『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

 5  伝奇小説におけるロマン――ハガードの作品を通して

 伝奇小説というものは、摩訶不思議なこと、珍しいことを伝え記したものであることは当然だが、たとえウソ八百であれ、その珍奇さがコトバの巧みな構築(話術、レトリック)によって、迫真のリアリティを伴っていなければ興ざめすることも明らかである。子どもの本が、読者よりも作家主体、もしくは与え手側の発想にのっかって生み出されるという傾向が長い間続いてきたと思われるが、これからはまっかな大ウソをすまして書き、子ども読者を煙にまいて、ひとりほくそえむという書き手のありようこそが、子どもの本と読者とをしっかり結びつける要になるのではなかろうか。作家がおのれの高尚な人生哲学を気ままに書きなぐっている時代は終わり、子ども読者の奔放で自由なたくましい想像力、瞬発的に抗するに足る材料を提供する位置にそろそろゆきつくころであろう。子ども読者の受動的創造(注1)に答えうるもの――だが、アラン・ガーナーが指摘したように材料を提供するには現在は魔法の消滅したあまりにも冷酷な理性時代(注2)ともいえるだろう。
 「伝奇」というものには、それ自体にロマンとかドラマとかいった要素が含まれているのはまちがいない。つまり、ありえないような摩訶不思議な事件を扱っており、それは私たちの日常と地つづきの世界でありながら、どこか見知らぬ未知の世界のことである。
 その事件は、魅力ある舞台設定とあいまって、思わぬ方向に発展するような緊迫感をもっている。そして、その発展の仕方は、人間が基本的に健康的に所有している「こうあれかし」と願う線上に位置するものである。
 さて、児童文学の条件は「おもしろいか、おもしろくないか」だというのは自明の理だが、エンターテインメントとしての伝奇小説を、ハガードの『ソロモン王の洞窟』(注3)に沿って、考えてみよう。この作品は、今日読み返してみても、奇妙なリアリティを感受できる。
 物語は――、古代ソロモン王の時代から暗黒大陸アフリカの秘境に眠り続けているという巨億の財宝。その地を求めて一枚の古地図をたよりに、ヘンリー卿とグッド大佐は著名な探検家クオーターメンを案内に謎の従者ウンボパをつれて旅に出る。途中、狂暴な象の群におそわれたり、焦熱の砂漠地獄をさまよったり、険しい山で凍え死にそうになったりしながら、ようやく伝説のソロモン街道にたどりつく。そこで、ククアナ王国の残忍な王ツワラに引見されるが魔女ガグールによる大虐殺を目の前にして戦慄する。しかし、みんなで力を合わせ、いけにえの美女ファウラタを救いだした彼らは、恐怖政治を打破すべく、正当な王位継承者であるウンボパを立てて王の軍隊と争い、ついに勝つ。何世紀ものあいだ生きつづけてきた邪悪な老婆ガグールは、自分しかしらない秘密の洞窟に案内して、彼らがダイヤモンドの山に目を奪われているすきに復讐をはたそうとする。だが、あやまって魔女は巨大な石扉の下敷きになり、彼らは閉じ込められながらも生命からがら抜け出す。
 くどくどと荒筋を紹介したのは、この作品には読者を思わずのめりこませる怪奇な世界(ストーリ性)が、いくつもの柱によって巧みに築かれているということを説明したかったからだ。その柱というのは、多くは人間の赤裸々な本能的欲望に根ざしている。人間には理性と感性があり、先天的にそなわっている欲望――食欲、愛欲、性欲、独占欲、冒険、闘争心、行動欲、支配、被支配欲、といったものは頭(理性)よりもからだ、五官(感性)によって具体的対象物とがっちり結びついている。
