『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

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 だが、ぼくはあらゆる児童文学がすべてエネルギーに満ちた基本的行動を書くものになれと主張するものではない。行動に対して、基本的な心性を書くものもあり得よう。しかし、より重大なのは子どもそのものへの関心から生まれる児童文学である。
 ここで、ぼくたちは坪田譲治のことを考えよう。彼の児童文学のモティーフは未明と同様にまず原始心性である。
 未明の場合、それは一時に燃焼したが、譲治の場合、それは変質して善太三平となって現れる。呪文と分離して、散文が現れたのである。そうかといって、譲治が完全な散文であるとも言えないが、少なくとも対象を指示し、限定し、伝達するという機能が譲治童話には見られるのである。
 未明童話は原始心性を解放した。一部の読者の心内には、魔法にかけられたように原始心性が喚起されるのだ。この原始心性は不定形のものである。形のない、もやもやした、一種の気分である。
 譲治もここから出発した。「河童の話」「木の下の宝」「小川の葦」では、ばくとした原始的な恐怖感、神秘感が主題となっている。出発しただけでなく、その後もこの気分としての原始心性は顔を出す。ことに戦後の「よるの夢ひるの夢」「サバクの虹」など。
 だが、いわゆる善太三平童話は、この気分に形を与えた。夢魔のような原始心性は、子どもという主体のなかにとじこめられる。まさしく指示され、限定されたのである。つまり、原始心性は子どもへ関心に変質した。これを、ぼくは児童文学のあるべき姿のひとつだと思う。
 だが、子どもへの関心という、その子どもの内容は何であったのか。それを、ぼくは子どもの持つ不安定さだと思う。譲治はその妻を書いた一連の小説のなかで、不安定な気持を語る。子どもは不安定なもので、いままで橋の上でおどっていた善太はたちまち死に、「かあちゃん」を慕う子どもは、母の姿が見えなくなると、急に心細くなる。子どもと同じく、あるいは原始人と同じく、譲治の心性は、周囲に満ち満ちている魔性のものの存在を鋭敏に感じとるのだ。
 この不安定さは未明にもある。未明が解放した原始心性は恐怖が基調になっている。譲治の出発当初の作品にしても恐怖の感情のほうが強い。こうした原始心性、児童性を内容にして善太三平は形成された。未明の場合、原始心性は一時に燃焼したが、譲治の場合、それは変質して善太三平になったのだ。
 直接的な自己表出ではない、このモティーフの変質が方法といわれるものであって、ここに多分に詩的なものを含んでいる呪文から、ようやく散文が分離しようとした。呪文および詩の特質が飛躍、したがって不連続であるのに対して、散文は持続的である。譲治は原始心性の一時の燃焼をくいとめ、ゆるやかにその心性を対象化していったのである。
 だが、その対象化は日常性のなかで行なわれた。譲治が設定する非日常的な状況のなかでも善太三平は日常的にしか行動しない。善太三平は父母に守られる存在である、譲治の愛情が彼らをどん底につきおとしてみることを許さなかった、というようなことがその理由としてあげられよう。そして、事実に忠実であろうとする私小説的なものの反映がその最大原因であろう。
 つまり、エネルギーは遍在しているものではない。事実に即した場合、善太三平のような子どものほうが数的には圧倒的多数であるかもしれないのだ。プラスアルファがここで必要となってくる。子どもの主観的なエネルギーに形を与えてやることが必要なのだ。善太三平にはエネルギーと共に基本的行動が欠けていた。日常生活のなかでの日常的活動を書いた短編より、元来おとなのものの部分を含んでいる「風の中の子供」のほうがおもしろいのは、すくなくともエネルギーを持とうとして善太三平が狂奔しているからである。
 だからといって、ぼくは子どもそのものを書き悲劇に終わるような文学を拒否しているのではない。逆に児童文学のなかにももっと多種多様のテーマと形式が持ちこまれるべきだと思っている。たとえば、表面的な社会批判ではなく、今日の日本の置かれている状況を書いた児童文学を切望している。それには善太三平のように日常性を肯定するのではなく、彼らの何気ない遊びの生活のなかで彼らがむしばまれていくことを書かねばなるまい。日常性もまた調和の世界にほかならないのだ。ただ特に譲治を考えなければならないのは、彼が原始心性から出発して子どもに関心を注ぐようになった点である。
 だが、状況を書き、またエネルギーあふれる子どもをとらえる散文は、譲治の散文とは質を異にしたものであるにちがいない。譲治の文体は観察から生まれ、ロビンソンの文体は想像力に根をおろしている。今日、何をおいても獲得しなければならないのは想像力にほかならぬ。
 ぼくたちは近代童話にさよならしよう。詩ともつかず散文ともつかないこのあいまいな産物のなかで自己満足におちいっていては、子どもに語りかけることもできず、自分の発展も望むことができないのだ。
(1959年8月・未発表)
テキストファイル化塩野裕子