六十年代を考える
児童文学が理想主義の文学かどうかはいずれにしても、人間が本来持たざるをえない希望を、子どもたちに与えようとつとめる文学であることはまちがいないと思う。ところで、わたしたち大人としての常識で、過ぎ去ったばかりの六十年代を考えたとき、この十年は、よりよい未来への展望を与えてくれたか、それとも滅亡の影を実感させただろうか?すくなくとも、私には、公害、戦争、国家のエゴなど、人間の一種不可避的滅亡への歩みをまざまざと見せつけられた十年であった。だから六十年代の児童文学を考えるとき、私は、それを、絶望の影が濃くなりつつある時代に、大人は子どもにどんな根拠でどんな明日への希望を語りえたのかという問いを前提にしてしか論ずることができない。
それを前提として、理想の児童文学作品をさぐろうとするとき、一つの私的なエピソードが、どうしても頭にひっかかる。先日、ある子どもが『トンカチと花将軍』(舟崎克彦・靖子、福音館、一九七一)を読んで「お話の中にすっぽり入って楽しめる。こういう本は二年に一つあるかないかだ」といっていたことである。この作品について、私はすでに一九七一年六月に、『読売新聞』月評で、『トンカチ花将軍』を、「時流にまったくこびない闊達な創作態度の故に推す気にはならない。のびのびとした想像の世界の展開、おかしさの感覚、生来のものを思わせる物語世界の創造はたいへんに結構だが、結局なにがかけたのかが、私には疑問としてつよくのこっている」と評したことがある。この意見を含む月評全体で、私は児童文学のテーマ主義を批判したので、今江祥智や上野瞭から、矛盾ではないかといわれた。だが、半年以上たった今(一九七二年二月)、改めてこの作品の筋を思い出そうとしても(年齢による記憶のおとろえを考慮に入れても)、すべてがあいまいで、くっきりした印象を残した個所がない。私は、だから、今も、自分の意見を変えようとは思わない。
だが、物語の世界に、読者をひきこみきるという、最高の魅力を持つ作品が、六〇年代にいくつあったか。そして、テーマなど考えず、自由にかいていると思われる。『トンカチ』が、ある子どもをその世界に没入させる力を持っているのはなぜか――これは、私にとって、真の児童文学とはなにか考える重要ないとぐちである。
以上、二つの疑問――つまり、六〇年代の大人は、子どもに向かって、どんな明日を語ったか、あるいは、語らなかったか、及び、『トンカチ』についてのエピソード――を軸に、六〇年代の児童文学を考えてみたい。
一、『赤とんぼの空』と『赤毛のポチ』、『とべたら本こ』
――子どもへのアプローチ
長編の児童文学は、一九五九年頃から急速にのびはじめたが、この時期、もっとも旺盛な創作活動を見せた一人は、『赤とんぼの空』(理論社、一九六〇)、『夕やけ学校』(理論社、一九六一)、『笑う山脈』(講談社、一九六三)その他を発表した花岡大学であろう。
この時期の彼の作品は、すべて出生地吉野の山村を舞台にしているから、『赤とんぼの空』の主人公順も吉野の子どもである。彼は成績がクラス一で五年の委員だが、きらいなのがお屋敷の光一郎、好きだけれども、意地悪くあたるのがたみ子である。光一郎は学校への寄付の力で四年までクラス委員だったが、井上先生に変ってからひいきがなくなり、順にとってかわられて、順を白眼で見るようになる。たみ子は、戦後のヤミ商売でのしあがった暴力団まがいの土建屋の娘で、頭も気だてもよいのだが、父親のため、子どもたちから仲間はずれにされている。順は、たみ子のウサギが子どもを生んだときいて見に行き、たみ子といっしょにかわいがる。だが、ほしいかときかれて、ウサギは高いというたみ子のつぶやきをきいておこって帰り、あとで、ウサギの子がとどけられても、受けとらず、自分の力で手に入れる決心をする。たみ子との仲は、そんなぐあいである。
光一郎との仲については、困ったことがおこる。姉のしずえが、光一郎の母の弟と結婚することになるのである。二人の仲はぎこちないが、あるとき、たみ子が父と共にトラックで事故に会ってけがをし、そのたみ子を光一郎がしげしげと見舞ったことを知ってから、かたい友情に結ばれるようになり、話は終る。今は、あまり話題にはならないが、この作品は、いろいろな意味で興味深い。花岡は、この作品のあとがきで、
「わたしの書くものが、つねに吉野という風土にしばられてそこからでられずにいるということを(この作品もその一つですが)非常にあまいとお考えになる方があるにちがいないと思いますが、しかし日々の感動がこの坂道からみえる眺望の底の、太古の歴史にまでつながる『なにか』によりかかっているかぎり、こいつはどうにもならないことだとわたしは簡単に自分を是認しているばかりでなく、むしろそういう現実を、わたしが風土に心ゆさぶられているごとく、風土がわたしをこよなき愛情でこっぽりつつみこんでいてくれるからだとさえうけとっております。」
とのべている。
この作品は、吉野の山深い自然の中に生きる小学生の心理と行動をきめこまかに追うだけの、ほとんど事件らしい事件もない物語だが、少年の日常の成長の中に、過去、現在、未来につながる人間の真実があると信じ、それを子どもたちに伝えようとした花岡の努力の結晶である。それは、硫黄泉の水を子どもたちの協力で風呂桶にくんで、神経痛の老婆のために風呂をたててやるような、愛と思いやりのエピソードをつづった『夕やけ学校』を読んでもあきらかである。