 この作品に即していえば、時間(古代王国の時代)と距離(アフリカ奥地のはて)を越えるという冒険心、巨億の富を一手にできるという金銭欲、所有欲、支配欲、数世紀を生き抜いてきた不死の魔女ガグールから受ける怪奇、神秘、超自然、魔女とツワラ王による恐怖政治と大虐殺がうむ戦慄と怒り、ツワラ王軍とウンボパ軍のぶつかりあう闘争心、行動心、躍動感、美女ファウラタからうける愛とエロスとロマンス、窮地に追いこまれた白人たちを救う皆既日蝕の大逆転、ヘンリー卿の強さ、美しさに対する英雄崇拝……と数え上げればきりがない。
 それらのことを、ハガードは実直な狩猟家アラン・クォーターメンの口を通して、リアリズムに徹する手法で巧みに描いている。起承転結の基本パターンを有効に生かしたドラマの起伏は、まるで技巧をこらした織物をみているようである。
 ハガードがスティーヴンスンの『宝島』に対抗して六週間で書き上げた(注4)のがこの『ソロモン王の洞窟』であり、「シャーロック・ホームズ」を生みだしたコナン・ドイルが「空想やスケールの点ではハガードにおよばぬかもしれないが、せめて作品の質と思想とおもしろさにおいてはハガードをしのぐような歴史小説を書きたい」(注5)と意欲をもやしたこともあまりに有名な話である。
 冒険小説の二大源流として、一方にデフォーの『ロビンソン・クルーソー』(一七一九)をあげ、他方にウォルター・スコットの『アイバンホウ』(一八二○)や『クエンティン・ダーワード』(一八二三)などをおくのが定説であろう。(注6)
 スコットは、戦闘、策略、陰謀、幸運といったドラマの原点を〈歴史物語〉として結晶させたが、一九世紀後半に入ると、新大陸南米や北米の未知の世界への憧憬や、海の荒々しい神秘的な力への挑戦といった、海外へ目を向けて創作された。スティーブンスンの『宝島』やハガードの一連の作品もこれに属する。
 そして、初めてはっきりと子ども読者を意識して執筆されたのもこの頃である。(注7)未開の地に広がる大自然、インディオたちとの死闘、危険の渦中に勇気をもってとびこんでいく波瀾万丈の大冒険ロマン――これらは、イギリス児童文学の伝統として、スケールは徐々にせばめられるが、二○世紀の作家たちに受けつがれていくのである。
 一九世紀後半の冒険読物作家たちが描いた少年主人公像は、一口でいえばヒーローであった。健康で明るく、やさしく賢明で、勇気と強い意志をもち、信心深い……。神宮輝夫は『英米児童文学史』(研究社)の中で、「程度の差はあるが、本質は、世界一の国力を背景に世界に雄飛するイギリス青年の大衆的理想像であった」(注8)とのべている。
 要するに、文学史上ヴィクトリア朝(注9)と呼ばれる時期は、イギリスが産業革命を成功させ、自由貿易主義のもとに七つの海を支配していった時代であった。そして、道徳主義と物質主義が大手をふって行進していた時代であった。
 だが、当時の教訓性、宗教性、大人が子どもにたくする願いが、皮肉なことに子どもの冒険小説のジャンルを生み出したともいえるのではなかろうか。つまり、善に対する悪、正義(道徳)に対する邪心(不道徳)、勇気に対する弱心といったぐあいに、相反するものを描くことによって“あるべき少年の姿”を浮彫りにしようという意図であり、それはできすぎたヒーローと同時に、痛快な悪役を生産することになったといえる。
 冒険読物作家たちがはたしたもう一つの大きな特徴は、それまでの教訓的冒険小説にロマンスを導入したことであろう。これは当時の科学主義、実証精神尊重時代への反発としてとらえるのが妥当かもしれないが、やがてスティーブンスンが『宝島』(一八八三)によって、それまでの事実、史実にもとずいた小説から、空想的な冒険小説(ロマンス)を完成させるにいたった。
 この作品は、登場人物の性格があざやかに描きわけられ、キメの細かい文体でクライマックスへとていねいに積み重ねられ、屈指の名作とたたえられているが、ロマンスの作家といえば、やはりライダー・ハガードに一歩ゆずらねばならないだろう。
 ハガードを「途中で休んで考えることをしない作家」(注10)だといったのはヘンリー・ミラーだが、エルウィンは、次のように記している。
