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【絵本】
『おばあちゃんは木になった』(大西暢夫 ポプラ社 2002)
ダム建設のために消えゆく村。すぐに引っ越した人もいたが、沈むまでちっとでも長く暮らしたいと、戻ってきた年寄りたち。10年間、大西のカメラがそれを記録と記憶に留めていったのが、この写真絵本。
戻ってきたジジババの暮らしが大西の写真と言葉で伝えられていく。そこに新たな言葉を加える必要があるとは思わない。
残された時間を普通に生きている彼らの姿を笑顔で眺めるだけでいい。
この作品の場合、モノクロ写真がいいのはやはりそうなのだが、カラーのもいいのが嬉しい。表紙にもなっているはつよさんの写真を観ればそれはわかるだろう。感傷を排し、かといって記録写真のようでなく、大西の記憶に残った姿がそのまま撮されている。
都会で生きる子どもたちに、こうした自然の中で生きる人々の姿のすばらしさを伝えたい、なんて姿勢でこの絵本を手渡して欲しくない。(hico)
『わたしのもみじ』(岩間史朗 ポプラ社 2001)
これは去年の作品ですが、読み落としてました。
写真絵本。いいです。
作り手の岩間が惚れた一本のもみじの木を撮り続けたわけです。
一本の木に惚れるとは、その下で佇むや、その木を抱きしめることですが、それは「わたし」の時間を遙かに超えた木の時間に、自分を任せる行為。
それにハマッた岩間の気持ちが、ページページに溢れています。
写真絵本ではなく写真集でも良かった?
と考えてみたら、やっぱりそれではダメで、写真絵本だから、この「気持ち」は伝わるのです。
写真集は、自分の仕事を纏め、整理して差し出す物ですが、写真絵本はそうしたレベルでの作業ではなく、撮った写真との対話から始まります。それを反芻することで、仕上がるのね。
しかしこの「自然 いのち ひと」の写真絵本シリーズのクオリティは高いです。もっとも、「自然 いのち ひと」ってネーミングは、どうかと思うけど。(hico)
『ちいさい おおきな 女の子』(ウーリー・オルレブ:文 ジャッキー・グライヒ:絵 もたいなつう:訳 講談社 1997/2002)
子どもが子どもだって思い知らされることってたくさんあるけど、「ちいさい」もその一つ。というか、大人から見るとちいさい子どもから見ると大人は哀しいほど大きい。
この絵本はね、そんな気持ちで一杯のダニエラのお話です。
大きい大人たちから見下ろされる、で、かわいいと思われる屈辱。
ある日目覚めると彼女、両親より大きくなっていた。
そこでさっそく着替えから歯磨きから食事まで、両親を指導教育。
とっても気持ちいい。けれど、それはやっぱり無理な話。
彼女が受け入れるのは、あかちゃんより大きいけどおとうさんやおかあさんよりちいさいこと。
当たり前なんですが、この当たり前を納得できるかどうか。この絵本では、自分の方が大きくなった夢を見ることで、彼女は解放されるのですが、そうでないと、子どもにとって子どもであることはシンドイこととなる。現実ではこうはいきませんが、フィクションの強みはココ。
その辺りの子どもの気持ちを、この絵本は巧く伝えています。(hico)
『だれをのせるの、ユニコーン?』(エイドリアン・ミッチェル:文 スティーブン・ランバート:絵 おかだよしえ:訳 評論社 1999/2002)
誰かに毒殺されるのではと恐れている王様は大臣からユニコーンの角でつくったカップがあれば大丈夫と助言。そしてユニコーンを捕まえるには「やさしい声の少女を使」う必要がある。孤児で名無しのゾエが選ばれる。王様の思惑も知れら彼女はユニコーンを呼び寄せることに。
昔話風の物語と幻想的な画がピタリとはまって、一つの世界をきちんと形作っています。
しかし、最後はゾエが滝の奥にあるユニコーンの世界で幸せに過ごします。昔話のように王様は罰せられることなく、名無しで孤児のゾエはユニコーンの世界へ移動します。物語は閉じているようでいて閉じていない。それは絵本として破綻しているということではなく、時代を反映しています。(hico)
『ほんとうのことを いってもいいの?』(パトリシア・C・マキサック:文 ジゼル・ポター:絵 ふくもとゆきこ:訳 BL出版 2000/2002)
リビーは嘘をついたことで母親にしかられる。これからは絶対本当のことを言うんだ!
