『児童文学の中の子ども』(神宮輝夫 NHKブックス 1974)


児童文学の中の子ども

まえがき

 1969年、私はNHKの「女性手帳」という番組でお話したことをもとに、翌70年に『童話への招待』を出版した。この本は童話とよばれる子どもの文学の一分野を、歴史的な面と民族的な面から説明しようと意図していた。まとめていくうちに、児童文学がはっきりと変わりつつある事実を確認し、現在の児童文学の変化の原因と意味を追究したい気持ちがわいた。直接のきっかけは、1969年10月のNHK婦人学級「風土と人間」の二回目「こども」での話し合いである。これは子どもの遊び、昔話などに対する環境の影響をたどったもので、児童文学の分野では、子どもの理想像の変化がとりあげられた。
 児童文学史上で、子ども観がもっとも大きく変わったのは、十八世紀と十九世紀の境あたりからである。十八世紀末まで、子どもは生まれたときはほとんど無の状態であるので、教え導き、よい人間に育てていかなくてはならないと考えられていた。その考えをまったく変えたのが、ロマン主義の文学者たちで、彼らは、人間は生まれたときがもっとも神に近いと考えた。この考えは徐々に作品にも反映され、すばらしいものを持つとされる子どもたちの心の中がつぎつぎえがかれていった。子どもの方が大人よりもすぐれたものを持つという考えは、その後長いあいだ児童文学の根幹をつくる思想となった。
 ところが、1960年代の中頃から、イギリスをはじめ、あちこちの国々で、児童文学に登場する子どもの姿が変わってきた。あまり元気はつらつとしていない、そして誠実な努力の結果、必ずしも幸福をつかむことのない子どもたちがあらわれてきた。
 空想が主になる作品も、しだいに変わっていった。一口にいえば、明るく楽しい話が、重く深く真剣なものになってきた。そして、幼い読者のための絵本までが、一見ぎょっとするようなものに変わった。
 この変化を象徴するものは、やはり子ども像の変化だと私は考えている。その変化は、十八世紀から十九世紀にうつったときに匹敵する大きなものではないかと思う。この本は、その変化を、リアリスティックな作品、空想的な作品、絵本の三分野を中心に作品に即してのべたものである。
 とりあげた作品は、主に私の研究対象であるイギリスとアメリカと日本の作品である。他の国々、たとえばドイツ、フランス、ソビエトなどにはほとんどふれていない。知識のとぼしい領域にふみこんで大きな誤りをおかさないための限定である。
 とりあげた翻訳作品には、今までに私の訳したものが多いが、これは故意にそうしたわけではない。私は、今までの変化を示すと考えた作品を選択して訳してきた。研究と翻訳が、一つの目的の二つの顔であるにすぎないことを、御理解いただければ幸いである。
 子ども像の変化について、空想の変貌について、絵本の拡大発展について、それぞれ、私なりの解釈をしてみたつもりでいるが、こうした状況に対する意見は、だれしも気づき、それぞれの立場から発言するので、無意識のうちに人から教えられたものがはいっているかもしれない。そして、一つはっきりと教えられたのは、本文中で二、三個所に引用しているアメリカの評論家セルマ・G・レインズの絵本の変化に対する見解である。1930年代の絵本と、現在の絵本のちがいをしめくくる言葉に迷って、彼女の『うさぎの穴を下って』にあたったとき、適切な言葉にぶつかり、それにヒントをえて論の筋を組み立てた。この本は、1971年に出版されたものだが、アメリカのファンタジーに関する説が、その一年前に出版した拙著『童話への招待』と暗合していた。変化に対するアプローチの方向が似ていると思い、ヒントを得てもさほど独自性が失われることもないと考えて、あえて知恵を借りることにした。
 この本をまとめるにあたり、前回同様編集部の佐藤鐐二氏には一方ならぬ御世話をいただき、感謝にたえない。絵の使用を寛容におゆるしいただいた画家、出版社の方々にもあつくお礼申しあげます。

1974年11月

神宮輝夫
(テキストファイル化塩野裕子)