絵本のなかの文章
世の中で絵本といわれ、また著者、出版社が絵本といっているものはじつに多種多様である。本屋の前のくるくるまわる筒にはいった絵本も絵本であり、早乙女勝元文・田島征三絵の『猫は生きている』も絵本である。
だが、この多種多様の絵本も、絵本の中での文章を軸にして分類すると、ほぼ三つにわかれるだろう。一つは文字のない絵本であり、それに対してもう一方には完成した文章作品に絵をつけた絵本が存在している。そして、第三のものは、最初から絵本として発想した作品中に文章がはいっている絵本である。
この三種の絵本のうち、この小論では完成した文章作品に絵をつけた絵本のことは扱わない。その文章を論じるのはもともと文学論に属するものであって絵本論ではないからである。もっとも絵本となったものの中で、その文章がどういう位置を占めるかということは、絵本論にちがいないが、いまそれをやる必要をぼくはあまり感じていない。
では、文字のない絵本はどうか。これについてはとりあえず「ことば」との関係を述べておきたい。文字のない絵本というのはいわば結果でありその関係は、その創作過程ではことばが働いているはずだ、ということである。そのことばの働きは具体的には、文章表現があって消えてしまった場合もあるだろうし、作者たち(編集者も含む)のあいだでの口頭による意見交換におわった場合もあるだろう。またひとりの作者の内部でイメージをふくらませる媒体として、あるいはイメージ展開の連結として、さらには全体をつらぬく論理として、ことばが働いた場合もあるだろう。こうした意味では文章、文字のない絵本にもことばははっきり働いているのであり、それは一編の絵本の構想と深くかかわりあっている。
ただその具体例をぼくはまだはっきりと出すことができない。ここでいう具体例とは作者が意識した創作体験と、その結果としての作品の分析とがおもな要素になるものと思うが、文字のない絵本はそこまで進んでいない。創作体験のさまざまな例を収集することが、絵本研究を進めるためには必要である。だから、文字のない絵本の創作過程にことばが働いているというのは、現在ではまだ仮説の段階というべきかもしれない。しかし、ぼくにとってはほとんど疑い得ない原理としての仮説である。
この仮説を前提として、第三のもの、最初から絵本として発想した作品中に文章がはいっているものが、この小論のおもな対象となる。こうした作品は最近比較的多く、ぼく自身田畑精一と『おしいれのぼうけん』をつくった体験があるので、考えやすいからである。
この第三のものの文章の特徴は、文学作品に絵をつけた絵本の文章と比較することで、はっきりとあらわれてくる。後者が文学的に完成した文章だとするなら、前者絵本的完成のなかに位置づけられた文章である。
その具体例にはいろう。大友康夫の『あらいぐまとねずみたち』のなかに、次のような文章がある。
のぞいてみると、そこでは ねずみたちがおおぜいであそんでいました。「あっ! ぼくのきしゃを つかってる」「まめの ふくろも あるぞ!」(第四見ひらき)
まえに なくなった えほんも ヨットも、おとうさんの めがねも、おかあさんの けいとも、ちゃんとあるではありませんか。(第五見ひらき)
この二つの場面は楽しい場面だ。文章では「ねずみたちが おおぜいで あそんでいました」としか書かれていないところ、絵ではびっしりとかきこまれている。たとえば木の切株の上と下とにいるねずみ、乳母車に赤ちゃんねずみを入れた母親ねずみ。そして汽車にはちゃんとねずみたちが乗っている。
もしも文学作品として書く場合、これだけのことを表現しようとするなら、「ねずみたちが おおぜいで あそんでいました」だけではすまされない。そのようすが文章でもっと書きこまれることになる。
しかし、文章でどのように書きこもうと、この二つの見ひらきの視覚的効果を再現することはできない。第四見ひらきの中央を横切る線路は第五見ひらきにのび、この線路を軸に遊ぶねずみたちのようすが展開している。この効果は文章では表現不可能なものであろう。こう考えると、前記の文章はたしかに絵本の中の文章である。
そして、その文章は必要なことはきちんと語っている。「えほん」「ヨット」「めがね」「けいと」、それぞれは絵に出てきているが、それが「まえになくなった」ものであることを、この絵から読みとることは不可能である。この最低必要なことは文章で書きこまれた。
