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舞台は第一次世界大戦を背景にした一九一○年代のイギリス。親をなくした、みなしごの四姉妹がいました。事後処理にやってきた弁護士から家を売って生活のたしにするように勧められますが、一七歳の長女フランセスは、その申し出を断わります。さて、そのとき彼女の心境を、あなたならどう描写するでレよう? 一.「フランセスはちよっとのあいだ反抗的に目をみすえていたかと思うと、今度はテーブルのまわりに並んだ顔を順番にのぞきこんだ」 二.「フランセスは絶望的な思いでテーブルのまわりに並んだ顔を見まわした」 ル−ス・エルウィン・ハリスの『丘の上のセ−ラ』(脇明子訳、岩波書店、2200円)に登場するフランセスは、たしかに反抗的。でも、同じ作音の『フランセスの青青』 (脇明子訳、岩波書店、2400円)に登場するフランセスは絶望的でした。 どうしてこんな予盾が起こるのでしよう。じつをいうとこの二作品は「ヒルクレストの娘たち」という連作の第一部と第二部にあたっていて、同じ一九一○年から二○年までの十年間が、第一部では末っ子セーラの目を通して、第二部では長女フランセスの目を通して描かれているのです。フランセス自身は絶望的な思いだったのに、それが末っ子の目には反抗的と映ったというわけです。訳者のあとがきによると、「ヒルクレスト……」は四部作になるとかで、第三部は次女ジュリア、第四部は三女グウェンの目を通してやはり同じ十年問が語られるといいます。フランセスがこの二人をフィルターにして、今度はいったいどんな女性として映し出されるのか、今から楽レみです。 「ヒルクレスト……」では第一次世界大戦の現実や当時の思潮(女性の権利や社会主義)にも触れられますが、大切なのは、主人公たちが同じ時間を生きているようで、実は違う時間を生きていたことを描く視点でしょう。第二部でいえば、四姉妹の後見人になった牧師一家の長男ガブリエルとフランセスの恋の去就。第一部でいえば、ガブリエルへの幼いセーラの思慕。そうした周りから誤解され、すれ違ってしまう主人公たちの思い。作者がぼくらに一番伝えたかったのは、ひょっとしたらこのあたりじゃないかと思うんです。だから、カブリエルが第一部でセ−ラに漏らしたこんな言葉が胸に残ります。 「自分のまわりにいる人たちの意見を、深く考えてみもしないで受け入れるのは、とても楽だ。それにひきかえ、自分の愛している人たちにも間違いがあるということを受け入れるのは、ともすると非常にむずかしい。そんなときは遠ざかって自分でちゃんと考えてみることが大切だ。自分の小さな世界から…まわりの人たちから遠ざかることがね」 「ヒルクレスト……」が四部作で、登場するのが四人姉妹、時代背景が戦争というあたり、だれでもすぐ「若草物語」を連想するでしようが、「若草物語」に代表される従来の家族物語はたいてい「家族のきずな」を礼賛していました。人々は互いにわかりあえるものと信じて、核となる家族を作ります。あのジョーでさえ、作家になるのを断念して、結婚し、家族を作ったでしよ。でも、人間てそんなに簡単にわかりあえるのかという疑問もあるわけで、そういう視点をもつ「ヒルクレスト……」では、「自分の小さな世界」(たとえば家庭生活、結婚生活)から遠ざかることに焦点が置かれるのです。きずなはきずなで大切だけど、でもそれが必ず結婚でなくたっていいじゃないかと、画家をめざすフランセスは実際、ガブリエルの求婚をはねつけ、自分の生き方を追求しつづけます。 「ヒルクレスト……」には、人間は誰でも本当はやさしいものだという人間賛歌はありません。でも同じ時代の同じ人物に執ようにこだわり、個々の葛藤にさまざまな照明をあて、人がそれぞれ違う思いをもつことを丁寧に描こうとする作者の姿勢に、ぼくは逆に人間に対する深い優しさを感じずにはいられませんでした。 (酒寄進一)
読書人 1991/06/10
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