作者自身が強調するように、彼の作品すべては、放歌的と誤解されそうな山村を舞台にしている。この点に、私たちは留意しなくてはならない。彼は、しきたり、人情その他が連綿とつづいた小さな地域社会の人間の動きをえがくことにより、文明の産物が充満しめまぐるしく変化する都会を暗に批判した。そして、この都会批判は、花岡だけではなく、宮崎県の山村の子どもたちをあつかった比江島重孝の『かっぱ小僧』(理論社、一九六〇)にも底流として存在している。
つまり、この時期の何人かの作家たちには、急速な変化とは別な、ゆるがないプリンシプルがありえたのである。子どもたちに自信をもって提出できる<価値あるもの>があったのである。この確信は六〇年代の初期の作品全体に感じとれる。この時期の代表的な作品ともいうべき『赤毛のポチ』(山中恒、理論社、一九六〇)にもたしかにそれがある。
『赤とんぼの空』について興味ある第二の点は、児童像と物語の構成である。主人公順は、あらすじでもふれたごとく、たみ子に内心深い関心を持っているが、友人たちへの対面上それを表面に出せない。委員会後、同じ道を前後して帰ると、友人たちが「こどもの夫婦」とはやす。たみ子が赤くなってにげるように帰っていく姿が、順にはあわれに思える。
「おれは、そのうしろすがたをみながら、内心、ちょっとかわいそうやなと、思うておる。ところが、おれというやつは、どこまで卑怯にできているのやろか。/おれというやつは、人間のくずだ。/なんでかというたら、おれは内心で、そないに思いながらも、口の方は、まるで反対に、(あいつ、かってに、おれのけつ、ついてきやがったんや。こどものくせに、えらいませてけつかって、やっぱし、おやじとおんなしことで、どだいいやらしいやっちゃ)」(九五ページ)
などと言ってしまう。男の子の心の動きがやや平凡にだが、いつわらずに納得いくリアリティを持って追究されている。だから、彼の作品は、石井桃子等の『子どもと文学』などの主張のように、子どもを知ってそれを表現した作品の部類に数えられてよいはずだが、むしろ一般には逆の部類と考えられている。その理由は、多分構成にあるだろう。花岡の作品を再読して、あらためて気づくことは、彼の長編が、じつは、短編的骨格をもつエピソードの連続であり、あらすじがじつに書きづらいことである。主人公は、各エピソードで、その行動と心理両面から立体的に把握されているが、全体を通してながめると、その成長は、育ちゆく一個の人格であるより、処世訓ないしは作者の人生哲学の伝達者といった役割を背負わされてあらわれている。
山中恒の『赤毛のポチ』は、花岡の作品よりも、場面場面での子ども像の把握は不器用かもしれない。主人公カッコは、金持ちの息子に飼犬ポチをとられ、とりかえそうとして金持ちの家出入りの男に「山ザル!」とののしられ、つきとばされる。そして、いったんもどったポチがまた金持ちにひきとられたとき、先生のさそいでポチを見にいくことにする。だが、
「赤れんがの検査場の倉庫のかどをまがると、すぐ館田の家が見えた。/とたんにカッコは、はたと、たちどまった。たった今カッコたちとすれちがった男。
<……山ザル……山ザル!>
『どうしたの?』
先生はふしぎそうな顔をして、カッコの顔をのぞきこんだ。
『先生、わっし、帰る!』
『どうして?』
『……』
『だって、せっかく、そばまできたんじゃないの……。それに、あんたがおみまいにいったら、館田さんだってよろこぶわよ……』
『でも……』
『でも、なーに?』
『わっし、……金持ちって大きらい!』(六六ページ)
その心の動きはてきぱきしてはいないし、どこかぎこちない。だが、迷いこんで来たポチが、館田のカロチンにとられ、それをとりかえし、またとられするやりとりの中で、金持ちと貧乏人の立場、社会の構造、個人個人の生活の重みが徐々にえがかれていくこの作品では、こうしたぎこちない引用部分はつぎめなく連携しあい、一人の少女像を血のかよった人間に仕上げていく。出来事の展開が必然的に人物をえがきだしていく方法が、ここでほとんどはじめてでき上がったのである。『赤毛のポチ』が、戦後児童文学の一つの大きな成果であり、エポック・メイキングな作品であることは、『かっぱ小僧』、『赤とんぼの空』など、同時期の作品と、児童像を比較しただけでもはっきりとわかる。そして、カッコの生活を追う過程で、被搾取階級の立場と団結の必要が、実感としてえがかれ、スローガンではない説得力をもったところに、さらにこれをすぐれた作品にした魅力がある。『赤毛のポチ』が悪達者な少女小説にも、テーマ主義の観念童話にも堕さなかった背後には、労働者階級の実力を背景とした現状打破の方法と思想への確信があった。そして、山中とは別種だが、花岡大学にも、比江島重孝にも、また『はだかっこ』によって、生きぬく孤児をえがいた近等健にも、自らの信条への、そして未来への確信があった。この確信を、私は、一九五〇年代の後半から六〇年代のはじめ、安保闘争後にまでみとめている。
テキストファイル化松本安由美