でも・・・。
友だちの靴下に穴が開いていること、宿題を忘れた友達のことを先生に、と「ほんとう」なら何を言ってもいいと思い込んでしまいます。
この物語がいいのは、「うそ」も「ほんとう」もそのレベルではなく、コミュニケーションの問題として分かりやすく教えてくれること。
ノウハウ本に仕立ててあるのではありません。
リビーの誤解と不安が、言葉と画からまっすぐに伝わってきます。
ですから、今言ったようなこと考えずに(なら、書くなよ(^_0^;)、ただ読めば、読んであげればいいのです。(hico)
『びっくりポピー』(アンナ・ローラ・カントーネ:絵 アレッシィア・ガリッリ:文 大岡玲:訳 講談社 2001/2002)
「マルタは、あわてて つくられた まちに すんでいました」。何だそれ? ギュウギュウつめでノッポのビル群、狭い道。
ママの誕生日、花屋さんでお花を買えるお金はもってないマルタはポピーを土の付いたまま持って帰る。喜ぶママ。狭い庭に植えると、なにやら鳴き声が。
狭い町の狭い野原から摘んで来たそれにはコウロギがいて、仲間を離されて悲しんでいたのね。それで、コウロギを何とか捕まえて、野原に返してやります。今度はパパの誕生日、すいれんを水付きのまま、持って帰ってくるのですが・・・。
「せまいまち」って発想は、そう言われても具体的にはイメージできず、でもなんだかありそうな・・・というわけのわかんなさが、面白い。
画のちょっとしたコラージュなどの遊びと、勢いはかなりいいです。(hico)
『あたしクラリス・ビーン』(ローレンス・チャイルド:作 木坂涼:訳 フレーベル館 1999/2002)
『ぜったい たべないからね』の作者の新作。だから当然濃い!
家族は多いわ、客も多いわ、家は狭いわ、でもう、いきなりゴチャゴチャ。クラリスは弟といっしょの部屋。「おとうとは、かおが むらさきいろに なるまで ぶらさがっているのが すき」。わー、居そう。お姉ちゃんは自分だけの部屋を持っている。クラリスの相手なんかしてくれないし、男の子とことばっか。お兄ちゃんは「ししゅんき」で部屋に閉じこもりがち。てな具合に家族が紹介されていきます。
とにかくまあ、うるさいったらありゃしない! んです。
そのうるささから、家族もクラリスもどんな奴かがちゃんと立ってくる。
わー、またもややっかいなキャラを作ってくれました、チャイルドさんは。
ただし、ロゴをそのレイアウトをもう少し工夫して欲しい。せっかくはねている絵本なのに、そこだけベタ。絵本では文字も絵の一つですからね。(hico)
『つみきつんで もっと つんで』(土屋富士夫:作・絵 徳間書店 2002)
『もっちゃう もっちゃう もう もっちゃう』で登場した土屋の新作。
とにかく積み木がすきなしょうちゃんって子が、どんどんどんどん、どんどんどんどん、どんどんどんどん、積み木を積んでいくの。
ページを繰るごとに、高くタカーク。それがとっても気持ちいい。
この勢いの作り方は『もっちゃう もっちゃう もう もっちゃう』と同じだが、今回は上昇していくので、解放感は勝る。
宇宙まで積んで行くのだから。
この突き抜け方が、作者の持ち味であり強み。(hico)
『心をこめて 地雷ではなく花をください』(柳瀬房子:文 葉祥明:絵 自由国民社 2002)
『地雷ではなく花をください』(全4巻)のパート2。反地雷キャンペーン絵本。
うさぎのサニーちゃんが、アフガニスタンへ向かいます。
文章は日本語と英語が併記され、サニーちゃんがアフガンの歴史を文化を語っていきます。
地雷がどれほど埋まっているか、犠牲者はどうなったか。柳瀬は感情を交えず事実だけを語っていきます。そこに柔らかな葉祥明の画が置かれ、言葉で表される厳しい現実がそれによっていっそう際だってきます。
最後にアフガンの地雷問題の資料が載っていて、これはいいですね。
メッセージ絵本ですから、物語に溺れる楽しみはありません。むしろダサイです。でも、必要な絵本。
もちろん収益は全て地雷撲滅キャンペーンに活用されます。(hico)
