『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

 3

 一般に童話作家は夢見がちな人間と考えられることが多い。この考えには信ずべき根拠がある。とりあえず、未明、広介にかぎって言えば、彼らは調和のとれた世界を描く。その世界が多くの常識人にはふしぎである。「赤いろうそくと人魚」では情知らずのじいさんも香具師もほろんでしまい、「泣いた赤鬼」では青鬼が友人のために身を犠牲にする。不正が常に罰せられ、友人が常にその友のために身をすてることをおしまないとしたら、世の争いのおこることは実に少なくなる。もし人間が童話に書かれたとおりの人間だとしたら、世の中は天国である。
 こうしたことを童話作家が知らないはずはない。彼らもちゃんと知っている。知っていてそれを書くのはなぜなのか。広介によれば次のようになる。「わたくしは、自分の作る童話において、いつも善意にもとづいて、その行動がとられることをねらいとした。観念的にこのようなねらいを持つということは、現実のきびしい姿に背を向けて目をふさぐかたちになるとの指摘を受ける。(中略)もっともである。しかし、ここに、もう一どいうのであるが、それが正しくあてはまるのは、大人の文学、小説のばあいであって、このようにありたくねがう童話の世界は、かならずしもそれにしたがう要はない。」
 「このようにありたくねがう」ということばはまた「理想主義に足場をすえる」ということばともなって出てくるのであり、また関英雄も童話は理想主義の文学であるといったことがある。よい子童話・また生活童話の初期のものはこの理想主義の変型である。日本の童話の伝統のなかには、未明の「空想的正義」に始まる理想主義がひとすじ流れている。
 この理想主義の内容の弱々しさと共に、その理想実現の方法がどうであったかを、ぼくたちは考える必要がある。佐藤忠男によれば少年の理想主義は少年倶楽部の諸作品においてこそ描かれており、童話のほうでは描かれていない。ぼくはこの考えにさんせいする。童話が理想主義を目的としながら結果としてそうでなくなってくるのは、ただ内容だけの問題ではない。
 未明童話は正しい調和の世界であり、広介童話は願いの世界である。彼らの理想主義の特徴はその理想とする世界をそのまま投げだした点にある。たとえば、佐藤紅緑は子どもの立場から出発して彼らの行く手をはばむ障害との戦いを書き、その戦いのくりかえしの結果、少年たちは勝利する。紅緑は過程を書き、未明や広介は結果を書いた。
 なぜ彼らは結果だけを書いたのか。ここでぼくはまた彼らの原始的感覚、原始心性を考えざるを得ない。原始心性の持ち主とことばとの関係である。ふたたびカッシーラーによれば、原始人にとって、「自然は一つの大きな社会、すなわち生命の社会」である。そして、「この見方から、我々は容易に呪術的世界の習慣と特殊な機能を了解することができる。呪術の信仰は『生の連帯』の深い確信にもとづいている。原始精神にとって、言葉の社会的な力は、無数の経験を通じて、自然力となり、また超自然力とさえなる。」
 この超自然力を持つことばへの信仰が、未明や広介の心の底にかくれていたと見るべきである。また生活童話の作家のなかにもかくれていた。原始的なことばの使い方をする人間が、ことばに対して原始的な態度を持っていたとしてもふしぎではない。
 そして、超自然力を持つことばといえば、かつてヒラケゴマと唱えると岩のとびらは開いた。日本古代の神は、「国来国来」というかけ声で国を引いた。ことばがあれば、ものは実現する。この原始心性が近代に復帰して、日本の近代童話を作りあげたのである。
 つまり、童話の本質は呪文であり、未明以下立原えりかに至る童話作家群呪術者の群れである。呪文であればこそ、彼らは調和の世界、願いの世界をそのままほうりだす。願いをことばにすることによって、その実現をはかったのである。というより、呪術的世界の現出がその目的であった。
 たとえば孤児を売る人間が存在している。彼は法をくぐって罰せられない。この不合理、彼は罰せられなければならない。そして、童話作家は原始心性の持ち主である。原始心性は児童性でもあり、児童性の最大特徴は自己中心性である。罰せられるような社会実現の過程よりも、その社会をただちに現出させるシンボル化の欲求のほうが強力に働く。
 こうして呪術がよみがえる。「呪術は、技術の未発達な原始社会の人間が、自然とたたかって生きるための、自然を幻想的に変革するためのコトバの武器であった。」(西郷信綱)童話の世界では社会が幻想的に変革されたのである。
 しかし、その世界は幻想的変革の世界という面より、呪術の暗い神秘的なふんい気に満ちている。なぜそうなったのか。その原因は、原始の呪術が祭式を持ち、つまり身体的行動をともなって、部落民のすべてが参加する共同体のものであった点に求められよう。童話では踊りも儀式もすてられ、共同体の交流もすてられる。残るのは私的な呪文でしかない。
 原始の呪術は外に向かって開いていた。戦いに出て行く戦士は、呪術の行なわれるあいだ、耳に雄たけびの音を聞き、目に敵の倒れて行く姿を見ただろう。彼の精神は高揚しエネルギーに満ち、彼は勇ましく戦っただろう。呪術は幻想的であるにとどまらず、プラグマチックな要素を持っていた。勝利の祈りにしろ、狩のえものを願うにしろ、呪術の背後には共同体の意志とプラグマチックな効用への期待がある。
 が、日本近代童話はプラグマチックな効用をすてたところから始まる。子どもの自己中心語は子どもが困難な状況に置かれた時増加するというが、原始心性、児童性の持ち主である未明、広介は出口のない困難な状況に置かれて童話を書いた。その幻想は変革のための幻想というより逃避のための幻想である。
 共同体との交流を失った彼らは、密室においてひとり呪文を唱える。この私的な呪文には過去の呪術の跡が残っている。日常性の世界を越えていく高揚したことばと、陶酔である。人びとを共感の世界にさそいこむには、まず呪術者自身の呪術への没入が必要であった。はげしい精神集中が行なわれ、彼をとじこめている暗い壁は変容してくる。みじめな現実は胡蝶の飛ぶ月夜になり、赤いろうそくが波間をただよう。すべてことばが呼びおこしたものであった。彼自身、呪文にかけられたのである。
 調和の世界、願いの世界は呪文によって現出した。そして、彼らはその世界の住人となっている。そのことによってのみ、彼らは救われる。あるべき場を失った私的な呪文、自己完結的なシンボルの世界として日本近代童話は性格づけられる。佐藤紅緑が理想実現のための少年像を書くのに対して、童話作家はそれ自身完了し、とじられた世界を書いたのである。紅緑の少年小説はいわば手段であったが、童話は目的そのものと化してしまう。美が書かれ、あこがれが書かれたゆえんであった。
 重要なことは、童話が本質的には呪文であるために、その語りかけるあいてが明確でないという点である。呪術は本来天地のあいだに身をひそめている数々の善霊、悪霊を呼びだし、あるいは封じるものであった。未明、広介も表面的には子どもに語りかける。だが、それは子どもたちに呪文を投げかけるにすぎない。彼らが真実呼びかけているものは、文明の事物の底にかくれている原始の生命である。

