子どもの本を読む

1990.05.01

           
         
         
         
         
         
         
    
 児童文学に限ったことではないが、作品を評価する際、「現代をよくとらえているけといった言い方がある。無論褒め言葉としてである。こういう場合の゛現代゛とは何なのか、一番分かりいいのは素材としての現代性ということだろう。例えば、いじめ、離婚、帰国子女の問題というふうに。しかし、これらは一種の道具立てとして使われているにすぎず、そうした素材を通して、今という時代のありようを確かに感じさせてくれる作品というのは、そうあるものではない。

「空虚感」を造形化

 「眠れない子」(大石真)の主人公、4年生のタクは、母親と二人でマンションで暮らしている。母親がスナックに勤めているので、夜はタク一人になる。ところが真夜中に目が覚めてしまう癖がつき、朝まで眠れない。そんな夜を過ごすうち、タクはふと思いたって深夜の散歩をしてみる。そして不思議な゛光る家゛を見つけるのである。そこには夜眠れない人たちが集まって、楽しく時間を過ごすのである。ところが、次の晩からはどうしてもこの光る家を見つけることができず、やがてこの深夜の散歩で一人の新聞記者と出会い、これが機縁となって彼はタクの新しい父親になることになる。
 こうした作品について語る時、親の離婚、再婚、今のこどもたちの夜の過ごし方といったところから、説明してしまうと、この作品の核から外れてしまうだろん。タクの家庭環境といった状況設定はあくまでも象徴的なもので、僕は現代の子どもたちに共通するある種の空虚感(いや逆に飽和感と呼ぶべきか)といった心情を゛眠れない子゛として造形した作者の目に感嘆した。優れた都市小説として読める点、またファンタジックな要素もあるのだが、手法としての不思議に寄り掛からず、人間の心の不思議がそのまま物語の不思議につながっているような点、山田太一の「異人たちの夏」を思い出した。

 突然飛べるように

 「空の散歩にさようなら」(ウィッパースベルク)はオーストリアの作品。母親が死んでから、父親は日曜日ごとに息子のパウルを散歩に連れ出す。散歩といっても半日がかりの、ハードで単調な、パウルには楽しくない散歩である。ことに気の重い冬の散歩の途中、父と子は突然空を飛べるようになるのだが、このことが二人の生活を好転させるのではなく、かえって父と子の孤独な状況を浮き上がらせる方向に働くあたりに、作者の現代への思いがみてとれる。ただ、最期に二人を理解する女性が現れ…という結末は、ややバラ色にすぎる気もするのだが。

電話が重要な役割

 「友だち」貸します」(石原てるこ)「るすばん電話にきをつけて」(早野美智代)は、ともに今の子どもたちにとっては必要な小道具である電話が、物語の重要なファクターとしての位置を占めている。見知らぬ相手でも電話なら、あるいはだからこそ話ができる、そうした状況とともに、やはりそこにとどまり切れず生身の相手を求めて揺れる子どもたちの心情は読者の共感を呼ぶだろう。
 特に「友だち貸します」の方は、電話での会話が契機となって、時給700円で゛友達゛を雇うという中学生が描かれており、現代という時代の空気の屈折率とでもいったものが、よく現れていると思った。(藤田のぼる=児童文学評論家)
〈本のリスト〉
「眠れない子」(大石真作、いしざきすみこ絵、講談社)△「空の散歩にさよなら」(W.J.Mウィッパースベルク作、高橋洋子訳、花之内雅吉絵、さ・え・ら書房)△「友だち貸します」(石原てるこ作、永井博絵、ポプラ社)「るすばん電話にきをつけて」(長野美智代作、村井香葉絵、ポプラ社)
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