『カモノハシくんは どこ?』(ジェラール・ステア:さく ウィリー・グラサウラ:え 河野万里子:やく 福音館 200/2002)
動物の学校に入ったカモノハシ。クチバシがあるグループだとか、先生が色んなグループ分けをしましが、どこに入ってもピタリと収まらない。ほ乳動物だけど卵で産まれてきたりね。
悲しんで学校を飛び出すカモノハシ。
そうしたグループ分けはやめようよってことになります。
一人一人が違っていいんだ、なんてメッセージにも聞こえますが、それより、どういう分け方をしたって、必ずどちらにも入れない存在が出てきてしまうことの方に目をやりたいですね。
ウィリー・グラサウラの画は基本的にはとてもリアリティに溢れ、同時にフィクションとしてしっかり立ってます。
最後のカモノハシの科学的説明は、物語から現実世界に戻してくれます。これ、好き嫌い別れるところでしょうね。(hico)
『あたまにつまった石ころが』(キャロル・オーティスト・ハースト:文 ジェイムズ・シティーブンソン:絵 千葉茂樹:訳 光村教育図書 2201/2002)
著者の父親をモデルとしたお話。
とにかく石が大好きで、彼は色んな石をずーっと集めています。
んなもの何の役に立つのかと問われても、それに答えはありません。好きなだけだから。
大人になりガソリンスタンドを開いてもまだ彼は石を集め、棚に展示しています。
彼の頭の中は石でいっぱい。
やがて大恐慌。仕事を失う彼。それでもやっぱり石を集めている。
やがてそれが彼を救うのですが、それはたまたまそうだっただけで、どうでもいいでしょう。
そうではなく、ただただ好きな物を愛でる気持ちのすごさ。それは内向的といえばそうですが、それでどうした? それでもいいではないか。
ということを伝えてくれてます。
これを、一つにことに打ち込めばやがてそれは報われる、なんて、「ええ話」に還元しないでくださるように。「ええ話」にしてしまうと、これは超保守絵本になってしまいます。
画は、コミックの良質部分を抽出したような感じで、絵本のタッチとは別物ですが、「これしかない」と思わせます。いいよ。(hico)
『ぼくは ぼくの ほんが すき』(アニタ・ジェラーム:作 おがわひとみ:訳 評論社 2002/2002)
子どもに本(フィクション)の面白さを伝える絵本。つまり本で本を批評するわけですから、この絵本はメタ絵本です。
「ぼく」はうさぎとして描かれます。
本はいろんな場所に連れて行ってくれるし、ライオンだってともだち。
水の中の生き物もとまだちになれる。
フィクションを言祝ぐ絵本とでも申しましょうか。
この絵本がいいのは、本(フィクション)を読むことが子どもにとっていいことだ、を描いているようでいて、実はその危険性も描いてしまっているところ。「危険性」を描いてますから、そこに溺れる楽しさも出ているわけ。
なんてこと、その画のノホホンさで、気にしないかもしれませんが、気にしてくださいね。(hico)
『オオカミクン』(グレゴワール・ソロタレフ:さく ほりうちもみこ:やく 1986/2002)
以前福武(現ベネッセ)から出ていた絵本がポプラで再登場。担当編集者は、福武でこの絵本を手がけた人というおまけエピソードも楽しい。
これはかなり無理というか無茶な設定からスタートします。
おおかみをいちども見たことないうさぎ。が、いてもいい。
うさぎをいちどもみ見たことのないおおかみ。が、いてもいい。
けど、うさぎを知らないちいさなおおかみのおじさんが、岩にぶつかって死んでしまい、とほうにくれたおおかみが、おおかみをみたことのないうさぎと知り合う、というのは希有ですね。
絵本だからOK? そういうことではなく、ソロタレフはうさぎとおおかみの出会いをどうしても仕掛けたかったのですね。
うさぎのトムはおおかみがうさぎを食べるらしいのを知っています。おおかみも知っています。
が、トムはこのちいさいおおかみと出会ってもちっともこわくない。
仲良しになる二匹。
なのですが、うさぎこわいごっこをしていてもおおかみくんは怖くないけど、おおかみこわいごっこのとき、トムは怖い・・・。
ふたりのズレ、違いはどうしたら解消できるのか?