ただこの文章にぼくはある不満も持っている、それは「あっ、ぼくの きしゃを つかってる」「まめの ふくろも あるぞ」というさけびの部分である。第三見ひらきに続いてここまで読み進んできて、ぼくは急に内容稀薄の感じを受けた。
なぜ内容稀薄の感じを受けるのか。それにはおそらく二つの理由があるだろう。まず一つは絵との関係のことである。このさけびに先立つ「ねずみたちがおおぜいで あそんでいました」には、絵によってぎっしりとなかみがつまっているが、さけびの主体であるあらいぐまの表情には、自分の汽車がそこで動いていること、なくなった豆の袋があるころ、そのおどろきが不足している。
もう一つは文章そのものの問題であり、「あっ、ぼくの きしゃを つかってる」の「つかってる」、「まめの ふくろも あるぞ」の「も」に、ぼくは説明的なものを感じてしまう。ここの文章はぼくにとっては間のびしている。おどろきの言語的表現としてここは不十分なのではなかろうか。そう感じるのはもう一つ、第三見ひらきから客観的叙述が続いてきたあと、あらいぐま親子のさけびに急転換する、そのつなぎの文章がないためでもあろうか。
ここの批判には、あるいはぼく個人の好みがはいりこんでいるかもしれない。ただいいたいことは、絵本の文章にも当然言語的完成は必要なのだ、ということである。
『あらいぐまとねずみたち』についての、以上のことを整理すると、(1)絵本の文章は絵本の中に位置づけられている、(2)その文章は絵にかかれていることを裏附としている、(3)絵で表現できない最低必要なことはきちんといっている、(4)絵本の文章も言語的完成は必要だ、ということになるだろう。
ただし、この整理条項を多くの絵本に共通するものとして一般化することはできないだろう。ことに(2)の場合はさまざまな変化があって、一見絵とは無関係な文章が出てくることもある。ただぼくはこうした分析を積み重ねていくことが必要だと思っているので、その一例として『あらいぐまとねずみたち』の一部分を考えてみたのである。
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以上は、現在ぼくたちの目の前にある絵本の文章をどう見るか、ということの一例であった。いいかえれば、考える対象となったのはある創作過程としての文章であった。こんどはその過程の結果のなかでことばがどう働くかを考えてみよう。
その例となるのは、先にいった田畑精一とぼくとの絵本『おしいれのぼうけん』である。もともとこの絵本はある事実から出発した。東京都下のある市の保母さんたちから聞いた話で、二人の子どもを押入れに入れたところ、節穴からのぞいたり、ミニカーで遊んだりしてなかなか出てこない。最後には子どもたちはがんばり切れずに出てきてしまうのだが、そのなかに押入れの上と下で手をつなぐところがあった。
創作の最初の段階では多くの場合、すべては混沌としている。いくつもの保育園からきいたいくつもの話があって、あの話にも惹かれこの話にも惹かれ、押入の話のなかでも節穴から外をのぞくことにも魅力を感じる、こうした混沌のなかで田畑精一、編集者の酒井京子の三人とで意見を交換しあっているうち、やがてぼくのうちに、「手をつなごう」ということばと、うすくらがりのなかで汗ぐっしょりの手をつないでいる二人の子どもの姿が浮かび上がってきた。
この段階での手をつなぐイメージは、最初話をきいたときのイメージとは質的にちがう。話をきいたときは一つの現象としてのイメージに近い。そのなかにある”手をつなぐ”ことに一つの意味を見ることによって、イメージの質は転化する。この意味を見ることはことばの働きである、少なくともことばが働いている部分が多い、とぼくは考える。ことばによってぼくたちは一つの現象のイメージを、普遍的なものに転化させるのである。大げさであらっぽいいい方だが、ぼくがうすくらがりの押入で手をつなぐ二人に日本の現在、子どもの成長その他さまざまなものを見たとき、一つの現象のイメージが質的転換をとげはじめたたのだ、と思う。
そして、この質的転換をとげたイメージが指し示す物語の方向は、子どもが押入のなかでがんばり通すことであった。ここでは事実から物語が飛躍しなければならぬ。それをみつけ出すのにぼくはほぼ十ヵ月かかったが、この押入の話をきいた七二年はぼくが甲賀三郎伝説に惹かれ、そのことを調べはじめた年であった。
