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 −−−ニイちゃんがバイク事故で死にかけたからあたしは免許を取らせてもらえそうもない。
 佐藤多佳子の新作スローモーション』偕成社)は、こんな独白で始まる。15歳の少女の心に、積もり積もったイライラを一息に吐き出すようなこの文体は、作品全体を通して貫かれ、それが実に効果的に使われる。この少女の心模様に寄添った語りが、それぞれのシーンに臨場感と張りを与え、さらに、物語の流れに緩急を施し、ある時は停まり、ある時ははぐらかすようなリズムを創り出すのは、見事というほかない。
 この小説の語り手である少女・千佐は、遊び人グループとの交際も、水泳部の部活も、マジにこなしながら高校生活を送っている。実は彼女の家族環境、なかなかにハードで、事故ったおかげでバイクに乗れなくなり、その後、自堕落なプータロー生活を送り続ける、母違いの兄。小学校教師にして堅物の父。さらに、お見合いでバツイチの子連れと結婚し、専業主婦で、小心者で、心配性の母と、もう、健全な少女なら、その心の中に慢性的なイライラが鬱積しないほうがおかしいような状況を基盤に、物語は展開するのである。
 そして、この小説にはもう一人、重要な人物がいる。それはクラスメイトの及川周子で、彼女はゆっくりと緩慢な動作をとることによって、現実に関わることを降りていた。その周子が、事故による足の障害を完治させないままモラトリアムを継続している兄と奇妙な共生関係を持つのである。この二人の美しくも哀しいスローモーションの暮らしは、現実の前に脆くも崩れるが、その目撃者たらざるを得ない千佐には、これまで見えなかったものが見える様になっていく契機となるのだ。
 もっとも、この小説の新しい点は、見えなかったものが見える様になった千佐が、それによって何を考えたかを決して話さないところにある。ややもすると、性急に何かを語ろうとすることのみに、その創作衝動が使われてしまう児童文学の中にあって、この作品は出色である。
 さて、新しいといえば、もう一つ、幼年童話のジャンルでも、特筆すべき作品が出版された。磯みゆきのふしぎなコンコンコン』(岩崎書店)という作品がそれで、アイディアの使い方といい、場面の展開のさせ方といい、これが実に上等なのである。 この作者、イラストレーターとしては既に活躍中で、子どもの本の仕事も挿絵の作品が何作かあるということだが、作/絵としては今回が初めてだそうで、とすると、なんとも頼もしい新人作家の登場というわけだ。
 風邪をひいてコンコンと咳が出て、それでキツネに間違われる。人間の世界を知らない純真なキツネが、懐中時計を心臓と思い込んでしまう。という二つのアイディアを見事に織り合わせ、また、そこここに細かな遊びをちりばめながら、ストーリーの流れに沿って語り手「ぼく」の感情を、喜怒哀楽の方向にうまく持っていくところなど、この磯みゆきという作家、なかなかの巧手と見た。
 とはいえ、本来、これが<幼年童話>のスタンダードなわけで、それを貴重だといわねばならない現状は、明らかに異常だ。たとえば、アイディアを例に取るなら、一つ思い付いただけで作品にしているお話や、あるいは、二つのアイディアを織りなす技を持たないが故に緩慢になっている作品が多すぎるのである。その主因は、学校図書館への、味噌もクソも一緒くたというセット販売の方法に慣れ切って、多少未熟でも本にしてしまう児童書出版社のあり方と、それら出版社にパイプを持つセンセイを中心とした、いわば徒弟関係的な新人作家のデビューのさせ方にある。が、まあ、この構造は本を選んで買う大人がアンポンタンだから存在するわけで、一朝一夕に変わるものでもない。では、どうすれば事態は好転するかというと、磯みゆきさんや、佐藤多佳子さんのような作家にどんどん作品を書いてもらうしかないのである。今後の、お二人の活躍を祈りたい。(甲木 善久
読書人 1993/06/13


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