妖精ディックの戦い

K・M・ブリッグズ

山内玲子訳 岩波書店


           
         
         
         
         
         
         
         
     
 本書は、『イギリス妖精譚辞典』『妖精辞典』の著者である、イギリスの民俗学の権威、キャサリン・ブリッグズ女史が、子どものために書いた物語である。ブリッグズ女史は、『妖精の国の住人』の序文で、「近ごろの子どもたちは、その民族の起源を持つ妖精たちとはほど遠い、弱々しい砂糖でまぶされた妖精に害されている」と述べているが、『妖精ディックの戦い』に登場する妖精たちは本物である。
 ホバディ・ディックは、女史の分類によると、守護妖精の中の「ブラウニー」に似た「ホプゴプリン」で、ぼろをまとった小さな毛むくじゃらの霊で、ある特定の場所にしょっちゅう出入りし、夜そこへ忍び込んでは散らかっているものをきちんと片づけたり、きちんとしているものを散らかしたりする。報酬をもらわないということが人間への奉仕の条件となっており、とりわけ着物をやると出ていってしまい、永久に戻って来ない。名前のホバディはホプゴプリンの「ホブ」をふまえている。
 ティントン村のロブは、同じく守護妖精で、長い尾をした毛深い「炉ばたのロブ」である。黒犬に姿を帰る墓守りグリムは、妖精の国の妖怪の中の、「墓守りグリム」と「黒犬」を合わせた妖精である。マザー・ダークを頭とする魔女たちは、自分を悪魔に売り渡した老女のことで体内に人間の血が流れ、妖精とは別物の「魔女」である。
 登場人物としての妖精たちもさることながら、妖精と魔女の戦いも真に迫っている。ディックが守るカルヴァー家の宝をねらうマザー・ダークは、ディックを誘き出す手段として少女マーサをさらう。妖精たちは集結しマザー・ダークの隠れ場所をつきとめる。シダの胞子の力で姿を消したディックとグリムは、今まさに呪文で何かを呼び出そうとしている、魔法の輪の中にマザー・ダークに近づく。マザー・ダークの力の元、魔法の杖をひったくろうとする。マザー・ダークは消え失せるが、マーサを呪文から解き放つはずの杖も消えてしまう。マーサは、「人間は人間を助けなくては、それも聖書の助けをかりなくてはならんそうだぞ」という妖精仲間の言葉通り、助けにかけつけた義兄のジョエルが読み上げる聖書の言葉で正気づく。
 以上のように、本書に登場する妖精たちは由緒正しく、人間との関わりにおいても言葉を交わしたりはしない。また、物語の筋もディックの側からいえば、家つき妖精ディックが、ウィディスン家のジョエルと小間使いのアンを助け、二人に感謝されて着物を贈られ自由の身になるという妖精の運命に即したものである。しかし、この妖精の世界は同時に、すばらしい人間の愛のドラマが展開されるのである。
 ディックは何百年もの間、イギリス中南部コッツウォルド地方のウィドフォード村の地主屋敷を守っていた。十七世紀半ば清教徒革命の直後、ウィドフォード屋敷にウィディスン一家が越してきた。ウィディスンはロンドンの商人で清教徒のため、ディックが好きだったイースターの祭りもクリスマスの祭りも行わない。ディックは一家に幻滅するが、長男のジョエルとジョエルの祖母とジョエルの腹違いの妹マーサだけは気に入った。ウィディスン夫人は、王党派のフェティプレイス一家に冷たくされた腹いせに、同家の遠い親戚にあたるアン・セッカーを小間使いに雇いこき使う。アンはディックが大好きだったカルヴァー家の血を引く人間で、ディックは献身的にアンを助ける。
  ジョエルとアンの間には愛が芽生えるが、王党派と清教徒の違いやアンに財産がないことから、二人の愛が実る可能性は薄い。ディックは、今こそ守っていたカルヴァー家の宝をアンのために使う時だと考え、マーサの夢に働きかけて宝が発見されるようにする。ディックの計画通り、宝はアンのものになりジョエルとアンはめでたく結ばれることになる。
 本書には、日本人にあまり馴染みのない歴史的、宗教的、民族的背景が使われているが、訳注に分かりやすく説明されているので、違和感なく読める。また、コーディリア・ジョーンズの木版画のさし絵が、作品の神秘的雰囲気にぴったりと合って効果的である。
 各章の始めに章の内容を暗示する妖精や魔女に関する詩がついているが、これらの詩はシェイクスピアやスペンサーからマザーグースに至るまで様々な著作からの引用なのでイギリス文学に関心のある人にはこれを辿っていくのも楽しいであろう。
 物語の最後、ディックが赤い服を着て自由の身になり踊りまわる感動的場面に、小さい頃絵本で読んだ、グリム童話「こびとのヒヒテルマン」の新しい赤と緑の喜ぶ二人の小人の姿が重なった。靴屋の仕事を手伝ってお礼に着物をもらい、その後二度と姿を表さなかった小人の話である。(森恵子)
図書新聞1987/08/22
テキストファイル化 妹尾良子