違う二人の間に成立するのがコミュニケーションなのですが、デスコミュニケーションな時代に、子どもはもちろん大人にだって、心に入ってくる作品ですよ。(hico)
『こどもザイレン』(伊藤秀男 ポプラ社 2002)
こちらは1989年に童心社からでていたのの復刊。
すべてを子どもが仕切ってやる村祭りのお話。ああ、そんな祭りがあるのね。だったらそれまでですが、ここにあるのも子ども同士のコミュニケーション力。その年のオヤブンである年上の子どもが祭りを束ねて行きます。
こうした仕組みがそのまま、今の、例えば都会の子どもたちに使えるかは分かりませんが、こうした仕組みもあるってことだけでも知っておくのも大事。(hico)
『あちゃらさんと こちゃらさん』(すとうあさえ:作 前田まゆみ:絵 岩崎書店 2002)
あちゃらさんはあさがお作りがご自慢、こちゃらさんはオシロイバナがご自慢。子どもたちに声を掛け、夏はどっちの花が一番かを競います。
という段取りで、二つの花を愛でるだけでなくその遊び方までが伝授される仕組み。
今は知らない子が多いのでしょうね。
大人二人がもっとムキになっていった方が絵本としては面白かったと思いますね。(hico)
『オニヤンマ空へ』(最上一平:作 市居みか:絵 岩崎書店 2002)
夏、自然、オニヤンマ!
なんて陽気な話ではありません。
たけるの家ではお盆に墓参り。そのあとたけるはヤゴを捕まえます。
たけるには本当は妹がいたはずですが、産まれて7日で亡くなりました。
家で育てていたヤゴはなんとオニヤンマに!
自然の中ではなく、家の中で産まれたばかりのオニヤンマは何も知らない。7日で亡くなった妹のように。
たけるはオニヤンマを放しに、一人自然の中、ヤゴを捕まえた所へと向かいます。
市居の画は奔放で楽しい。
でも、このオニヤンマの話に、妹のエピソードはいらなかったと思います。
「夏、自然、オニヤンマ!」でいいはず。
そこにへんに物語を盛り込もうとしたのかな?(hico)
『のんびり森のかいすいよく』(かわきたりょうじ:作 みやざきひろかず:絵 岩崎書店 2002)
のんびり森のの動物たちはみんなのんびり楽しく暮らしています。特にのんびりなのはぞうさん。
との設定のシリーズ最新刊。
海水浴にでかけたみんななのですが、ぞうさんがあちこちのんびりするもので、海にたどり着いたのはもう夕方。
でも、寄り道もナカナカなもの。
というお話。
物語の意図は、大人の私には分かりますが、んんん〜、なんだか大人のいいわけを聞いているみたいです。
みやざきの画はおとなし過ぎます。本当はもっとソリッドに描けるでしょ。(hico)
『チミ』(鈴木タカオ ポプラ社 2002)
作者の伝えたいことは、ここにまんべんなく描かれています。「愛」。
この絵本で、「愛」の意味を作者は語りますし、それに異存はありません。
が、この絵本が設定している読者が低年齢の子どもなら、「愛」の意味以前に「愛」という言葉が分からないことが多いでしょう。
まず「愛」なる言葉について語る(描く)か、「愛」という言葉を使わず描くか。
どちらかの選択もあったと思います。
画は、3Dっぽいラインで面白です。
色遣いはもうすこし編集者がコメント(感想でいいです)してもいいのでは?(hico)
『ルラルさんのじてんしゃ』(いとうひろし:作 ポプラ社 2002)
この『ルラルさん』シリーズはほるぷからポプラ社に移行して続いてます。
よいしょ! する気はありませんが、おおきに、ポプラ社。
ルラルが良く晴れた日曜日に自転車で出かけます。すると色んな動物が乗せて、乗せて。
このシリーズはなごみ系ですが、今回も、ライオン、キリン、ウサギ、サル、ワニ、ブタ、カエル、カメ、カバなどなど、み〜んな乗せて坂道を上るルラルさんの一生懸命振りが、読者の頬をゆるませます。
上り詰めた坂道を一気に下り、池にサブン!
