『現代日本の児童文学』(神宮輝夫 評論社 1974)


戦後児童文学への一考察

1、現在の児童像

 幼年向きの文学につづいて、再び後藤竜二を最初にとりあげるが、彼の最新作に『風にのる海賊たち』(講談社、1973)がある。私はここで、この作品の出来を問題にするつもりはない。とりあげたいのはここに登場する子どもたちである。舞台は閉山後一年の北海道のある町。ドリの家は、閉山のしばらく前に炭住の長屋を抜けて家を新築した。そのため閉山後は、母親が飲み屋に働きに出、父親は別の炭鉱へ移って、労働量と反比例してかせぎがへったため、酒におぼれ、家庭は崩壊状態にある。ゴンの家は、坑夫長屋だが、母親が音別市のわりばし工場に働きに出て三日に一度しか帰らない。父親は炭鉱事故でガス中毒になり、今も病院に入ったきりである。
 ヨッチは、両親が出かせぎに出て、祖母と暮しているが、祖母は気が狂ったようになっている。キヨシは、やはり父親を炭鉱事故で失い、母親と妹の三人で東京へ移住しているのだが、母親の教育ママへの変貌や、受験地獄などにつかれ、家出という形で物語の舞台に登場する。
 彼らは、かつては、坑夫長屋の子ども会である海賊団の仲間であり、学校でも生徒会活動などをやっていたらしいことがわかるように書かれている。そして、閉山後一年、それぞれが悲惨な状態に追いこまれて再会する。物語は、最後まで、彼らの現状からの早急な脱出の光を投げかけることはしない。ミキオは炭鉱町へ来ても、東京での生活が変わるわけではない。ドリの家庭事情も巻末まで好転はしない。
 ただ曙光がささないわけではない。長屋に住んで職場や地域の闘争に腰をすえて取組む堺さんという青年がいる。「まけんなよ。」と教え子たちをはげましながら転勤していった中学教師ゴロさんもいる。父母を叱責したドリも「ちゃんとしてるとこがちゃんとしてれば、やっぱり、いつか、きっと、ちゃんとするんじゃないか。」と思いはじめる。ミキオはかつての仲間たちの中にいるうちに、母親も連れてくればよかったと思い「あわただしいばかりの知らない町でおろおろして、うそっぱちばかりいってるから、だから、なにか、ほんとのことまでわすれてしまって」云々と述懐するに至る。
 これが作者の未来像の直接的な表現ではないにしても、未来の手さぐりが主題であり結末であると、私は考えている。後藤には二年前(1971)に中学生群像を扱った『おれたちのきょう』がある。この作品で受験教育体制、人間不在の管理社会からドロップ・アウトしたか、させられた中学生たちは、明瞭な方法と目的意識を持って迷いと停滞を脱し本能的反抗を意識的反抗の次元に高めていた。『風にのる・・・』は(作品のリアリティを考慮せず、表面だけを追った場合)、その線から後退している。
 後藤の作品にあらわれる、子どもと現実との関係は、濃淡はあっても、多くの他の作家
にも見ることができる。そして、これを、1961、2年の諸作にくらべると、暗転ぶり
の激しさにおどろかされる。1960年の『コロポックルの橋』(森一歩)でも子どもを取りまく環境は苛酷である。北海道の深い山間部での開拓部落が舞台だから、ポンプ井戸どころかつるべ井戸もなく、川には橋一つない。そのため、子どもが病気になっても、すぐには医者にも行けない。そして、最後には、主人公の少年の身代りになって愛犬コポが溺死し、その美談が実って橋がかかるようになる。最後の言葉は「そう、こういう悲しいことも、何度もがまんして、ふみこえて、ぼくたちは、だんだんと強く立派に成長して行くんだ。」である。『かっぱ小僧』、『風と花の輪』、『とべたら本こ』等々、この時期のほとんどあらゆる作品は、いかなる劣悪な環境にあっても、子どもたちは、自らの本能的な健康さを維持し、自らの生活の中から大人や社会への批判の目を育て、成長していく姿として把握されていた。
 日本の児童文学の来し方行く末を考えるとき、私たちは、この12、3年の間の児童像の急激な変化を、その分析の基礎に置かねばならないと思う。なぜなら、作品にあらわれた児童像とは、すぐれた作品の場合には現実の子どもや近い将来の子どもでありえると同時に、それはかならずいつも、大人の児童観・人間観の投影にほかならないからである。