 「スティーブンスンはハガードと比較すると、創造力の貧困さが目立つ。ハガードは生まれつきストーリー・テラーとしての豊かな想像力にめぐまれているのだ。だが、このことが一面彼の弱点ともなっている。というのは、つねに空想がペンに先行するからだ。前面の獲物を追いつめることを急ぐあまり、立ちどまって一つの場面を深く掘りさげることをせず、さっさとつぎの場面へ移ってしまうのである」(注11)
 さて、この指摘は当をえているようであるが、子ども読者のエンターテインメントからみれば、何か大切なものを落としていないだろうか。伝奇小説や冒険小説の場合、状況や内面心理をキメ細かく執拗に描写していくよりも、波瀾万丈のストーリー性、スピードのある物語の展開、息つくまも与えない運びに軍配が上がるのではなかろうか。
 ハガードの一連の伝奇小説は、荒けずりなゆえに洪水となって流れる奔放な筋運びに魅力の一つがあるのはいうまでもなかろう。この荒さについて、あまりにも次々と主人公たちに都合よくストーリーが展開していくと批判する者も少なからずあるが、私はマカフシギで超自然のハガードの〈お話〉を手に汗にぎって読んだものとして、そのように冷静な批評家めいた読者のいることが信じにくい。
 たとえば、主人公が絶体絶命の窮地に追いつめられ、あわやというときに起こる大逆転――読み返してみると『ソロモン王の洞窟』では、皆既日蝕という何十年に一度のタイミングがあまりにも都合よく起こっていると考えられないこともないが、思わずのめりこんで読んでいくとき、それはむしろ奇妙なぐらいのリアリティをもっていつのまにか読まされているように思う。
 冒頭にも述べたが、ウソ八百大雑言を用意周到に並べたて、すましてひとりほくそえむことが作家の資質の一つであるのは、ハガードが証明しているのではなかろうか、事実は小説より奇なりというが、裏返せば、小説には事実より奇なファンタジーを生む最大の魅力がある。コナン・ドイルと比べれば、ドイルはリアリティの中にファンタジーを求め、ハガードはファンタジーの中にリアリティを求めたといえるだろう。
 だが、ハガードのファンタジーは思いつきによるうすっぺらなものではなく、超自然に対する彼の考え方に裏付けされたものである。ハガードは心霊学に凝っていた両親につれられて、小さいときからよく心霊実験の集会に出かけていったそうである。彼は異常なほどに超自然現象に興味をもち、タマシイ(霊)の不滅を信じていた。このことは『ソロモン王の洞窟』につづいてかかれた『洞窟の女王』の不死、不滅の女王アッシャによって明らかである。二千年以上も生きつづけてきたことは、容易に信じがたいことだが、ハガードの描く世界は理性や常識や科学を巧みにすりぬけて、彼一流のレトリックによりいつのまにか奇妙なリアリティへと落としこんでいく。だが、それはだまされたというよりは、からだの奥そこから伝わるふしぎなふるえを感受させられたというほうがあたっていると思う。
 ハガードは、教訓や宗教くささがまかりとおっていた時代に、いかにも敬虔なクォーターメンという人物を前面に出しながら、『洞窟の女王』の中でアッシャのことばとして「罪が善をもたらし、善が悪をうむこともある」(注12)といわせているように、人間の奥底(心霊と頭脳)の神秘さを一面的なモラルや浅薄な科学からときはなそうとしたことも評価できるのではなかろうか。
 さて、冒険小説の流れは、『海底二万マイル』や『十五少年漂流記』などのジュール・ベルヌ、『トム・ソーヤの冒険』のマーク・トウェインをへて、二十世紀に入ると、ロフティング、アーサー・ランサム、などが健康な少年少女を日常性の中から描いた新しい型の冒険小説が多く現れたが、ハガード流のマカ不思議、荒唐無稽ぶりは影をひそめ、本格的冒険ファンタジーは、トーキンの『指輪物語』(全六巻)を待たねばならなかったとはいえ、それは白のガンダルフに象徴されるように善悪の闘争、知恵の賛美と勝利といったように人間の内面の神秘よりは、外面の人間と人間との対立に常識的にしぼられていった。
