幼年文学の世界

渡辺茂男=著
日本エディタースクール出版部 1980

           
         
         
         
         
         
         
     
 子どもの本にかかわっているものにとって、幼年文学にいいものをもっとほしいという願望は年年高まるばかりであるし、幼年文学についての解説や、理論を知りたいという欲求もまた同様に高い。
 そうした中で国際的な視野に立ちながら、理論、研究面への目くばり充分、それを裏打する長年にわたる児童図書館での豊かな実践,その上に幼年文学の書き手であるという渡辺茂男氏による、ここ二十年ほどの間にあちこちに発表されたエッセイの中から、幼年文学に関するものを集めてこのたび『幼年文学の世界』が出されたことは,まことに時宣をえた出版といえよう。
 渡辺茂男氏は、まず、今日の状況を分析した上で、本が子どもにとって必要欠くべからざるものであると主張している。それは、「児童の成長の要求に応じ、それを満足させる文学をあたえること」(p.28)と子どもたちには、私たち大人と同じように知る自由がある。(p.215)ので、学校と同等に、子どもには児童図書館が絶対に必要なのだという強い信念から出ているのである。したがって「児童図書館員は、個人的な意見を排して、本と子どもたちにたいして公正な態度で接する義務があり」(p.218)準備した地平線の見えないほど広い本の牧場へ、子どもたちをときはなしてやる使命をもっているとして、専門職としての児童図書館員の重要性を浮び上がらせているあたりの説得力は強いものがある。また,もう一つの主張として、昔話のもつ力と、それを伝えるストーリー・テリングの大切さがある。妖精を研究したエッセイにも伺えることであるが、伝承文学のもっている深い意味と、それを語り伝えることの今日的な意義は計り知れないものであるという論の展開には、うなづかされる。
 こうした論の力強さに比し、第四章の“『ちびくろ・さんぼ』をめぐって”の論の展開は、歯切れが悪いといおうか、疑問が残るといおうか、なるほどとよみ進めないものを感じさせるものがある。最初にひっかかったところは、『ちびくろ・さんぼ』と『しなの五にんきょうだい』に触れて、「もともと人種的偏見や蔑視思想と無関係な無心の喜びの為に作られたこんな絵本や童話に意図を読みとらなければならない時代は、子どもの本にとってたいへん不幸な時代といわなければなりません。」(p.68)との認識であったが,そこで感じた疑問が、『ちびくろ・さんぼ』をめぐる論争で一層大きいものとなるのである。第四章では、『ちびくろ』の評価を集めた上で、タイムズ紙の論争を紹介し「この論争の焦点になっている問題のどちら側にも私は属していない」(p.171)から、その作業をしたのは、「教条主義を、子どもの本の世界から遠ざけ、子どもたちに選択の自由を与えることなのです.」(p.191)という論の展開は、ではあらかじめ選択された本をおくという児童図書館では、あなたは、『ちびくろ』をどうするのか、どっちでもないということは不可能なのではないかという問につながってし まうのである。子どもの自由を保障するということが、こと幼年文学にとって何なのかという大きいテーマが読者にずっしりとのしかかってくるのだ。
 幼年文学の大切さを感じれば感じるほど、時代の影響をまともにかぶっていく幼年時代のむつかしさ、それを育てる仕事のむつかしさに思い至す一冊ではある。(三宅興子
週間読書人 (1358号)  1980年11月24日
テキストファイル化ホシキミエ