 4

 童話は以上のようなモティーフ、方法によって作られている。生命の連続、連帯は子どものアニミズムと照応し、童話が子どものものとなりうるひとつの理由を示している。その生命の社会から生まれることばの使い方も童話作家と子どもに共通のものがある。
 しかし、ひと口に子どもといっても年令の差があり、その発達の程度によって周囲の社会の見方とことばの使い方がちがってくる。「象徴童話への疑い」で述べたように童話は幼児の心理構造に根をおろしている。が、このことは現在までに生産された童話がすべて幼児のものであるということを意味しない。内容的にはかえって童話は中学時代のものであったりする。たとえば広介の孤独が幼児に理解されうるものであろうか。ここに内容と形式のアンバランスが認められる。童話はまさしく童心を失わざる人びと、あるいは人びとのうちの童心にむかって働きかけるものであり、年令の差を越えた存在である。
 童話イコール児童文学という考え方は最近少なくなってきたようだが、この考え方はなおも徹底的に打ち砕かねばならぬ。秋田雨雀や未明が人類の永遠の童心に訴えるものとして童話を見たのは、明治自然主義に対するアンチテーゼのひとつであった。大正前期のこの主張に対して、後期には未明を中心として北村寿夫や奈街三郎たちが童話は文学の一ジャンルであり、かならずしも子どもを対象としたものではないと唱える。この動きは「赤い鳥」に対するアンチテーゼであり、童話を児童文学とかぎらずロマン派運動の所産とする考え方は、その誕生のころに明確にみられるのである。ぼくは童話を、さまざまの個性と手法によって展開された大正期文学のひとつの流れと見たい。
 「赤い鳥」つまり当時の文壇作家の書いた童話についてはあとまわしにして、未明、広介中心の童話は、このようにして未分化の児童文学である。内容と形式とがあいともなわなければならないのだ。
 しかし、誕生期の児童文学が未分化であるということは、歴史の条件の上から見ればしかたのないことであって、問題にしなければならないのは今日もなおそのような童話を書いている人びとのことである。便宜上、問題をふたつに分ければ、ひとつは内容、ひとつは方法に関している。
 まず方法の点から見れば、呪文のことばは対象と同化してしまったことばである。あるいは対象は存在していない。このようなことばで社会の追求、人間の追求が行なえるはずはない。子どもをとらえ、書くことができないのは、このことばの特殊性のゆえんである。対象を追求することば――散文が必要なのだ。
 今日、千葉省三を再評価しようとする機運が生まれているのは、少なくともぼくの場合、彼が散文による作家であったということに理由がある。たとえば、次のような文章だ。