この解放感が、いいですね。
帰り道?
もちろんルラルさんはみんなを乗せて・・・・。
そうでなくちゃ。(hico)
『どんでんがえる』(ルイジ・デル・チン:文 フランチェスカ・グレーコ:絵 せきぐちともこ:訳 カワイ出版 2000/2002)
昔話パロディ風物語。
池にはかえるが一匹だけすんでいる。前には一杯いたのに。
というのは、王子様たちがやってきて、一匹のかえるを見つめ、キスするとお姫様に変わって、仲良く去っていくことが繰り返されたのですが、何故か、残った一匹の元にはなかなか王子様がやってこない、わけ。
が、待ったかいがあって、とうとう王子さまが、
の先は書けませんが、私たちの中に巣くっているパターンを見事に転倒してくれます。 これもありなんや、ってこと、子どもだって喜んでお話を聞くでしょうね。
日本語の活字を画にどう乗せていくかも、工夫されています。(hico)
『スティーナと嵐の日』(レーナ・アンデェション:作 佐伯愛子:訳 文化出版局 1988/2002)
スティーナは夏に島のおじいちゃんのところで過ごします。釣りをしたり海からの贈り物を拾ったり。
あらしの夜、危険なのに、「あらし」がどんなか知りたくて外へ出てしまうスティーナ。
彼女を捜すおじいちゃん。
といった日常とドラマが描かれていきます。
画はとても良い表情を描き取っています。二人の親密度をね。こうした絵本の力は、「親密感」というものを子ども読者にも分かるように、伝える点。言葉だけでは無理です。
あらしの夜なんですが、一読後のさわやかなこと。(hico)
『さみしがりやのドラゴンたち』(シェリー・ムー・トーマス:ぶん ジェニファー・プレカス:え 灰島かり:やく 評論社 2000/2002)
もりの奥に住んでいる3匹のドラゴン。城を守る勇敢な騎士。
で、どんなお話になります?
