本のつくり手として、いま思っていること
―子どもの本の現在―

上村 令

           
         
         
         
         
         
         
    
 「子どもの本の現在」という題をもらったのですけど、まずは、私がどうして子どもの本にたずさわるようになったか、今までどんな仕事を、どんなふうにしてきたかをお話したいと思います。
 私は子どもの頃から本が好きで、子どもの本は、おもしろいし、これからの子どもにもおもしろい本を読んでほしいと思って、この仕事をはじめました。
 おもしろい、の基準はむずかしいのですが、翻訳の場合、まず本を読んでくれる外国人を探して、その人達に荒撰りを頼みます。一冊の本を三人位で読むのですが、その場合、男女、国別等によって評価が割れるときがあります。また同じ言語圏でも内容が理解しにくいものがあったりします。
 荒撰りで三割ぐらい残し、その本を日本人に読んでもらって意見をきくのですが、そこで、日本語に訳すのはむずかしいというケースが出てきます。歴史的ファンタジーとか、キリスト教的考えがはいっていて、日本の子どもには理解できないとか。たくさん見る割には、選ぶものは少なくなります。
 絵本の場合は、すべての本に下訳をつけてもらうのですが、話自体の筋だけではなく、どういう言葉で語られ、どういう絵と結びついているかという、その結びつきを見ます。
 出版しようと決める時のポイントは、結局、編集したいと思うかどうかということにつきます。例えば、下読みの人が全員絶賛して、賞ももらったりしていても、誰も編集したくないものはやめることになります。それはあまりフェアとはいえませんが、やはり出来あがるまでに十回位読むことになると考えると、それでも楽しめるものをやりたいし、いやいややってもよいものはできないし…。また、自分達が十回は読みたくないものを「どうぞ読んでください」といって売るのはまずいのではないかと…。
 逆に、ひとりがいやだといっても、おもしろそうだと感じるものがあれば、とってみたりします。ものすごく好きだという人と、ものすごくきらいだという人に分かれた本の方が、強さがあるということがあります。例えば『エヴァが目ざめるとき』(P・ディッキンソン作 唐沢則幸・訳)は、近未来の話で、事故にあった少女が記憶だけをチンパンジーの体に移植されるという話です。人類が滅びにむかうなか、少女がチンパンジーを率いて森の中へ野生にかえっていくという結末はきらいだ、という人もいました。たしかに逃げ場のないやりきれなさを感じる話ですが、おもしろかったし、出したら評判もよかったのです。賛否両論の本をたまにやってみるのもいいかな、と思っています。

 翻訳ものの編集で気をつけていることは、絵本の場合は必ず声に出して読むことです。絵本は読んでもらうもの。耳できいてわかりづらい言葉、ひっかかる言葉があったり、流れがわるいと、本の世界にはいるのを妨げることになります。物語の場合は、日本語として読みやすいかどうかということです。
 原本でどうしてもわからないところは、こまかいことでも書き出して、作者に答えてもらっています。本質的なことさえ大事にしていればいいと思われるかも知れませんが、子どもは意外とこまかいことにこだわるものです。私自身、「ナルニア国ものがたり」の『ライオンと魔女』のあとがきの中に、ターキッシュ・ディライトというお菓子がでてくるのですが、どんなお菓子かとずっとこだわっていて、大人になってから、ブックフェアでフランクフルトにいった時、それを手に入れて食べてみたらガーンとするほど甘くてまずくて…。
 考えてみると、これは戦争中の疎開の時の話なのです。なんでもいいから甘いものが食べたい、それで一番甘いターキッシュ・ディライトになったのかも知れませんね。
 たまに内容に間違っているところがあると、指摘してくるのは子どもが多いのです。だからなるべく正せるものは正して、わかりやすくして、かけられる手間はできるだけかけ、装丁もきれいにして出そうと決めています。そうやって次つぎ本を出して、反応がかえってくるとやはりうれしいですね。
 どこで翻訳する本を探すかということになると、海外のブックフェアが多く、いろいろ説明をうけて送ってもらい、検討するのですが、世界的な著作権法で翻訳権は一国に一社しか与えられないのが基本なので、日本の中のその一社にならないと出版できません。広い展示場を走りまわる体力勝負です。たいへんですが、ブックフェアにいくのは有意義です。
 というわけで、翻訳ものについてはそんなふうに探せるのですが、創作ものについては千差万別。作家とどうやって知りあうかも千差万別で、ひこ・田中氏の『お引っ越し』の場合はもちこみでした。最初の原稿はほとんど関西弁で、関西弁を知らない人が読むとわからないところがあったので、会話以外は標準語をふやしてもらいました。『夏の庭』の湯本香樹実さんは、もともと音大を出ていて、オペラの台本を書いていました。その頃、福武書店が文芸雑誌の新人賞の原稿を募集していて、そこへ応募してきたのが知りあうきっかけでした。
 この作品は、できあがったあと、題名を決めるのに苦労しました。翻訳ものは原題があるので、それを参考にして題をつけられるのですが、創作ものの場合はさまざまなケースがあります。例えば『空色勾玉』(荻原規子・作)は題がはじめにあって、作者は書いている途中も題名にすがって書いていた、と言っていました。『薄紅天女』を書いた時も、題が先にうかんだそうです。
 湯本さんの場合は題がきまらなくて、百ぐらい案を出してようやく『夏の庭』となったのですが、それだけではさびしいので、The Friendsと英語でいれることになりました。
 創作絵本を作る場合には、計画性が大事です。絵描きさんに最初に設計図となるダミーを作ってもらって、編集者と一緒にそれを練ってから、絵にとりかかってもらいます。物語を書く人は、話の流れを言葉で考えますが、絵描きさんは絵で考える人も多いので、絵本を編集するときはこちらも物語のときとは使っている場所が何か違うようで、それはそれでおもしろいです。

