ラムラム王

武井武雄著・画
銀貨社 1997

           
         
         
         
         
         
         
     
 最近、竹久夢二の絵・童話を読むことがあった。『帽子』という短編で、都会へ出た田舎青年が、なくしてもなくしても自分のところへもどってきてしまう貧乏臭い帽子とともに、都会の生活をあきらめて帰郷するという、ユーモラスでやがて哀しい「童話」である。造本・挿絵も画家本人の手になるもので、夢二愛好家にはこたえられない愛蔵本かもしれない。しかし、童話の出来はというと、いまひとつ。子どもにむかって書いているのではなくて、自分の表現の一形式として童話のかたちをとっているにすぎない。偏見にちがいないが、それでも言わせてもらうと、やはり絵のほうがずっと魅力的だ。
 絵雑誌『子供之友』や『コドモノクニ』などで活躍した画家、武井武雄(1894-1983) の『ラムラム王』 (銀貨社)が、復刻再刊された。大正十三年に、児童雑誌『金の星』に掲載され、単行本は十五年。大正デモクラシー、モダン、両大戦間の束の間のほのぼのとした明るさ、呑気さ、優しさ、真面目さが凝縮したような本である。できれば、こんな時代に子供であったならば、と思わずにいられない。私の両親が、まさにこの時代に生まれ育った世代で、昔語りにいちばん楽しそうなのは、一銭にぎりしめての駄菓子屋がよいや、「ハナ、ハト、マメ、マス」の尋常小学校の話。子供雑誌や女学生雑誌、はては昭和四年のツェッぺリン飛来の思い出話。
 私自身もも、趣味が渋いというか、古い人間で、両親が育った頃の昭和初期の文物が大好きで、その時代の流れかたが好ましく思えてならない。しかし、これはあくまでも趣味の話。武井武雄の『ラムラム王』や、近刊の 『あるき太郎』 (銀貨社)の復刊本を眺めていると、その時代時代に見事な完成をみたものは、決して古びないということを思い知らされる。そして、新しいとはいいながら、どこが今に生きる人間の表現なんだと首を傾げたくなるような新作児童文学への反省材料として、大人のみなさんに(現代の子供には、この本のよさなんてわかるわけない)是非お見せしたいものである。おそらく意地と根性と、センスだけで発刊しているとみられる銀貨社さん。本作りに関しても、一寸の気もぬいていない。気の抜けた作者、絵描き、版元なんていやになる。あまりに子供をナメてる装丁画とかをみるにつけ、日本人てデザインセンスないのとちがう?と、ぼやきたくなる。いや、業種によっては素晴らしいテザインの製品を世界に出しているのだから、おそらく、マイナーな産業には、それなりの才能しか集まらないということか。(天 沼春樹)
季刊ぱろるぱろる9号1998.09.30