騎士が見張っているを森から泣き声なんかが聞こえてきて、出かけた騎士はこのドラゴンたちの世話をするの。「のぞがかわいた」「ねむれない」「うたをうたって」。
子守ですな〜。
そんな優しい騎士と、甘えん坊のドラゴンの心温まる、ユーモア絵本。(hico)
『まほうのマフラー』(あまんきみこ:さく マイケル・グレイニェツ:え ポプラ社 2002)
季節はずれですみません。
ぼくはおとうさんのみどりのマフラーをして学校へ通う。月曜日、大きな犬と出会っても怖くない。おとうさんのまほうのマフラーしてるから。火曜日友達と追いかけっこ。いつもはすぐに捕まるのに、今日は大丈夫。だっておとうさんのマフラーだから。
こうして段々勇気と力を得ていく「ぼく」。
ラストで明かされるマフラーの秘密。
切なくも暖かい絵本です(hico)
『マナティはやさしいともだち』『ぽっかぽか だいすき おさるさん』(福田幸広:写真・文 ポプラ社 2002)
この2作は福田自身が文も書いている。フィクションの入り込む余地はさしてなく、事実だけをキャプションのように写真に添えている。それがとてもいい。描かれる感動ももちろんフィクションではなく福田自身のそれだから、私たちも安心して身をゆだねてこの写真絵本を楽しむことができる。
写真がちゃんと語っていますもの。それ以上私が言うこともなし。(hico)
『ぼんぞうののぞきだま』(たかどのほうこ:ぶん さのようこ:え ポプラ社 2002)
いやー豪華な組み合わせですね。
昔話といえばいいのかユーモアたっぷりの人情話といえばいいのか。
たむきのぼんぞうはぬすっとなのですが、占いの研究をしていると村人にはいっていたのでした。そろそろ真っ当になりたいぶんぞうは盗んだものをあちこちに隠し、水晶玉で占ってあげるといい、なくした物の在処を当てていく。評判は評判を呼び、しこたまもうけたぼんぞうは、村を出るのですが・・・。
オチは笑わせて、ぼんぞうもちゃんと救っていまうす。そこがいい。(hico)
『ジョディのいんげんまめ』(マラキー・ドイル:ぶん ジュディス・アリボーン:え 山口文生:やく 評論社 1999/2002)
いんげんまめの種植えから収穫までを、描いた絵本。といっても科学絵本ではなく、その育ちを見守るジョディとそんなジョディを優しく見守る家族がホクホクと暖かく伝わってきます。
画は、見開き一枚絵ではなく、細かなカット一つ一つが物語っているのね。
あ〜、また野菜育てたくなるな〜。(hico)
『るーぱくんのおべんとう』(もりたかず アスラン書房 2002)
NPO法人KIDS企画の「心の絵本」シリーズの一冊。以前は個々の絵本のテーマを示すマークが表紙に付けられていて、読む前にテーマ指定しないで欲しい(作品にも失礼だし。特に絵本の場合表紙画にそんなのあっては困ってしまう)と思っていましたが今回からそれは表紙から帯に移動して、ひとまずホッ。帯を外せばいいのですから。
えんそくのお弁当の材料を買いにいくことになったるーぱくん。おぼえられないのでおかあさんが「う(はうめぼしの う)れ(はれんこんの れ)し(は しゅうまいの し)い(は いちごの い)な(は なしの な)」、「うれしいな」で覚えておけばいいと教えてくれるのですが、友達と花井sているうちにそれが「たのしみ」になり、おばさんとぶつかって「ごめんなさい」になりして、全然違う材料を買ってきてしまます。はてざて、遠足のお弁当はどうなりますか? ちょっと落語調のストーリーはほどよいユーモアでくすぐってくれます。でも、「るーぱ」って名前が謎。友達はカズマなのに?(hico)
『ほしずなのうた』(かわだあゆこ:さいわ えんどうともこ:え アスラン書房 2002)
同じシリーズ。帯に作者たちの名前が隠れてしまってます。
星砂の神話でしょうか。とてもきれいな話になっています。えんどうの画はもう少し色遣いを工夫して欲しいですが(もしかしたら制限があったのかもしれません。)、これから力強くなる可能性はあります。(hico)
『はなさかうさぎのポッポ』(はまちゆりこ:作・絵 ポプラ社 2002)
「ポッポのえほん」シリーズ一巻目。月からの妖精うさぎポッポは、雪のやんだ夜、やってきます。まだ新米花咲うさぎ。ピートの頼みで花を咲かせようとがんばるけれどうまくいかずに色々な石ころしかでてきません。しょんぼり・・・・。
ここからポッポをどう救うか。
落とし所がいいですね。(hico)
『ただいま!』(やすいすえこ:さく つちだよしはる:え岩崎書店 2002)
一つのパターンを繰り返し、その都度内容が変わっていく絵本。
うふふアパートにかえってきたこぶたくん、1ごうしつを開けて「ただいま!」。ひつじのおばあさんが迎えてくれます。2ごうしつでは、・・・。
これは読んできかせてあげるタイプなんでしょうが、次のページをめくる楽しさという点では自分で読んでもOK。
子どもは、みんなから受け入れられているという経験を一度はしておくのがいいですが、それの絵本版かな。(hico)
『ぼくがパンツをきらいなわけ』(磯みゆき ポプラ社 2002)
「きらいなわけ」シリーズ2作目。
おふろあがりがさいこうなのはパンツをはいていないからで、ママは早く履きなさいというけど、ネコも犬も履いてないもんね。はかない方がずっと気持ちいいもんね。
最後まではいてない「ぼく」でした。
この気持ち、特に男の子は実感でしょうね。(hico)
『おまるのがっちゃん』(しらいちか ポプラ社 2002)
たっくんのおまるのがっちゃん。でもやがて必要が無くなって、物置にしまわれ忘れられるがっちゃん・・・ですが、
これはお約束通りの展開。おまるに目を付けたのが、買い。
でも、こういう幸せ以外の展開も、ありだと思うな〜。(hico)
『しりとりえんそく』(矢玉四郎 ポプラ社 2002)
「頭がよくなるアソビをしよう! 文芸と美術がみごとに調和 右脳と左脳を同時に刺激」が、帯。背には「声をだして読もう」。
はい、もう帯からして、矢玉ワールドです。「あいうえほん」第3弾!