根の国へ行った三郎が再生するこの伝説は、のち大国主となる大己貴がはやり根の国でさまざまの試練にあう神話と呼応している。それは成年式の儀礼でもあり、山伏の修行の反映でもある。くらがりの押入は根の国と相通じ、大己貴の遁走は押入のなかのふたりの子どもたちの遁走を呼びおこした――のではないかと思う。
だから、子どもたちの遁走経路は最初は狩人甲賀三郎の影響を直接残してまず森であり、次にトンネル、それから地下水道であった。そこへ田畑精一が高速道路を提案した。森のイメージは完成した『おしいれのぼうけん』に残存しているが、甲賀三郎伝説から来る山伏の修行の一つ胎内くぐりはトンネル、地下水道となり、それに高速道路を加えて現在的イメージとして再生した。
この遁走経路の設定は、絵本『おしいれのぼうけん』にとって主要なイメージ決定とともに、物語の大きな骨組――ストーリイをつくり上げることであった。ストーリイはイメージを素材とし、一定の論理によってつらぬかれる。そして、論理とことばは密接不可分のものであり、ことばの操作によって論理は展開する。
一方、創作過程のゆれ動いた初期の段階のイメージはまだ原初的なものでいる。そして、個々のイメージはことばを内包しているものである。原初的なイメージは、さまざまの方向にむかうさまざまのことばを内包している、といえる。
ストーリイ――物語展開の論理はこの原初的なイメージに働きかけ、ゆれ動きをやめさせ、そのイメージをよりたしかなものとする。ことばがイメージに作用して、その質をかえるのである、この強化されたイメージでは、内包することばも諸方向にむくことをやめ、ほぼ一定の方向にむかい、そのことばの内容は以前よりあきらかになっている。
ここでまた体験に帰ると、そのイメージが内包することばの一部はときとして文章のかたちをとって、ぼくのなかに浮かび上がってきた。ぼくはその一場面の文章「おしいれの中は夜の山と夜の海。星いっぱいの空の下を、黒いじょうき機関車と赤い車は走っていきます」を、夜うちに帰る途中など、ときどき心のなかでくりかえしていた。絵ができて文章の決定稿をつくるとき、「星いっぱいの」以下はけずったが、この文章のくりかえしのなかでこの場面のイメージはぼくのなかでしだいに修正されていった。
さて、ぼくの小論の最初で”ことばは一編の絵本の構想にかかわりあっている”といった。『おしいれのぼうけん』についていままで語ってきたことすべてはその実例である。
ただし、ぼくのいってきた”イメージ”はぼくの心に浮かぶ像であり、この像はけっして”絵”のようにあきらかなものではない。
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『おしいれのぼうけん』について、もう一つ。完成した絵本の最初と最後は保育園の全景である。文章でいえば「ここはさくらほいくえんです。さくらほいくえんには、こわいものが ふたつ あります」とはじまり、「さくらほいくえんには、とても たのしいものが ふたつ あります。ひとつはおしいれで、もうひとつは ねずみばあさんです」でおわる。
ことばがことばを呼ぶという経験は文章を書く者ならだれでも経験していることだが、最初文章だけの第一稿を見てくれた人のひとり、心理学者の乾孝氏はこのおわりに疑問を出した。このように結末を書かないでもそうなることはもう文中に出ているのではないか、という疑問であった。ぼくのなかにも形式的照応ではないかという感じがあったので、一度それを省いてみたが、どうもおちつかない。途中で思いきってやはりもとにもどすことにした。
そのことをいまふりかえってみると、ことばがことばを呼ぶにしろ、文章だけで書く作品だったらぼくはこの結末をこの文章にはしなかっただろう、と思う。絵本と考えているからこの文章は出てきた。文の対応だけではたしかに形式的な対応にすぎない。文章だけの第一稿を見た乾氏も同様に感じたのではなかろうか。
しかし、できあがった絵本は形式的な対応にはおわらなかった。おなじ保育園の全景のなかに大きなちがいがある。そのちがいを考えに入れることによって、文学作品の文章と絵本の文章とのちがいの一つが出てくることになるだろう。このことを考えさせてくれた乾氏の疑問はありがたかった。
以上が「絵本のなかのことば」について考えていることの一部である。つい自作について述べることが多くなったことを許していただきたい。
(『月間絵本』 一九七五年三月号)
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