2、物質主義的傾向

 『コロポックルの橋』のころの児童文学作家たちは、それでは、作中の子どもを通じて、何を考え、何を語り、どんな理想をえがこうとしていたのだろうか。1961年に出版されて日本児童文学者協会賞を受賞し、映画化もされて好評だった早船ちよの『キューポラのある街』を例にとろう。主人公は中学生のジュンであり、副主人公に弟のタカユキ、父母、おばなどが登場する。父は小さな鋳物工場につとめる昔気質の職工、おばの夫は李ライン侵犯が理由で朝鮮に抑留されている。ジュンは成績が良く、県立第一高校を志願しているが、弟の問題で町の不良と渡り合うような度胸もある。
 ジュンについての主なドラマは、父が失職して高校へ行けなくなりそうになって、失望、嫉妬などの心の苦しみを経過するところである。タカユキがグレるのも、やはり一家の経済問題である。結末は、父の就職、ジュンの就職と定時制進学で一家に笑いがもどるということになっている。端的に言ってしまえば、問題の根元は貧困である。そして、解決は、第一に貧困の生まれる原因の把握の上にそれと闘う姿勢と意志と生きる心のあり方であり、それと関連した善意と連帯である。文体と素材はちがうが、これとほぼ同じ問題や解決のいとぐちを、1962年の『あり子の記』(香山美子)にもみいだすことができる。いや、それどころか、やはり1962年に木暮正夫がかいた『ドブネズミ色の町』、63年の『破れ穴から出発だ』(北畠八穂)、67年の『宿題ひきうけ株式会社』などをへて今にまでつながっている。
 言葉は必ずしも妥当ではないだろうが、私はこの流れを戦後児童文学の物質主義的傾向と考えている。そして、この傾向が生まれた原因を平和憲法に象徴される民主主義と、荒廃と復興だと考える。
 平和憲法は世界人民のたゆまない努力の成果の一つであることは自明のことであるが、日本国の中での闘争によって獲得されるよりはやく、敗戦によって与えられたことも事実であった。だから、戦後の民主主義を守るたたかいは、平和憲法のなしくずしの解体に対するたたかいであり、それは政治次元での具体的な闘争になり、精神の自覚を深める運動は後手にまわった。それは児童文学にえがかれる場合もほぼおなじであったといえる。
 そして、敗戦後の経済的荒廃がある。敗戦後、かなり長期にわたって復興や再建という言葉が使われた。それには経済的という面ばかりでなく精神面の復興、再建があったわけだが、重税、反動化政策、福祉無視の政策など、われわれは経済面できびしく収奪された。だから、貧困からの脱出は、そのまま民主主義を守るたたかいでもあった。だから、児童文学が、貧困の実態をえがき、それからの脱出のたたかいをえがくことも、必然の成りゆきであり、いきおい具体的、即物的になっていったのである。
 この傾向には光と影の両面がある。光の面は、この傾向によって、明治以来ほとんどはじめて、現実の中の子どもが把握されたことである。戦前の子どものための作品でリアリズムといわれるものも、必ず生活の一面の把握でしかなく、家庭内での人間関係、社会とのつながり、経済、政治の子どもへの影響の中での子ども像をつかむことはなかった。戦後のリアリズムが、日本では初めて、その方法を獲得したのである。だが影の部分も多い。 影の一つは、つぎつぎにおこってくる現象にばかり目を向け、現象の解釈と批判と対処の仕方を主人公を通じてえがく定型が生まれたことである。李ラインが話題になれば、それを素材にした物語が、アルジェリア独立がニュースとなって世界をかけめぐれば、すぐにそれがテーマになる小説がといった流行買いは今日に至るまで続いている。それどころか、この定型にのって、環境汚染、自然破壊という深刻な問題がいとも気軽に量産されている。また、民話の再話及び民話風創作が庶民の英雄の超人的・魔術的力量によって庶民の幸福をもたらす形のものが多いこと、歴史小説に武家の暴力に対する民衆の一揆的立ち上がりが多いことも、根本的には、リアリズムに根をはやしてしまった定型に由来する。 この定型の欠点はニ、三数えることができよう。私は、フィクションというものは、個から全体に向かうものと考えている。ところが戦後のリアリズムは、個性のある人間にふりかかる、これまた個性ある現象を画一的な法則にあてはめ、個性を切りおとしてきた。だから、子どもの現実をえがくものは煎じつめれば<いかにして喰うか>にまとめられ、民話はその娯楽性を失い、歴史小説は時代の感覚をなくして歴史教科書的知識伝達プラス・スローガンになっている。
 児童文学も<文学>である以上、すぐれた文学が時代を先取するように、児童像や子どもをとりまく環境などに関して先取的な特質を示すことができるはずだと思う。だが、絶えず目前の現象を追う定型は、はじめからその特質を放棄してしまっている。戦後の児童文学の、特にリアリズム系列のものの多くが、数年を出ずに色あせ忘れられていくのは、主にここに理由があるのではないだろうか。
 だが、リアリズム定型のもっとも大きな影は、それが空想的な作品を生む障害になったということである。
 リアリズムの定型の底には、くりかえすが、いかに喰うかが横たわっている。敗戦後数年間は、この命題が前面に圧倒的な問題として出てくることは、いわばやむを得ないことであった。そして、それは今でも積極的・進歩的な命題ではあるのだが、戦後初期に欠落していた心の問題は現在に至るまで忘れてしまっている。
 現在、空想的な作品が子どもに不可欠であることを疑う人はいない。そして、才気ある着想が光る絵本、なんとか童子、かんとか小僧といった一種超自然な存在を創造する、いわば楽しい遊びに教訓を付加した空想は大繁栄を来している。しかし、時代の精神を表現し、人々と子ども双方になにかを考えさせ、あるいは精神の地平線を拡大させてくれる空想はほとんどあらわれない。そして、もし児童文学が、結局するところ<いかにして喰うか>に終始するならば、小手先の空想しか生まないだろう。空想的なフィクションとは、現象の帰結するところを直感的に先取することであり、喰って生きることを意義あらしめるものの表現にほかならないからである。私は、あいまいで把握しにくいものに奥深さがあるなどといわないが、現在日本で創作されている空想の物語は<いかに喰うか>の次元で理解できる卑俗なものがあまりに多すぎる。日本でいわゆるファンタジーが順調に育たないのは、才能、伝統、民族的想像力以前の、児童文学の体質にあると思う。
テキストファイル化中島千尋