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最近、両親の離婚や別居、あるいは受験地獄など子どもを取りまく厳しい環境に目を向けた作品が多い。 最も衝撃的な『ある15歳の死・女中学生の死』(陳丹燕作、中田由美子訳・福武書店、一二OO円)は、エリート中学三年の少女の自殺という中国で実際に起きた事件を題材にレて、少女の遺した日記を中心に物語られる話。作品中の時間の流れが前後して読みづらいのが難点だが、このショッキングな事件の原因をさぐる問題作。私生児として生まれ極貧の中で育ったニン・クは、みんなのあこがれのエリート中学に入学するが、そこでのテス卜づくめの詰め込み式授業、管理的で進学率をあげることだけに躍起になっている教師、そしてそれに疑問も抱かずに必死で受験勉強に取り組む級友たちに失望する。家では仕事を止めてしまった母親が毎晩深夜までばくちをうち、夕バコの臭いをプンプンさせて帰宅する。心をわって話すことのできる友達もいないニンクは、一人で悩み、ついにアパートの七階から身を投げる。この少女の自殺には、貧困、受験地獄、個性を刈りこむ管理教育など様々な要因が考えられよう。だが最大の原因は、心から甘えられ話し合える人のいない孤独感で あろう。小さい頃から周囲には「ててなしご」といじめられ、叱りとばすこが愛情表現だと思っていた母親には優しい言葉一つかけられたこともなく育った彼女は、警戒心と独立心が強く、愛情に飢えていた。だから自分に好意をもってくれる人を失望させるの死よりも恐れ、自分の心を裸にして人目にさらすことが怖かった。そのため親友もできず、自分の本心をぶちまけて話す相手もいなかった。社会的には、心身の発育のアンバランスな思春期にありがちな社会不適応だと片付けられてしまうかもしれないが、本当の原因はもっと根深い。 それに対し『テオの家出』 (P・へル卜リング作、平野卿子訳、文研出版、一二二〇円)の主人公の少年テオは、両親に愛されてもいるし、その他でも信頼できる人がいたために救われる。両親のけんかがいやで家出したテオは、三日後警察に捕道されるが、迎えにきた両親はそれぞれテオを抱きしめる。だが両親は離婚する。物語は家出中のテオの冒険や、その時知りあったパパフンフンというおじさんにテオが再び会いに行った時に巻き込まれる事件を中心に展開するが、テオが信頼するこのおじさんはテオに、「たとえすばらしいところではなくても、お前の家はそこしかないんだよ」と諭し、あきらめや安易な事実との妥協ではなく、運命を受け入れ、それに立ち向かっていく勇気を教える。 『母さん、愛ってなに?』 (ヴォスコボイ二コフ作、北畑静子銀、童心社、一ニ四○円)は、仕事に没頭する設計技師の父とピアニストの母が、互いに尊敬し合いながらも性格の不一致から別れ、それぞれ新しい伴侶を求めていく過程を目の当たりにして、苦しみ悩む十代の少年の心理を細かく描き出すとともに、それに少年とガールフレン芭の気侍ちのすれ違いをもからませて「愛ってなに?」と問いかけるソ連の作品。 父の引越しの場面から始まる『お引越し』(ひこ・田中作、福武書店、一二○○円)も、両親の離婚を一一歳の少女の自からみつめた作品。両親の離婚は自分のせいではないのに時分に関係があるということにこだわりながらも、仕事に励む母を助け、時には父にも会うというごく普通の、しかし本人は「けなげをやっている」と思っている少女の話。『水平線がまぶしくて』 (矢部美智代作、講談社、一一00円)は、離婚ではないが互いの仕事のために別居することになった両親に、なぜ一緒に住めないのか、なぜ自分には相談してくれないのかと反発していた少女が、色々な人と話をするうちに、両親のそれぞれの仕事にかける情熱や、家族の互いを恵いやる気持ちの大切さを学び成長していく過程を描いた作品。よく整理されていて読みやすい。 (南部英子)
読書人1990/10/15
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