行きましょう。
「しりとりえんそく」
「くま」が「まど」から「どろ」なげた。
「ろぼっと」と「とけい」が「いす」のとりあい。
ってな調子です。
矢玉のイイ意味での強引さが笑いを誘い、言葉のリズムのおもしろさを伝えていきます。
しょーもないと思ったら思ったでいいのです。
しょうもなさの大切さがわかりますからね。(hico)
『ねずみくんのしりとり』(なかえよしお:作 上野紀子:絵 ポプラ社 2002)
お、しりとりが続きます。
「リりすさんのつみき」「きりんさんのマフラー」「らいおんさんのカメラ」「らくださんのぼうし」「しまうまさんのくつした」。
さすが、ロングセラー・シリーズ(16巻目)のしりとりです。ちゃんと、収まってますね。安定した世界に新しい素材(今回はしりとり)を置いているだけですから。ファンにはこれで充分。
どっちが好きか、お試しあれ。(hico)
『くまくまさんのがいこくりょこう』(中川ひろたかhttp://www.songrecords.com:ぶん はたこうしろう:え ポプラ社 2002)
くまさん一家の初めての海外旅行に出発するまでのてんやわんやな物語。
こういうのは本当に子どもと一緒にそのてんやわんや振りを楽しめばいいのです。
はたの画はそのために楽しさに溢れています。中川の文は、いかにもありそうなてんやわんやで、ニヤリ。オチも程よい加減。
あー楽しかった! でOKです。(hico)
『川の中で』(石渡みお:ぶん 宮本忠夫:え くもん出版 2002)
第2回2001年おはなしエンジェル子ども創作コンクール(日本児童文学者協会・日本児童文芸家協会主催)「幼児・小学生の部」最優秀作品の絵本化。作者は小4です。
サケが泳いできて語り手の石の周りをうろちょろ。その日から石は日記を付けることに。
から始まって、生み付けられたシャケの卵を守る石。卵から孵るサケの稚魚、やがて川を下って行ってしまい・・・。
小4にしては、なんてことではなく、良くできたストーリーです。作者は物語ることの楽しさとコツをすでに知っているようです。
興味深い新人の登場です。(hico)
『ぼくは弟とあるいた』(小林豊 岩崎書店 2002)
バルカン半島、戦火近づく村を逃れでぼくは弟を連れておじいちゃんのいる町まで向かう、その途次を描いた絵本。
ぎゅうぎゅう詰めのバス。暑い砂漠。バスのエンジン故障。次々と大変なことが起こりますが、小林の静かな画は村人たちの肉声を伝えます。
途中の村での春の喜び、着いた町での別れ。一つ一つが命への愛おしさに満ちています。(hico)
『ベンジャミンのたからもの』(ガース・ウイリアムズ:作 ローズマリー・ウェルズ:彩画 こだまともこ:訳 あすなろ書房 1951-2001/2002)
1951年の作品を幼年向きに文章を短くし、モノクロに色を着けた絵本。
従って絵本といっても文章はしっかり入ってます。
エミリーを残して釣りにでかけたベンジャミンは遭難し、宝物を発見。なんんとか家に持って帰ろうと考える。ソウガメやイルカの力を借りて、何とか持ち出すのですが。
「本当の幸せとは?」物です。冒険とささやかな幸せ。50年代ですね。今じゃちょっと描けません。そんな香りも楽しめます。
モノクロへの彩画は少しぎこちない感じがしないでもありませんが、かなり頑張ってます。(hico)