 トーキンが〈あとがき〉で奇しくも、「一番主な動機は、本当に長い話で腕試しをしたいという物語作家の欲求である。読者の注意をひきつけ、おもしろがらせ、喜ばせ、時にははらはらさせ、あるいは深く感動させるような長い話を書いてみたいと思ったのである。」(注13)といったにもかかわらず、奔放ないのちのふるえ、血わき肉おどる五官のうずきは、秩序ある日常性の中に従順に封じ込められてしまったとも思えるのである。
 オカルトブームがわきおこったのは、つい数年前(一九七○年代前半)のことであり、子どもの本の分野でも、神秘、怪奇、サスペンス、ミステリー、スリラー、オカルトなどを扱った出版物が氾濫したが、それらは単に興味本位に素材を並べたものがほとんどで、ブームが去ればあわのように消えるのは当然ともいえた。
 ハガードの小説群が今日読み返しても、いささかも魅力を失わないのは、彼の伝奇性が深い思想によって支えられていたからにほかならないし、そのことは彼の生きざまが実証している。(注14)ハガードとアフリカのつながりは、十九歳で南アフリカのナタルへ行ったときから始まり、そこの総督の秘書をつとめて、その後トランスバール政府の初代の最高裁判所長をつとめた。幼いころから心霊学に異常な興味をもったハガードは、古代エジプトの栄えあるアフリカ大陸に夢を求め、古代への回想によってロマンスの花が咲いたといえるだろう。彼の生涯は、近代理性社会に徹底して抵抗し、文明の汚染を受けないアフリカ奥地、純粋無垢(?)な黒人たちへと駆りたてられていった。ハガードはやがて、故郷ブランデンハムに農場を経営し、近代化学工業に犯されていく農村問題に真剣にとりくんだといわれている。
 文学作品としては荒さが目立ち、登場人物も類型的だと批判されながら、その巧みな話術(レトリック)によって、数多くの読者をとらえたハガード小説の魅力は、彼のこの執拗なまでの文明批判、古代回帰から来ているのではなかろうか。

注1 外山滋比古『読者の世界』角川書店によると、「作品は作者と読者の合作」であり、「享受者の創造的参加によってはじめて定立する世界」である。 「現代読者論が考える読者は、創造性を秘めた受容者である」と説明されている。
注2 武田・菅原訳「神話の沈黙のなかから」 『子どもの館』一九七三年九月号、福音館書店に「その質問(あなたの理性の時代というものについて一定の感情をお持ちになっているのでしょうね。)に答えることは、私の受けた教育には何が損なわれていたのかを、くわしく説明することになる。心と頭、感情と知性は決して出会うことがなく、かけはなれている……」という文章がある。
注3 Rider Haggard, King Solomon's Mines, 1886(大久保康雄訳、創元推理文庫)
注4,11 大久保康雄「解説」 『ソロモン王の洞窟』創元社、収録。
注5 ディクスン・カー『コナン・ドイル伝』
注6,7,8 神宮輝夫「冒険物語の登場」 『英米児童文学史』研究社、収録。
注9 成田成寿編『イギリス文学史入門』(創元社)によると、文学史上ヴィクトリア朝とされる時期は、「一八三七年のヴィクトリア女王の即位より少し前の選挙法改正の年一八三二年から女王が没する一九○一年まで」とされている。
注10 ヘンリー・ミラー『わが読書』
注12 大久保康雄訳『洞窟の女王』創元推理文庫。
注13 瀬田貞二訳「著者ことわりがき」 『王の帰還(下)』指輪物語6、評論社、収録。
注14 Homphrey Charpenter and Mari Prichard/The Oxford Companion to Children's Literature/OXFORD UNIVERSITY PRESS, New York 1984.
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