在したことが残っている。
 「別世界」ファンタジーとは、違った手法にいきつき、アラン・ガーナーの行きどまりを破ろうとする試みとして、注目される。(三宅興子)
 
世界児童文学100選(偕成社)
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