ぱろる6号
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 前号で駆け足で触れたフレッシュな作家の作品についてもう一度書きたくなった。絵本の世界が元気であり続けるには新しい作家の存在が不可欠であろうから。
国松エリカのフンガくん』(小学館)は、まず表紙が素晴らしい。とにかくこの作家は自分の絵の生かし方を熟知している。ピンクの輪郭線に白地の体のフンガくんを絵本の中でやんちゃに愛らしく動かすにはどうすればいいか。それが表紙に凝縮されている。広角レンズのような構図、斜線の多用、青とオレンジと茶色を巧みに配した色面、色面に描かれた直線(床や畳や障子)の間隔の快さ。なんと血の通ったグラフィックだろうか。本文も表紙の素晴らしさがそのまま全面展開されているが、舌を巻くうまさを一つだけ挙げると、第四話の朝のふとん干しの絵の黄緑色。この色がみごとに朝を語っている。まいりました。
私は、どいかやチップとチョコのおでかけ』(文渓堂)の穏やかさが好きだ。郊外の生活にまことにふさわしい線、色、キャラクター。その醸し出す穏やかさが好きだ。波風は起こる。喧嘩をする。泣き出しさえする。チップとチョコにとっては、決してささやかなことではない。しかし彼らの感情の振幅は、郊外での生活の空気にふうわりと包まれている。その穏やかさがとても心地よい。
その一方でこじましほの『へびかんこうセンター』(文漢堂)の活力にもまた魅かれる。次から次へと巻き起こるスリルとサスぺンス……なのだが、そう感じているのは観光バスであるへぴのほうであって、乗客のかえるの子どもはそれらのできごとを平然かつ楽しげにまさに観光として満喫している。この観光を介しての日常(運転手のへび)と非日常(乗客のかえる)のねじれが元気な絵でユーモラスに描かれている。
とりごえまりのみはりばん』偕成社)はおおらかな絵本だ。話もキャラクターも色もみんなゆったりおおらか。実は月を夜空に送り出す見張番たちは、それなりに忙しく立ち働いているのだが、作家のみごとな仕掛けによりいたってのんびり話が運んでいく。つまり月がしゃべらないのだ。少なくとも画面の中には月の言葉が出てこない。だから会話のやりとりによるテンボがない分、月の鷹揚さが際立ち、おおらかさがいや増す。みごとです。
長谷川直子はこんなよるには』(架空社)でほんのちょっと線を揺らした。以前のミニ絵本のシリーズよりも。今まで一息だった線に息つぎが入ったかのようだ。それが画面の空気を幾分か濃くしたようにみえる。夜の静かな空気が2人の子どもの動く周囲のみいきいきと動く様子が見える。グラフィック的な絵がきちんと絵本の大きさと話の内容に見合っている。息遣いが伝わってくる。
タマミちゃんハーイー』(童心社)はオーシマタエコの1色絵本である。しかもl12ぺージ。読後、その体裁が心底納得できる絵本だと思う。なにしろここには感情が描かれているのだ。フルカラーの絵本では描きにくい感情がたっぷりあるのだ。感情のヒダに分け入っていくために1色にし、aのできごとにより生まれたAという感情がbのできごとに揺さぶられAを経たBの感情になり、CによってAとBを経たCという感情になり、それがdの・・・という複雑に編まれた感情が111ぺージ目に結実する。それを支える別点余の切々たる絵。この作家のこの体裁の絵本をもっと読みたい。 (小野明
ぱろる6号 1997/04/07
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