 さて、いまの子どもと昔の子どもは違うのかということですが、違うような気もするし違わないような気もします。あまり分析的に考えたことはないのですが…。ただ、福武書店のときも徳間書店のときも、児童文学を始めようとしたら、「やめた方がいい」と業界の人達からいわれました。「いまは冬の時代だから」とか「これからはきびしいですよ」ということなのですが、たしかに6・70年代はいちばんよかった頃で、児童書の初版が一万部だったそうです。福武書店がはじめた頃は初版が五千部で、それは徳間でも変わっていません。他の出版社では、今は三千部というところもあるそうですが、ここ十五年くらいでおちこんだという感じはしていません。
 本の好きな子というのは、いつの時代にもいて、いい本を出せば読んでくれるという信頼感はあります。60年代は、テレビのない家もあったし、勿論テレビゲームもなかったし、塾にいってる子も多くなかったと思います。娯楽が少ないから、あるいは情報を求めて、例えば虫図鑑とか機関車図鑑をひらくとかという形で、本を読んでいた子も多いでしょう。しかし今は、インターネットに百科事典もはいっていますし、毎日忙しいし、本を読む子の全体数は減ってきているかもしれません。でも、物語が大好きでたくさん読む子は、いまでもあまり減ったという気はしません。おもしろいものがあることを知らせれば、もっと売れるようになるかな、と。「ハリー・ポッター」などはそれで成功した例でしょう。

 おもしろいエピソードとして、10年程前、あるゲームソフト会社の社長と話をした時ですが、現場の若いクリエーターが『アーサー王伝説』も『指輪物語』も読んだことがないというのです。マゴビキでどこかのゲームで知ったことを、自分の物語に応用してスクリプトを書いてくる。しかし、そういうことをしていると、だんだん話が痩せてくるのが心配で、それでその社長はみんなに『指輪物語』を読ませているっていうんです。おもしろいと思いました。
 『指輪物語』は、読んでいると筋には直接関係ないムダとおもえる部分があるのですが、それをはぶくとおっこちるものがあるというんです。それを拾っていかないと…。それが文学なのではないかという話で、納得がいきました。
 そのムダのような、あってもなくてもいいような部分が読みづらくて、挫折する子どももいるでしょうが、「ハリー・ポッター」は比較的それがない。だからたくさんの子どもが読めるのかもしれません。どのへんがちょうどよいところかというのはむずかしいですが、そういう意味で、あまり骨組だけにならず、かつスピード感のある本が欲しいと思います。
 現代ということをあまり語ったことにならないかもしれませんが、これで終わりにしたいと思います。(テキストファイル化塩野裕子)