『サリー、山へいく』『サリー、海へいく』(シティーブン・ヒューネック:作 くぼしまりお:訳 ポプラ社 2001/2002)
木版画の絵本。木版の柔らかさとシンプルな色遣いがいいです。
ラブラドール・リトリバーの子犬サリーが初めていった山と海の物語。
つまりここには子犬が初めて体験したり発見したりすることの喜びが一杯詰まっていて、身を寄せて絵本を繰って行くと、子どもでも大人でも、読者はサリーと一緒にドキドキできます。
そうさせてしまうこの作者の木版画の腕の確かさ。ページごとの構図もあきないように工夫されてますしね。
何ほどのことが起こるわけでもわけでもありませんが、一つ一つが新鮮な出来事に見えてきます。
大げさに言えば、こういう世界の捕まえ方もあるのです。
特にいぬ好きはたまらないでしょう。(hico)
『イージーとハッピィのいるところ』(こうのみほこ 学習研究社 2002)
かえるのイージーとうさぎのハッピィが出てくる、癒し系絵本。
このキャラのポストカードやレターセットも同時に販売。
色つかいもタッチもなにもかもほんわかして、気持ちいい人には気持ちいいでしょう。世界に入ってしまえば。でもどこか内向的かな。
癒しだからそれでもいいのか。
子ども向けではないですがね。(hico)
『どうぶつニュースの時間2』(あべ弘士 理論社 2002)
はい、おまたせ第2巻。
またまた、アホらしいニュースのてんこ盛りです。いきなりキツツキ銀行倒産なんてイマドキのニュース(もちろん、笑わせます)から始まって、ベルリン映画祭白熊賞をとった北狐コン監督の話題から、どこかで聞いたような話題が次々続きます。ダジャレ嫌いの方は退場してくださいませ。ここに高級とか、ハイセンスとかを要求しないでください。ベタの面白さを楽しむ作品です。よくもここまで、と。好きです。(hico)
『魔法のおみやげ・ねずみの町の おんがくたい』(末吉暁子:作 原ゆたか:絵 ポプラ社 2002)
「魔法のおみやげ」シリーズ3巻目。毎回昔話をパロって、笑わせてくれます。
お約束とおり、みほがおばあちゃんからもらった魔法のおみやげは笛。ってことは「ブレーメンのおんがくたい」が「ハーメルンの笛ふき男」とからんで、展開します。「ハーメルンの笛ふき男」の子どもたちを「ブレーメンのおんがくたい」がどう救うか?
ストーリーも画も遊び心満載で楽しませてくれます。
読み終えて、あーおもしろかった! で終わっていいのです。感想文など求めないように。(hico)
『いたずら人形 チョロップ』(たかどのほうこ:作・絵 ポプラ社 2002)
いたずら好きのおばあさんが作った人形チョロップ。バザーで売れ残ったのですが、気むずかしい一家にひきとられることに。
チョロップはいろいろないたずらで、段々ユーモアのある家族にしていく。チョロップが考え出すいたづらの数々がおもしろく、読ませます。
これも、あーおもしろかった! でOKな本です。(hico)
『こうえんのシロ』(わたなべひろみ ポプラ社 2002)
シリーズ2作目。
ワンワンンパトロール隊として講演を守っているシロ。雪合戦の時、妖精がつくったシロの像をみんなが壊してしまってので、怒った妖精たちはシロを透明犬に。
快調なテンポの幼年物。幸せな結末がやっぱりいいですね。(hico) |
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