 すりうす屋の嘉右衛門じいさんのせどに、大ッきな、たんば栗が二本ある。/秋ンなると、栗の実が、露ッぽい草の中へ、ポタン、ポタン、おっこちて、なにか、とてもでッかい甲虫みたいに、せなかを光らしてむぐっている。/夜なかに落ちたまッたのを、朝早く、嘉右衛門じいさんが、ひろいに出る。/そのあとの、ひろい残しを、おれたち子供仲間がさがしに行く。/じいさんより、早く行きたいのだが、きまっていつでも後になる。/「あの、けちんぼじんつァ、提灯さげて、くれえうち、ひらいに出ンだぞ、きっと……」

 「ションベン稲荷」の書きだしだが、これを前にあげた未明、広介の書きだしとくらべてみれば、その差ははっきりするだろう。情景と行動がはっきり提示されているのだ。千葉省三は自分の少年期に取材して子どもを書き、鳥越信によれば「自己の少年時代をふりかえるという、児童文学にとっての出発点がここに置かれた」作家であるが、子どもを書く、つまり子どもを対象としてとらえるということは散文でないとできないことであった。彼は少年倶楽部に「陸奥の嵐」や「泣かぬ星丸」などいわゆる通俗物を書いた。そのような作品を書き得たことと、散文作家であったということには関連がある。「あの、けちんぼじんつァ、提灯さげて……」という子どものとらえ方は、佐藤紅緑の少年小説に出てくるわき役の人物と類似しているのである。
 しかし、「陸奥の嵐」と「ションベン稲荷」では前者が時代小説だというだけの差ではない大きなちがいがあり、両者の統一的発展は見られない。彼の児童文学においてもフィクションは非常に貧弱なのである。
 なぜそうなのか。ぼくが童話と言ってきたものは未明、広介、あるいは原始心性中心のものだが、これと対応して大正期文壇作家の童話がある。この童話は今日の児童文学にまったく影響を持っていないが、未明、広介にくらべて散文的であった。日本の児童文学では散文の伝統は千葉省三と共にここでも切れているのだが、しかし彼らの散文にもおおい切れない弱さがある。それは芥川の「くもの糸」に見られる修身のそらぞらしさに代表されている。千葉省三の弱さは「赤い鳥」の文壇作家の童話の弱さと共に日本文学全体の弱さのなかで求められなければなるまい。
 中村光夫は「大人と子供」と題する文章のなかで「明治大正時代のように、作家であることの特権と使命が、子供であることと同一視されるような風潮はたしかに不思議なもの」と言い、その例として志賀直哉が「子供に近い精神状態を保持」したと言う。そして「『童心』が作家の大切な宝とされ、童謡、童話などという新語がはやったのは大正時代です」と苦々しげに語り、「よく言われる文壇小説の狭隘性は、小児性と言いかえた方がずっとはっきりします」と書く。
 この小児性ということばに、千葉省三も「赤い鳥」の文壇作家たちも、また未明、広介もしめくくられよう。問題は作家主体なのだ。そして、ここでいう主体は当然児童文学者の主体のことであり、その主体形成の根本は自分がなぜ児童文学をやるか、あるいはなぜ子どもに語りかけたいのかということに帰ってくる。
 この際、資質にたよって呪術的世界に安住することはまったく無意味である。未明のように強烈な資質の持ち主でない以上、小児性に落ちてしまうことは目に見えているからだ。すこしくわしく言えば、たとえば広介の孤独からのがれたいというテーマのくりかえしは子どもの自己満足と同様である。前にも言ったように児童性の特徴は自己中心性である。幼い子どもは教師や保母にむかって、他人のことにはかまわず、きのうどぶに落ちたとか、おかしがおいしかったとかと、しゃべりたてる。あるいはひとり遊びながらしきりにことばを口から出す。彼らは経験をシンボル化することに自己満足を感じているのであり、聞き手はシンボル化の刺激として存在するに過ぎない。幼児の集団の会話を聞けば、おたがい関連のないことが、てんでんばらばらに話されている。広介はそれと同じに孤独が読者の子どもに理解されようがされまいが、語り続けるのだ。
 だから、彼らには内面にむかっての掘りさげはない。未明も広介もその生涯の作品を通じて、ほとんど変化していない。彼らの作品は子どものおしゃべりに似た自己表出だからである。原始心性、児童性の直接的表出による童話は当然もっとも小児的なのだ。
 今日の同人雑誌のいわゆるメルヘンはその作者の資質、主体の弱さにより、自分に呪文をかける自己満足的なものが多い。日本児童文学は今日に至っても、未明、広介的モティーフ、あるいはその形式の模倣が主要な部分を占めていて、自分の内面を掘りさげ、それによって子どもとつながることを考えようとはしないのである。未明、広介的モティーフ、方法は小児的というだけでなく、児童文学としては擬似的なものなのだ。
 原始心性、児童性の直接的表出というモティーフは変質しなければならない。散文であろうと、詩であろうと、児童文学がどういう契機から生まれくるものとしてつかむかということが、もっとも必要なのだ。

next