まえがき
日本では、明治以来、世界の子どもの本の翻訳と紹介がひじょうに活発に行なわれ、世界のめぼしい作品の多くが、子どもたちにあたえられてきた。そして、第二次世界大戦後は、外国の児童文学の研究も、ある程度組織的に行なわれるようになり、いくつかのすぐれた成果も生まれている。この本も、外国の児童文学のかんたんな歴史と現状の案内を目的として企画されたものである。
児童文学が世界中でもっとも発達しているのはイギリスであろう。イギリスの児童文学は、現在も、量質ともに世界一をほこっている。だから、世界の児童文学の発展の歴史を見る場合、イギリスの児童文学の発達過程が、もっともよい手本になる。
それで、この本もイギリスの児童文学の歴史を中心に、それと密接につながりあって発達してきたアメリカ、フランス、ドイツなどの児童文学について述べている。もちろん、あつかう国々が多く、時代も長いので、ひとつひとつの作品について、深くふれることはできなかったし、作品数も多いので、思いきって選択しなくてはならなかった。
個々の作品の選択とは別に、ほとんどここであつかわなかったものに、絵本とノン・フィクションがある。絵本やさし絵の重要なことはいうまでもないし、ノン・フィクションが現在、子どもたちにひじょうに読まれていることも事実であるが、世界の子どもの本の全分野にわたっての案内をつくるとすれば、限られた紙数の中では、作品リスト以外のなにものもできないと思われたので、時折ふれるほかは、フィクションにかぎった。
つぎに、作品の評価であるが、「案内」という本の性質上、できるかぎり客観的な評価を心がけたつもりである。
イギリスの児童文学史にはハーヴェイ・ダートンの「イギリスの子どもの本」があり、そのくわしい考証と堅実な論理で名著のほまれが高く、現在、イギリスの児童文学を語る場合には、必読の書となっている。しかし、この本は二十世紀については、ほとんどふれていないため、マジェリー・フィッシャーの「読書の目的」や、マーカス・クラウチの「たからさがしの子どもたちと借りぐらしの小人たち」などが出て、その後をつごうとしている。フランスには、これも名著のほまれ高いポール・アザールの「本・子ども・大人」があり、アメリカには大著「批評的児童文学史」がある。この案内の作品評価には、こうした定評ある評論や紹介書などにできるだけあたり、原書や訳書などで知りえたものについては、じぶんの感想とつきあわせた上で妥当と考えられる評価を心がけた。中には、先にあげた本の評価を、ほとんどそのまま使った場合もある。また十九世紀までの流れの輪かくはダートンに準じている。
従来、児童文学、特に外国のものの歴史と現状を書く場合には、十九世紀までは比較的くわしく、二十世紀は瞥見程度のものが多かった。十九世紀までは評価が定まっており、二十世紀はまだ動いているので、そうなることも当然だが、現在、日本では、外国の新作品が、数多く紹介されているので、この本ではできるだけ、新しいものを紹介しようとつとめた。そのため十九世紀までと二十世紀の比が五分五分となり、古いものについて十分にかくことができなかった。そして、新しいものは数が多いので、これもまたくわしくふれられないことになり、全体が当初の意図に反して、底のあさいものになったことはいなめない。その上、あたらしい作品の中に、年代の不明なものが数点あり、巻末のリストに加えられなかった。
筆者は、主にイギリス、アメリカの児童文学の研究に従事しているので、ドイツ、フランスをはじめとするヨーロッパ各国の児童文学については、イギリス、アメリカ経由の知識や、日本の研究成果に学ぶところが多かった。日本における研究成果については、フランス文学の那須辰造、塚原亮一の両氏、ドイツ文学の植田敏郎、大塚勇三の両氏、北欧・南欧文学の矢崎源九郎氏、イタリア文学の安藤美紀夫氏、北欧文学の山室静氏、ロシア・ソビエト文学の福井研介氏、世界の児童文学の瀬田貞二氏などの諸論文を参考させていただいた。以上の方々に厚くお礼を申しあげます。
この本が、多少なりとも、外国児童文学を知る上で、参考になれば、筆者にとって、これ以上のさいわいはない。
なお、この本ができるにあたっては、理論社の小宮山社長と渡辺金五郎氏に一方ならぬお世話になりました。お二人の超人的な忍耐と激励がなかったら、この本はとうてい書けなかったでしょう。厚く御礼申しあげます。
1963年9月
神宮輝夫
テキストファイル化塩野裕子