夜の鳥・ 少年ヨアキム

トールモー・ハウゲン作

山口卓文訳 福武文庫 1975/1991


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 ヨアキムの両親は最近、ギクシャク。学生結婚した彼らは、生活のために、まず母親が学業を中断し働くことにした。その間に父親が教師の資格を修得し職についたら、今度は母親が学生に戻るという約束で。ところが教師になれた父親は、一日目の授業で登校拒否となる。彼は教師に全くむいていないことにやっと気づいたのだ。仕方なく母親は仕事を続け、せめて父親が家事やヨアキムの面倒を見てくれればいいのだか、不安定になっている彼はそれすらできない。イラ立つ母親。
 そんなわけで子ども部屋のヨアキムは眠れない。タンスの中から夜の鳥の羽ばたきと鳴き声が聞こえて眠れない。
 タイトルにもなっているこの「夜の鳥」とは主人公ヨアキムの不安の象徴です。夜の鳥の物音で眠れないから両親の寝室に行きたい、行って二人の仲を確認したいというわけ。 さて、このヨアキムの抱えている不安を解消するために、物語はどのように進展していくのでしょうか。かつての物語、例えば五十年程前、ケストナーの「二人のロッテ」などの場合、両親が和解する方向でことは進みます。けれど、現代の物語である「夜の鳥」の場合、そう簡単には展開しません。両親の和解を促すことではなく、二人が別れの過程とその結果をどうヨアキムに伝えていくかに焦点がしぼられていきます。つまり、大人世界を隠すのではなく、情報を開示する。
 というのは、現実的には、子どもが悲しむからといって、大人である二人ががまんし続けるなんてことは難しいし、一時はともかく、それは良い結果を生まないでしょう。だって、虚偽の上に成り立たせているだけだから。それ位なら、正直に大人の気持ちを子どもに伝えよう! やね。
 この物語、子どもをとても信頼しています。
 だから、一見とてもクラーイ物語のようですが、なんのなんの、これがさわやか(明るいとは申しませんが)。
 「どうして大人たちは、何でも子どもにかくしてコソコソ話をするのか」。「子どもに大切なことをちっとも知らせないのか」。「子どもに話しても何も分からないと思ってるのか」。
 このヨアキムの言葉に大人である私たちは耳を傾けたいものです。(ひこ・田中

げきじょう 42号 1996 夏